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原発報道災害についてのシンポジウム 〜上杉隆・森達也・高田昌幸〜

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9月15日、創出版主催の反原発シンポジウム(東京都文京区・文京シビック小ホール)が行なわれ、第一部では、上杉隆(ゴルフ、報道災害など)氏、森達也氏(オウム真理教などドキュメンタリー監督)、高田昌幸氏(フリー記者。北海道新聞社員時代、北海道警察裏金問題を報道)という異色の3人がそれぞれの立場から3月11日以降にみられる「原発報道」の問題点について語った。

日本には「記者クラブ」というものがある。政界や業界で、主に、大手メディアの担当者が集まり、記者会見をうけたり、主催者発表に関する記録もれがないかどうかチェックしあったりする。全国の記者クラブの人数を合計すると3万人になるという。
上杉さんは現在、この記者クラブと戦っている。記者クラブによる報道体制は、役所や官僚と同様で前例主義で、取材者本人の眼よりも記者発表される主催者の発表内容を優先し、さらに各社右へならえであり、真実や自分の考えを言えば潰される。戦争中の大本営発表と同じだという。

日本新聞協会によると、記者クラブは「取材・報道のための自主的な組織」となっている。一方、同協会は「クラブの基本的指針となる統一見解を数次にわたり示してきた」と記者クラブへの指導的立場を明示している。

日本新聞協会の記者クラブに関する見解
http://www.pressnet.or.jp/statement/060309_19.html

(ちなみに日本新聞博物館(ニュースパーク)は、横浜の日本大通にある。さまざまな大手メディアの功績を讃えたり、伝えたりしている。横浜でも好きな場所の一つで、ここのレストランはよく利用している)

上杉さんだけでなく、記者クラブの閉鎖性や取材力の低下については批判されてきた。しかし発表側に都合が良い記者クラブは衰退するどころか、今も報道の中心にあり、日本人的な悪い体質の温床にもなっている。

また記者クラブに象徴される大手メディア主義があり、つねに本質に伴う大きな問題となっている。多くの国民は、大手メディアが出す情報を事実として受けとめる。しかしそれらの情報は、発信する側の事情に左右されたものだ。それが認識されず、日常奥深くまで浸透していることに、伝える側・受けとめる側ともに違和感を感じなくなっている。

一方、少数で貧乏なフリージャーナリストが苦労して社会に必要な情報を補っている。なんとか発言力をもつ何人かのフリージャーナリストが、自費やカンパで先頭にたち、取材を続けている。

「メディアリテラシー」とは、情報が何で出来ているかを考え情報をよみとる力。日本人にもっとも必要で、足りないことを自覚しなければならない。

シンポジウム出演者の3人は、大手メディアの権力により閉め出しを喰らっている点で共通している。大手メディアや、多くの国民を相手にせざるを得ない立場に立つことになった経緯の中に、こんな短い時間では伝えきれない想いがあることだろう。


311後の報道災害について
その記者クラブ体制について、上杉さんは、311の原発報道を境に目をつぶっていられなくなった。
政府や東電の情報を垂れ流しにする報道で、記者の災害の知識が低く、本来は国民に危険回避の情報を最大限努力して提供するはずのメディアが、機能不全であるだけならまだしも、「逆機能」に陥っているという。
つまり、危機を目の当たりにして自分たちの眼でそれを検証して伝える事ができない。
たとえば、「炉心溶融」と報道されたことは、当時の官房長官だった枝野幸男氏の記者発表によるが、「メルトダウン」のことをさす。私でもわかる。しかし、「メルトダウンということですよね?」と上杉さんが確認すると、「メルトダウンは起きていない、炉心溶融だ。デマを流さないように」と言われ、3月末に記者会見を閉め出されることになった。
その後も、確認がいまだにできていないのに、「ただちに健康に被害はない」という無責任な発言をすると、大手メディアはそのまま垂れ流し、結果として、多くの人々が高濃度放射能をあびてしまった。

「自主規制によって、戦争に突入。140万人の人命が失われた。日本では、新聞メディアは正しい、他は胡散臭いということになる。原発報道では、メディア自身が多様性を排除した。それにより、海洋に汚染水が流された。海洋汚染の国際賠償(何兆円?)が問われるだろう。また、日本の最高級ブランド(三陸の魚)が輸入禁止となっている。それらは、放射能廃棄物なのだから。産業界の大打撃となるだろう。
枝野官房長官の言葉、NHK、朝日が言っているという言葉で、将来を担う子供たちの健康が害された。これらは、(メディアの役割である)権力の監視ではなく、人殺しへの加担である。戦争から70年後に、こういうことで日本人は同じ事を繰り返すのか」と上杉さんは投げかけた。

森さんは、資料映画「アトミックカフェ」の例をあげて、アメリカが核というものを知らないかということを知らせた。この映画は、核や原子力を考える資料として現在も上映され続けている。
「この映画を観て、アメリカ人は馬鹿か! という話になるが、その後、日本では311の地震・津波が起きて、僕らも分かってない、と思った。東電と政府でそこまで恣意的に東電をかばうためにキチンとやっているだろうか?大本営発表と同じと言うけれど、昔と今と違うのは、今は原発へも、東電の社長の家にも行ける。結果的に大本営となってしまう理由は、アトミックカフェと同じで、(核を)わかっていないからだと思う。わからないから、希望的観測に近い人を使ったり、御用学者を使ったりした。
よく、「じゃあ一体どれを信じれば?」と聞かれるが、それは何か信じれるものがあるということだが・・そもそもメディアはひとつの視点で、あらゆる情報の視点でしかない。それ(自分が信じるものは)自分でみつけるしかない。
アメリカの核実験からはデータ化されたものがない。わからないものは、最大限見積もるべきと思う」

高田さんは、
「メディア問題とは組織の問題と思う。今の新聞社は1941年に形ができ53社に統合された。それからは誰が働かなくても新聞は出る。役所や官僚と同じ、前例踏襲主義。
会社を辞めようとおもったのは、311の時。今までと全然ちがう事態がおきているのに、今まで同様に記者クラブに張り付いて、新しい動きができないのを見た。
『メルトダウン』て最初書かなかったというが、実は爆発した直後は実は書いている。それが1週間もしないうちに書かなくなってきた。発表報道で、どこもだんだん、「大したことはない」ということになってきている。

1970〜80年代の新聞は、原発反対運動などきちんと書いている。公聴会が混乱していることを書いている。しかし、反対運動に進展がないと、動き始めた原発の話を書く。つぎの動きを追いかけようとする。そういう構造の中に、その裏側に何があるのか?ということがなってきている。ニュースがなくなると、反原発を取材する担当記者がいなくなる。動きがなくなると担当記者がいなくなる。記事がなくなる。
新聞記者3万人だが、それぞれ担当があり、担当以外のことはやらなくていいというシステムになっている。原発反対運動をやらなくても新聞は出る。
問題が変わっても記者の数は変わらない。基本的には記者クラブに張り付いている。原発が爆発しても変わらない。
また新聞社が前例踏襲しかやらないと取材力はなくなってくる。取材力のスパイラル的な劣化が起きている。
ただ、批判だけしてどうなるの?上杉さんが批判しても、かたや記者クラブは3万人いる。こういう状況に対して、どういう対抗手段があるの?」

高田さんは、北海道警裏金事件を暴いた記者さんだった。
2003年11月に北海道警察旭川中央警察署が組織的な裏金を認めた。警察史上初のことだ。それを報じられたことは快挙だったが、その後、警察からの巻き返しがあった。
道新は訴えられ、敗訴することで「裏金事件で道新が報道したことへのお詫び」としたのだ。しかし、話はそれでは終わらず、元道警総務部長・佐々木友善氏から名誉毀損で訴えられ、600万円の慰謝料を巡って裁判中である。


「徐々に謝らずに修正。炉心溶融とメルトダウンは違うと言った言い訳については責任をとるべき」と上杉さん。
それについて、高田さんはつぎのように言う。
「最初、わけがわからなかった時は『炉心溶融』だと言っていたが、政府が発表したら、その通りになっていった」しかしそれでは遅い。その時はもう放射能がたくさん放出されてしまった後なのだから。

記者クラブは記者発表を垂れ流しにし、大手メディアは原発から50キロ圏内での取材は社内規定で取材できない。自社の社員ではなく、フリー取材者がその役割を担う。戦場報道の多くもそうなっている。東電と原発作業員のような元請け下請け関係だ。フリーも大手とつながっていないと食べていけない。

森さんは、「現場にいる記者、ディレクターは、取材をしたいという人もいると思う。大きな組織の中で、昔はもっとはみ出す人がいたと思うけど、いまはいない。これが日本のジャーナリズムの衰退だと思う」と言う。

森さんは、3月、原発から8キロのところでタイヤがパンク、雨も降るというピンチに見舞われた。森さんの命に関わる大事だったこともさることながら、そこで貴重な取材ができたのかも気になるところだ。
また、ババグダッド侵攻の映像でNHKは逃げずに撮影していたが、発表されなかったことについてプロデューサに確認したところ、「それは出せない」と言われた。
そんなふうに、現場ではいろいろなことが起こることを説明した。森さんは記者クラブの存在も、伝えることを阻む要因の一つで、それだけではないと考えているようだ。

メディアの問題に対して、原発報道一つとって考えても、どうすべきなのか、できるのか、見えない。上杉さんも、12月にはジャーナリスト休業宣言をしたり、ゴルフジャーナリストだと言って、逃げの姿勢だが、本当に逃げるわけでもないだろう。

メディアの問題は、自分たちの問題だ。原発報道はあらゆる実害に直結している。伝える側も、受け取る側も逃げる事のできない船に同乗している。

森さんと上杉さん、高田さんたちが集まって、実際の考えていることの空気を知るために、オンエアがあるかもと思ってはいたが、横浜から出かけた。そのかいはあったと思う。本を買えばこの3人それぞれの意見はわかると思うけど、3人が今起きていることについて一緒に話すことはさほどないかもしれないから。
ただ創出版のしきりが悪すぎで少しがっかりした。本を売るためだから仕方がないのかなと思ってしまった。もっとこの議論は時間をとって深めないと、お互いのとらえている問題の解決に向けた話し合いにならない。

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特別発言「東電OL殺人事件」の受刑者家族の訴えは、とても深刻なものだった。原発災害や報道の問題とは違うテーマであり唐突だったが、この事件の裁判が再度行なわれようとしていることを初めて知った。
高田さんのいた大手メディア組織や権力者と、弱い立場からの抗議と遠巻きではあるけれどもつながっていたのかなと思う。
by sasanoel | 2011-09-16 12:45 | 東京