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障害者の2次避難先、市内に1000人規模の施設を!

「障害のある方にどんな支援をされていますか?」
愚かで、心ない質問をしたと、すぐに後悔した。

3月にこの取材(非被災者としての取材)を考えた当初から、障害のある人が、避難所でどうしているか、一般の避難者とはちがう苦労があるのでは?と考えていた。状況を知り、支援の方法を考え、支援できそうな人や団体に知らせようと考えていた。石巻市役所でわかったことは、平時に状況を把握し要介護や障害者の対応をする役所の機能も被災しているということの現状だった。

4月9日(土)、震災から1ヶ月がすぎようとしていた。命が助かり、小さな余震にも慣れた頃、過去最大と言われる震度6強の大余震と津波警報による深夜までの避難が、避難者を襲った2日後の週末。
まだ一般業務の再開されていない市役所には、障害福祉課の窓口には一人の障害者が、数名の付き添い、介助者とともに数名で相談にきていた。日常なら真剣に時間をかけて対応するところだが、震災で多くの障害のある市民が増えてしまい、状況を把握することが困難である。機能すべき職員もまた被災し、家族を失いながら、登庁していた。

「障害者だからといって手厚くなんてできる状況ではありませんでした。みんな被災者になってしまった」と、Sさんは言う。親切そうな顔は疲れて、こわばっていた。窓口でもお世辞にもにこりとはせず、非被災者の訪問を歓迎しているとは言えない。話しを聞きたいなどと悠長な申し出にイラついて、すぐに追い帰してやるぞという戦闘意欲、いや、被災の状況を知らない人の無神経さに傷つけられるのを警戒していたと思う。

いまだ、こんな状況で私は何を聞こうとしていたのか。主旨を忘れかけたが、Sさんの話をとりあえず聞こうと思い、現状を話してほしいとたのんだ。

震災のあと、さらに多くの障害者、福祉を必要とする人を抱えることになったことは確かである。もともと障害だった人も、さらに障害を重くしたかもしれない、震災そのものが原因で、精神のトラウマ、身体障害となり、認知症の高齢者は症状をすすめた可能性がある。でも、どんな障害であれ、医療の必要な人であれ、役所からの物資は、300人いれば300人にパンをとどけなくてはいけない。199個しかないけど、持って行くということができない。これ以上誰も不利な状況に陥らせてはいけなかった。

何倍に膨らんだのかわからない被災者の安否情報を、県外の職員が加勢して調査していた。叔父のところにもやってきた。2人組の大津市からの派遣された保険士は、避難所や2階などに住める家の全てを回り、人がいるかどうか、誰がいるのか、健康状態はどうか?ということを聞いていた。おそらく、他県からきた職員はこの業務に急ピッチであたっているのだろう。

11日(月)から窓口業務が始まる。課題は「2次避難」である。
1次避難の対応で、物資がある程度足り、多くの避難所で生活できるようになってきたところだが、石巻では21日に学校が始業式となる。それまでに、学校機能を回復しなければならない。学校に避難している人の状況に会わせて、避難先の選択肢が提示されることになる。
しかし石巻の場合、地域を離れたくないという意志がつよく、市外への2次避難を希望する人は少ない。
単身や、小さな家族でも、仕事があれば、離れる事は難しい。
市では、2次避難のための避難先への「お試し制度」などを避難先の自治体に要請している。

市民にとって大きな決断を迫られるときだが、この対応の過程で障害のある人や介護を必要とする人には、やっと、手帳の制度を使った対応が考慮されることになる。といっても、市内の施設や介護に携わる人も被災しているから、やはり県外を含めた2次避難ということが、障害者にとっても選択肢として含まれることになる。「支所としてでも良いから、市内に1000人規の施設がほしい」とSさんはいう。いまは市外へケアを受けにいかなければならないとしても、石巻に戻って来れるように。

地域福祉の方向性として、脱施設の方向にあるのが日本の地域福祉これまでだけれど、震災をへた今、あらたな対策として、大規模施設の急遽設置が求められている。
このニーズに対して、いろいろ考えるところはあると思う。
でも、考えている暇もないというのが現実だろうと思う。
by sasanoel | 2011-04-13 08:53 | 取材ノート