石巻の親戚
ようやく、携帯電話がつながり、父が叔父と話せた。

父はグーグルのパーソンファインダーへの書き込みの仕方をマスターするのは大変だったが、システムの意味はすぐに理解してくれて、書き込みや消息情報を受け取ったりしていた。
しかし長い(と思われる)間、本人からの書き込みはなかった。あるのは、親戚や消息を探す人の更新してくれる情報だ。
それによると、しばらくの間、叔父の情報だけがなかった。
叔父は、郵便局の元局長さんで、地元をこよなく愛するおじいちゃんだ。町内会の人たちと一緒に避難していたようで、そのため家族から離れた避難所にいたようだ。たぶん、さほど離れているわけではないと思うが、いまも、家族とあまり連絡をとりあう状況にないようだ。

横浜では、被災者住宅の受付の締め切りが24日となっているのだが、そのようなことを言い出す余裕などない。まず生きることに精一杯頑張っているさなかなのだと、父の話からわかった。

震災の日、いとこは野蒜の農協に勤務していたいとこから「石巻へ向かっている」と父の携帯にメールが入っていたきり、約1週間、連絡がとれなかった。
別の親戚からの連絡で、みな家の中から一歩も外にでれない状況で、親戚同士が連絡を取り合うことができない状況だということだった。
地震の揺れがどれほどだったのか、それより津波にどの程度襲われたのか。まったくわからないまま、パーソンファインダーに整理された情報で、なんとか彼らがみな無事であることを知った。


1週間が過ぎ、いま、だんだんと状況がわかってきた。
津波は、海岸から親戚の家のある旧北上川流域の一帯に浸透し、石巻駅まで到達したようだ。父の実家は1階は浸水で使えなくなっているそうだ。

父が私が行くかもしれないことを伝えたら、「長靴が必要だな」と、アドバイスをくれた。
そんな状況のなかでも、こちらを気遣ってくれる。石巻の人だと思った。

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by sasanoel | 2011-03-20 20:09 | 取材ノート
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被災者も非被災者もともに平和で楽しく暮らせる社会をめざして。2011.03.11 ご連絡、記事についてのお問い合わせ、取材依頼は筆者までメールで。sasanoel@gmail.com
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