安田和也さん「第五福竜丸が教えること 〜福竜丸の警告はノアの箱船〜」を聴いて
9月9日、友人が、職場のビル(早稲田キリスト教会館)で企画、展示をしているというので行ってきた。
福島と福竜丸で、ふくふく展。会場の展示では、第五福竜丸の事件を報じた新聞や、第五福竜丸と一緒に被爆したマーシャル諸島の人々の様子を伝えていた。
この日のトークセッションは、第五福竜丸展示館の学芸員、安田和也さん。


第五福竜丸の歴史
マーシャル諸島で操業中に被曝したマグロ漁船「第五福竜丸」は、いまは江東区夢の島にある。
木造船は、1947年に和歌山で建造され、神奈川県で活躍したカツオ船・第七事代丸(だいななことしろまる)だった。1951年に焼津の船主に買い取られ、遠洋マグロ漁船に改造され、第五福竜丸(第五福龍丸)となった。第五福竜丸のマグロ漁は、1ヶ月半のはえ縄漁で、漁場との行き来に1ヶ月かかる。電気もなく、冷凍室に粉砕した氷を積んで鮮度を保ちながらの厳しい労働だったため、この漁の定年は40歳だった。

戦時中の漁業者は、船とともに偵察船、見張り船などとして戦争にかり出され、漁はできなかった。福竜丸が建造された頃は、食料不足で、栄養も取らなければということで漁船が建造された。GHQの統治下で100t以下の漁船しか造ってはいけないことになっており、147tの福竜丸は99tと届けられていた。船も漁師も多くが戦争で失われ、被害者数は5万人ともいわれるが、正確にはわかっていない。

1954年3月1日、第五福竜丸は核実験(ブラボー)に遭遇。乗組員と捕獲したマグロの全てが被爆した。3月14日に焼津港に帰港、静岡大学の検査で船体から30mの場所で高濃度の放射線を検出したことから、人家から慣れた場所に鉄条網のはられた状態で係留された。
(焼津に戻った第五福竜丸については、乗組員が放射線治療のために上京したおり情報を聞きつけた読売新聞が最初に伝えた。読売の中には核開発について感心をもち学んでいた社員がいて、第五福竜丸の帰港、そのころから起きた、「原子力発電の平和利用」を唱えた原発キャンペーン報道も同社が担う事になった。)
被爆した第五福竜丸は、文科省に買い上げられ、東京海洋大学品川岸壁に移され、改造されて水産大学の練習船「はやぶさ丸」となり、千葉県館山市を母港とした。
1967年・老朽化で廃船となり、夢の島の隣りの第十五埋め立て地に打ち捨てられていたのが発見され、市民の間に保存運動が起こった。これを受けて、東京都が「第五福竜丸展示館」が永久保存することにした。

そんな遠洋マグロ漁船の歴史から、「第五福竜丸は、原水爆反対の象徴としてだけでなく、産業文化遺産でもある」と、安田さんはいう。

マーシャル諸島での被爆規模の大きさ
もちろん、核実験ブラボーの時犠牲になったのは第五福竜丸の乗組員だけではない。この時の実験は6回にわたって行われ、マーシャル諸島の人々が島に住めなくなった。さらに、汚染魚を水揚げした多くの漁船から水揚げされたマグロは競りで売られ、これを食べた多くの人々がいた。また、アメリカ大陸にも放射能が飛び被害が及んでいる。
汚染魚の被害については、日本だけで856隻(お刺身にすると250万人分の魚)が被爆していたことがわかった。それらが市場に出回った。大阪、富田林市で被爆マグロを食べた人が、白血球値に異常が認められたが「因果関係は認められない」と言われて終わる。
高濃度の放射能による被爆が人体に影響を与えてもその因果関係を明確にすることが難しいのは、久保山愛吉さんという被爆による死者を出した当時も、事故から25年後のチェルノブイリで甲状腺がんを煩う人がいても、福島原発に従事した人やホットスポットで高濃度被爆した人が不安を抱える今も同じ。被爆との因果関係を調べる医療技術は半世紀でどこまで進んでいるのだろう。

マーシャル諸島の現在について
9月9日の読売新聞が伝える記事には、半世紀後のマーシャル諸島と福島の除染の現状を考察した記事が掲載されている。(この記事は追って考えたい。全文はこちら


冷戦の影響をうけた日本の原発
この事件で、アメリカから日本に見舞金として200万ドル(日本円で7億8000万円)が払われた。被爆事故の加害者として謝罪し、賠償するというものではなかった。もし謝れば、進めようとしている商業原子力(原発)を含む核開発の全てが否定されるからだ。アメリカは何とかして日本人を冷戦に巻き込まなければいけなかった。日本はアメリカの軍事、商業戦略の拠点である。(そのために、戦後あらゆる観点から日本人がアメリカに反抗しないような戦略がとられたことが、だんだんとわかってきているようだが、いま私にはよくわからない。今後知り、知らせていけたらと思う)
とにかく政府はその「見舞金」といわれるお金を魚業の振興に5億、その他は医療や生活費として被災した船主さんたちに配った。乗組員さんたちのところへお金はいかず、泣き寝入りだったという。

一方、魚の放射能を計れば計るほど、市民の不安は募るばかりということで、安全基準を高くしたところ、検出されなくなった。報道はされなくなっていった。アメリカの本当のねらいはそこだった。

折しもアメリカとソ連の冷戦のテーマは核開発に及んでいた。
核開発にはお金がかかるため、原子力を商用に開発して売ればアメリカは蓄財できる。さらに、東側への前線基地である日本で核兵器に必要な能力も維持できれば、一石二鳥である。戦後、植民地支配するはずだった日本が独立を認められたのも、冷戦の激化が背景にあってのことだ。


1953年3月5日、政府は「ウラン235予算」通過
アメリカの思惑に尻尾を振って、第五福竜丸が被爆した翌日の1954年3月2日、中曽根康弘が原子力開発費2億3500万円を案した。5日、当時の政府はこの予算を成立させた。金額の根拠は「ウラン235」だと言う、いいかげんさが今にも伝えられている。
最近はすっかり顔を見せなくなったが、この時の判断が今、地震大国日本に54基の原発がつくらせているのだから、ぜひ、現在の心境を話してもらいたい。

「原子力を平和利用に」というキャンペーンで国民を黙らせ、実際の原子炉はアメリカにあるものをもってくればいいという程度のことを開発というのだろうか。技術国というのであれば、自然災害に備えた原発災害の技術開発をするのが、国民の安全第一というならば、それが最も大事だろう。日本が持っている資質、技術を生かそうとせず、国民を守ろうともせず、ただ買い物をするように、地震の少ないアメリカの開発したものを設計・施工管理こみで輸入してしまった。
さらに良くないことは、今日までの安全神話を形成するキャンペーンが念入りに行なわれていたことだ。その開催地のひとつは、広島平和記念資料館だった。被爆当事者の名をなきものにする、ひどい発想であるし、当時の広島の人々はなぜこれを許したのか。当時の人々の責任というより、過去無防備な日本人は「善意」に弱い国民だと言うことを利用した原発マーケティングの罠にひっかかったのだろうと推測する。
この広報を担当した企業はどこ?(ご存じの方は教えてもらいたい)ということも、日本の現在を読み解く大きな担い手になっているはず。
日本人は、福島原発事故が起きたいま、日本人とはどのような人間たちなのか、なぜこうなったのか、あらためて自問する時期がきていると思う。

こうして冷戦の影響もあり原発がふえてしまったが、その結果、考えてみると当然のことだが、福島で大事故が起きた。それは、日本が独立国というなら、選択による結果だろうとアメリカの人々は考えるのだろうか。
日本人にとっては、広島、長崎に始まる唯一の被爆国の歴史をあまりにも早く忘れ去る選択だったのではないか。
第五福竜丸の事件を思い出す事で、原子力と核の問題の原点を考え、ここで再度、被爆によるダメージの大きさについて、また、これから放射能とともに、この故郷でどう生きればいいのかについて考えていくことができる。

第五福竜丸展示館には、江東区夢の島の公園にフラリときた人が立ち寄ることができる。無料である。
311後の東北から小学生、中学生の社会科の見学でおとずれる子供だちの多くは、自分たちが経験したことと照らし合わせてこの事件を考えるきっかけになっているという。
事件から57年のいま、戦後を振り返るこの時期に、東日本大震災があって、再度思い出さずにいられない事件となっている。この時の海洋調査の報告が、いま、福島原発事故後の三陸の海洋汚染を考える貴重な資料となっている。

余談になるが、湯浅一郎さんの海洋汚染に関する講演を石巻できいたことを報告したが、その湯浅さんが頼ってきたのが、安田さんだった。

安田さんはこれからも、第五福竜丸の事件を通じて原水爆への反対を唱えていく。しかし、東京都の施設である福竜丸展示館で福島原発の事故については触れられないのだという。
「第五福竜丸事件を知る事で、市民の想像力を働かせて、福島原発事故についても考えてもらいたい」と安田さんはいう。

(この記事は、安田さんのお話を聞いた、筆者の整理。安田さんの講演そのものではないところもある。)
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by sasanoel | 2011-09-11 09:05 | 東京
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