カテゴリ:取材ノート( 34 )
グラスゴー取材を終えて、ぼんやり考えること
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現在、正直、自分自身の考えが完全には定まらないまま、状況の変化そのものに取材対応しようとしています。オリパラ開催のために組織委員会が見積もった費用の推移をみても大きく膨らんでいるので、その影響があるのかもしれませんが、当初あまりにも小さな、知られていないテーマとしてきたものが、今後は日本社会でも、戦争、平和、医療、福祉、市民活動、そしてもちろんスポーツ、アートと、さまざまな方面から注目される重要なモチーフとなってきていると感じています。

理想は、これらのさまざまな角度から、マルチにモデリングできる体制にして、取材、撮影、編集、配信のすべてを見直していきたいですが、実際は、状況を検討をするために必要なことを考える以前の段階で、わたし自身が答えのみつからない奮闘を繰り返している気がします。

結局、パワーアップしたメディア体制が必要と考えながら、経費削減しなくてはならず、一人+ボランティア、協力者で行っているのが現状です。しかしその経費もふくらんで、今年に入って経費だけで100万円以上を旅費に使っており、それ以外の経費を自分の給料、臨時のカンパ、借金などから補填してきました。

2013年9月に開催都市に決定してから、オリンピック界とパラリンピック界の統合がこれまでになく縮まってきています。それはあるいみ、自分も含む社会が望んできたことです。パラスポーツにとって、すばらしい飛躍のチャンスです。
それに対して、グラスルーツ的な甘え、ぼたもち的な幸運でここで取材を続けてきた自分自身が、あまりにも力がなく、すべての面において力の足りないことを感じています。

そして、何より、パラリンピックは不可能を可能に変えることを教えてくれるモチーフであり、けしてあきらめない選手たちの活動に触れることにより、その最前線にいるという立場を忘れてはならないと思います。自分に言い聞かせて、取材を続けています。

これからもこの選手たちによるパフォーマンスを伝えることができればと思いますが、オリンピック・パラリンピックがともに語られることにより、配信対象も広まり、伝達の可能性も高まってきていますし、情報発信の活動としてもその枠組みから考え直す必要がでてきていると思います。あらたなメディアも立ち上がっていますし、パラフォトの活動もリセットが必要と思います。

では、わたしがあるいは、ファンの取材者が取材をしているパラリンピック、パラスポーツはどこへ向かおうとしているのでしょうか。5年後がすべてではないことはわかりますが、ではその5年間の機会をどう過ごすのでしょうか。

そんな取材者の悩みより、ずっと前から、パラリンピック選手、競技をとりまく環境は「ハイパフォーマンス」にふさわしいものがもとめられています。
オリンピックとの正式契約が始まった北京大会では、競技の技術やレベルが大きく変化していくなかで、これまでの関わるスタッフもレベルアップ、専門化しなければならない状況を突きつけられた。もちろん、私たちも取材現場で培った技術や知識を活かせる取材環境を整えていかなければいけない。

そして、それによって、市民の社会や生活が何をどう享受していくことができるのか?ということを、取材者として自覚できるようなレベルまで突き詰めないといけない。まず知られていなければ、メダルの成果だけでも伝えることが重要だったが、開催国として約束された存在となった今、その先に、何を魅力として、その価値を伝えていけるのか。NPOメディアとしてどう関われるのか・・。
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by sasanoel | 2015-07-25 15:28 | 取材ノート
取材がおわり・・宿を変えました。
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7月13日〜19日のIPC世界水泳選手権大会をファンのメディアとして記録し、発信するために、スコトットランドのグラスゴーまできました。期間中の話題をこちらに載せようかと思いましたが、余裕がなく、フェイスブックのみとなりました。

さて、大会がおわり、いろいろとありましたが、デイレポートの最終日をアップしました。
今回は、撮影から出稿まですべてひとりでしたが、カメラを提供いただいたニコン様、イギリスの観光情報に詳しいロンドンコーディネーターの能津さん、パラフォト事務局の森田さんに資金的に苦しい中、助けていただきました。ありがとうございました。

あと、サンフランシスコから地元選手の活躍を伝えたいと、障害者馬術の取材者の田中さんが連絡をくれ、遠隔との連携で記事作成ができました。
ロンドン取材班で、スポーツファーマシストでもある榎村さんに駆けつけてもらい始動できました。ドーピングに関する記事配信もできました。

また、何より、日本でわたしの記事を配信してくれた、越智さん、いっぱいご迷惑おかけしてしまいました。いつも助けていただいてありがとうございました。

榎村さんには現地でグラスゴーまでの交通費を佐々木の生活費としてご寄付いただき、そのお金で、わたしは昨夜から現在の宿に移住させていただきました。ここセントラルグラスゴーで、これまでの記事の見直し、数時間の街歩き、そして、このように感謝の記録を綴ることができるのも宿を移したからです。

現地の日本メディアは、新しくIPCとドキュメンタリーコンテンツの制作を契約したWOWOWのスタッフ、NHK、共同通信、フリーウエブメディアときていましたが、ロンドンからのスタッフが多い現場でした。ロンドンで働く日本人にふれたことは、とても勉強になりました。日本で感じるさまざまな疑問を日本ではほとんど口にすることがありませんでしたが、彼らの人柄のためか、とても自然な仕事への姿勢のためか、とにかくわたしも素直にいろいろな話をしました。もちろん、マスメディアとNPOメディアでは立場がまったく異なるのですが、そこで取材に取り組む意味では、違いは何もありません。

今回、最も感じたことは、自分自身の甘さです。たとえ、ひとりであろうと、どんなに疲れていようと、記事を書くからには精度をたかめなければなりません。誤報を何度も配信してしまい、せっかく応援してくれる仲間に迷惑をかけてしまいました。取材がしづらかったり、そんなことは、いつだってあることで、まずはこの課題を次回になんとか残さないようにしないといけません。

NPOメディアで、サポートもボランティアなので、お願いしまくりで、もうこれ以上手の打ちようがない・・などと考えてしまいますが、どこかに、活路はあるはず。

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というわけで、昨夜までお世話になった、Onslow Guest Houseを引き払い、セントラル・グラスゴー駅に近いユニオンストリートのGrassHopper Hotelに移住してきたわけですが、ここから、明日の便で一度日本に帰ります。

大会期間中の宿であるOnslow Guest Houseですが、取材の宿の基本であるネット回線が弱すぎました。ケータイのWiFi程度ならなんとかつながりますが、パソコンでメールや記事の更新ができないとなると、もうほとんどお風呂とベッドと朝ごはん。というまぁこれも大事な機能ですから、毎日帰っていましたが、正直長期滞在にはむかないです。メディアセンターに泊まったほうがよかったかも。。
イギリスの宿はプレミアインが日本でいう東横インみたいな感じかなと思います。高品質なネット、安い、あさごはんつき。とすると東横インレベルはほんとうにありがたい。いずれにせよ、取材でネット環境がないような宿なら、ネットカフェのほうがましです。スコットランド人の英語や日常の文化に触れるよい機会となり、バス通勤も慣れましたが、わかりきっていたのに間違えてしまいました。あらためて反省です。

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滞在期間中、ほとんどお金を使わなかったので、エジンバラへ足を伸ばそうかかんがえましたが、結局、グラスゴーの街や川沿いを散歩して、宿にもどりました。前回、ロンドンでは飛行機に乗り遅れそうになりかなりアクロバットがあったのですが、グラスゴーは空港が近く、岡山とか旭川なんかとほぼおなじくらい、こじんまりしていて便利です。そして、何より、古くて、文化的な建物に満ちていて、アテネの遺跡の近くでも感じたような、人々の時間をよい形で積み重ねてきた歴史を感じます。

思いつくままに書いていますが、
もっとも大事な振り返りは、今回のような配信をNPOメディアとしてどう続けていけるか?ということです。
今回、日本メディアからの配信は少なく、パラフォトでの発信の比重も大きくなったため、駆けつけ取材でファンのメディアというスタンスは通用しなかった。選手団広報担当の方からも直接の修正依頼が送られてきて、どんなに回線が遅いと言っても直さない限り眠れません。おかげで、コンテンツの見直しに多くの時間をかけましたので記事の精度は高まりました。ネットメディアなので、遠隔校正できるのですが、手の空いている編集者もつかまらず、撮影から配信までを一人で完璧にやらなければなりませんでした。そのため配信直後の誤報がつづきました。

そういえば、まだ声をかけていない協力者がホンジュラスにいましたね・・・今回はフェイスブックでも呼びかけ、気づいた人がメッセージを送ってくれるという形で、何人かの方にご協力いただきました。ただ記事を楽しもうとしていたのに、仕事に巻き込んでしまいましたが、本当にありがとうございました。

覚えておくために、この投稿をしておきます。

何か、お気づきの点がありましたら、ご連絡ください。

今後とも厳しいご批判と暖かいご支援を、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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by sasanoel | 2015-07-21 08:11 | 取材ノート
グラスゴーに到着
さすが都会です。
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by sasanoel | 2015-07-11 08:11 | 取材ノート
グラスゴー2015 IPC水泳世界選手権の取材にいってきます。
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これから夜勤の仕事をして明日の朝帰宅したら、とりいそぎ荷物をまとめてグラスゴーへ、水泳の取材に行ってきます。写真は、けさお見送りしたパラスイム日本選手団。

パラフォトでこれまで日本と世界のパラリンピック選手を応援しながら、ファンのメディアとして取材してきたことは、2016年リオパラリンピックで、トライアスロンが正式種目になったことで、地元横浜で行われている「WTSパラトライアスロン」を取材、そして地域での障害者のスポーツを知り知らせる活動、交流へとつながっています。

パラフォトの活動は、「知り、知らせる」と言っていますが、その立場をまず知る、つぎに知らせる、と変えていきながら、だんだんと浸透していけばいいなと思っています。

そんなわけで、リオ1年前となり、耳をすませば、パラリンピックの足音が聞こえてきます。水泳の選手達の活動にふれ、感動しながら取材してきたことを思い出し、来年にむけた準備の始まりです。

今回の取材、パラリンピックやアジアパラリンピックのように、総合大会ではなく水泳のみの世界選手権ですので、現地では水泳のみ。また、これまでと違うのは、ほぼ一人で現地へいくことです。これまでは、プロのカメラマン、もしくは比嘉さんのようなアマチュアカメラマンといった写真専門の担当者と行き、ササノエルはミックスゾーンの写真、インタビューと記事のみでしたが、今回は、写真も記事もひとりでこなさなくてはいけません。どうなることでしょう・・。もう出発は明日となってしまったので、行くしかありませんが。

先日、事務局担当がニコンへ用事で行くというので、一緒に銀座についていき、今後のご協力をいただく話をしてきました。担当の方と話をしていて、まもなく、世界水泳がロシアで行われること、ニコンは世界水泳のサポートをしていることがわかりました。しかし、パラ水泳のことはご存知ありませんでした。そうですよね、たいていの人は、パラスイムのことを知りません。健常者の水泳のことだって、そんなに知られていないと思います。今回は20名の選手が、多くの海外線選手の中で実力をだからこそ、取材が必要だと思います。

というわけで、今日は選手の出発を見送りに・・・ちょっとしたミスで、ニコンでなくiphoneですが。また道中更新しようと思います。
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by sasanoel | 2015-07-08 14:49 | 取材ノート
大分2012
ちょっと後になったけれど、自分の覚え書きのためにも、大分国際車いすマラソンのことを書いておきます。

ロンドンから大分へ
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10月26日〜28日、ロンドンパラ後の大分国際車椅子マラソンを観戦するために、2年ぶりに大分へ。
26日午後、自転車を借りようと駅へ行くと、大分駅のまわりが再開発の工事中。ここも新しくなるのか。と、古くてもいいのにと、横浜人は思ってみるが、時の流れを惜しむ年柄(きかないで!)なだけかもしれない。。

とりあえず自転車を借り、お腹がすいていたのでMacで適当なものを食べながらFacebookをチェック。トップ選手も到着していて、河川敷かどこかで練習したり、くつろいだりしているよう。廣道純選手から「おかえりやす!」とのメッセージにはほっこりと嬉しかった。

夕方、沖縄から写真を撮りにくる比嘉さんと合流。彼には聴覚障害があるが、喋ることも、相手の口の動きを読んで会話することもできる。2年前バンクーバーパラリンピックでアルペンスキーを撮影した。冬はチェアスキーのトップアスリートらと交流があり、地元沖縄の車椅子ランナーやコーチとも親しい。車椅子マラソンの撮影は初めてだけど、いい写真が撮れるだろうと数ヶ月前から楽しみにしていた。

大分県庁で事前の情報収集。対応してくださったのは事務局の幸さん。
幸さんに、故・ルードヴィッヒ・グッドマン博士の娘であるエヴァ・ルフラーさんにロンドンの選手村でお会いしたときの話を投げかけてみると、親切に話につきあってくださった。
つまり、私たちパラリンピックファンになじみの深い「失ったものを数えるな。残っているものを生かせ」というグッドマン博士の言葉は、どうやら、博士が言ったというより、誰か日本人が意訳して伝わったものではないか?ということ。もちろん、その訳をした日本人は、故・中村裕先生なのでは? ということで・・・。

ちなみに、日本障害者スポーツ協会のHPによると、「失ったものを数えるな。残っているものを生かせ」の元の文章は、「It's ability, not disability, that counts」としている。直訳は「注目すべきは、できるかであって、できないかではない」という感じ。何にしても、これを「失ったものを数えるな。残っているものを生かせ」と訳したことは、多くの日本人アスリートを励まし、協力者やファンを増やした名訳だったと思う。

ロンドンが終わったいまだからこそ、パラリンピックがどこへ行くのか?日本のアスリートがこれからどうパラリンピックに挑戦していくのか?一緒に考えたい。「大分」が日本の障害者スポーツ発祥の地としてあるということを思いながら、今年も車椅子マラソンを観戦しようと思った。

27日・大会前日のウォーミングアップ

洞ノ上選手が河川敷でウォーミングアップをすると聞いて、レース前の選手の様子を観に行くことに。
朝9時すぎに宿泊拠点(ベストウェスタンフィーノ。選手も多く泊まっていたホテル)を出発して、大分市陸上競技場の駐車場へは自転車で10分程度。今年は大分市陸上競技場がトラックの張り替え中で使えず、レース1日前の練習も長い大分川の河川敷がメインの練習場だろう。待ち合わせより少し早めに着いたが、もう洞ノ上は来ていた。

同じ時刻に駐車場に来ていたのは、昨年の大分で優勝したマルセル・フグとデッドヒートを展開した樋口政幸選手(33歳・T54/11位)。レーサーの調整をしていた。
樋口選手は、「ロンドン後は道具からすべてを見直さなければと思いました。練習はトラックに専念します。」と言っていた。
トラックの練習がマラソンでの競技力をつけるということは、ベテラン長尾嘉章(49歳・T54/ハーフ8位)も言っていたし、樋口自身もそう思って練習を続けてきているが、ロンドン後は、より「トラックに専念する」ということだろうか。

沖縄から最年少の城間圭介選手(16歳・T54/ハーフ24位)とそのコーチ・下地さんたちが一緒にいた。城間は樋口選手のレーサーに乗らせてもらい、すごく嬉しそうだった。小さな城間にとってロンドンのトップアスリートたちは英雄。彼はそんな先輩たちに囲まれて3年目になるが、大分では最年少選手として注目されるラッキーボーイ。今年は目標の1時間をきってゴールした。

チーム・ホッキー
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洞ノ上浩太選手(38歳・T54/3位)がトレーナーの荻原さん、同郷の松本選手と一緒に身体を動かしていた。
洞ノ上のストレッチはすごく念入りだ。ストレッチの後は、レーサーの手入れ。大型ワゴン車の荷台には必要な工具がすべてそろっていて、移動工房のよう。全国どこのレースへもこれで旅しているのだろうな・・。自転車競技でも使用されるカーボンマジック社製のホイール、固いタイヤ。こだわりの準備も万端。

ロンドンのレースで、1着から0.53秒遅れで6着だった洞ノ上。かなりカルチャー・ショックだったようだが、やる気が萎えたりはしていない。大分も全力でぶつかっていく。
ロンドン後、「自転車チームのようなチームでのレース展開ができれば・・」と、模索していた。また、そのために日頃からチームを組んで練習したいとも。
ロンドンから1ヶ月半で、洞ノ上は大分へもう「チームメイト」を引き連れてきていた。ハーフで出場した、松本直幸(33歳・T33/クラス3位)、渡辺勝(20歳・T54/クラス6位)、田中祥隆(37歳・T54/クラス36位)の同郷(福岡)の3名だ。
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ハーフ初出場の田中は、元競輪選手である。昨年、震災前の3月にトレーニング中に大事故に遭い、T54の車椅子ランナーになった。なぜ車椅子陸上を選んだのですか?
「ハンドサイクルも試したけど、手の運動が中心となります。自転車は全身運動だったから、車椅子レースのほうがいいと思った。」田中選手は言っていた。彼の奥さんも、「競輪のとき以上に練習しているんですよ」と夫の回復ぶりを楽しみ、応援していた。洞ノ上にとっても、自転車を知っている田中が練習チームに来てくれたことは心強いことと思うし、田中も洞ノ上のガッツにつられて始めたというのも半分あるような気がする。

車椅子マラソンの強化体制について洞ノ上は、日本が外国に遅れをとってしまうことを強く感じていた。選手が競技の現場で感じていることは、とても切実だ。今に始まったことではないし、選手は伝えようとつねに努力を続けている。マラソン選手だけではない。他の競技でも日本の課題が深刻な状況にある。水泳の河合純一もロンドンの解団式で「想定していたことが、明らかになっただけ。3位と4位の差で、首の皮が一枚つながったかどうかということでしかないでしょう。」と、言っていた。
私は、シドニー、アテネ、北京、ロンドン、冬はソルトレーク、トリノ、バンクーバーを取材して、パラリンピックは大きく変わったことがわかる。あらゆる立場、角度からの考え方があるが、いちばんは選手の感性を頼りにしてきた。社会が選手の声を受け止め、変わっていく瞬間を見つけ、伝えていきたい。


大分国際車いすマラソン、当日

28日マラソン当日は雨が心配されていたが、雨上がりの夏日となったことには、ロンドンでのマラソンの日を思い出した。
結果からいうと、マルセル・フグ(スイス)圧勝だった。ニュースはすでにパラフォトに寄稿しているので、ぜひそちらで読んでいただきたい。

ロンドンのランナーが大分に集合! 第32回大分国際車いすマラソン明日から(10月27日)
http://www.paraphoto.org/2006/?article_id=865

マルセル・フグが圧勝!(10月28日)
http://www.paraphoto.org/2006/?article_id=866
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by sasanoel | 2012-11-02 18:12 | 取材ノート
2011年8月6日
原爆から66年ということだ。
私は、高校1年の頃に日本を訪れている留学生たちと広島の平和式典に参加した。いまから25年・四半世紀も前のことになる。そのときの語り部に、同年代の広島女学院の学生がいた。戦争をしらない、原爆の直撃も知らない、被爆者の子供や孫たちだったが、すでに被爆者の高齢化の問題をしっかりととらえ、自分たちが新たな語り部として役割をもっていることを知っていた。

被爆した人々の住む街から新幹線で5時間の距離を帰省しながら、広島と横浜の時間と空間が隔てるもの、自分自身の記憶が隔てるもののことを考えていた。

被爆者とともに生きる広島の子供たちと横浜に住む私は、戦争や原爆を体験していないという意味では同じだ。しかし、距離が離れていることによって意識に隔たりがある。彼らに会ってそのことに気がつき、どんなにその想いを大切に感じても、生活をともにしない限り、リアルには感じられなくなっていく。人ごとになっていく。
年に一度、テレビや新聞の情報から知る事ばかりでは、どんどん風化してしまうだろう。そしてその風化に対する悲しみすら、いずれ消え去って、表面的には同じような平和な社会に生きているかのようになるのだろう。無意識になっていく。それこそが隔たりなのだと言うことを思っても、なす術もない・・・

「この想いをもつ人々と離れたくない。今こうして離れることは、どんどん忘れていくことだ」
広島から帰る新幹線のなかで、私には一瞬のうちに過ぎ去る焦燥感だが、語り部の子供たちにとっては、つねに現実で、もっとも切実な問題なのだろうと思った。


毎年NHKで見ている原爆慰霊式だが、今年は、原子力と核についてどのような発信があるのか、あらためて世界中が注目したと思う。アメリカの政府関係者の出席は2年目とのことだ。オバマはこないのか、と単純に思ってしまった。

3.11以来、震災と福島第一原子力発電所の事故を広島の人々がどう受け止めているのか、ずっと気になっていた。被爆者や、被爆二世、三世の彼らにとって、被災地の人々の心はとても近い場所あるのではと思っていた。

式典の発信は、松井一実広島市長をはじめ、子供代表、政府代表菅直人氏らは、一致して、被爆当事国として、被爆者への哀悼とともに、原発事故被害(被災)者の存在をはっきりと意識し、核廃絶に向けての宣言を行った。
核という人智を超えた存在への不安や危険に直面し、被爆者の意識の力を借りて、エネルギーとしての核を含むすべての核の廃絶をめざすということと思う。

広島・長崎を経験した被爆(被災)国日本は、今年、大量の放射能を排出することになってしまった福島第一原発を有する加害側の国となってしまったのだから。

広島で、長崎、チェルノブイリ、TMIで起きたこと、福島や女川だけでなく、日本中の54基の原発で起きるかもしれないことも含めて、すべてがつながっている。これまで多くの日本人にとって、距離や時間に分断されたことだったが、3.11以後は隣人のこととしてとらえなくてはならなくなった。
さらに、正確な情報を知ろうとする中で、自分たち自身のこととして考え、対処しなければならなくなっていくことだろう。被害の状況が明らかになるにつれて、被災地域と非・被災地域の境はあるいみ不明瞭になっていくだろう。

そんな原爆の日であるけれども、母は、夏祭りの準備に出かける。

パラレルであることは、願いでもある。
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by sasanoel | 2011-08-06 10:34 | 取材ノート
日下郁郎さんの企画、21日に
先週、石巻に行ったとき、仙台で「原子力発電を考える石巻市民の会」の日下郁郎さんの講演をお聞きした。
日下さんは、女川原発のある石巻、女川で30年以上、原発への疑問を投げかけ、言葉を発してきた人。
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日下さんの企画で、今度は海洋汚染に詳しい湯浅一郎さんを石巻に招いて行われる。
漁業の盛んだった石巻では7月中旬から仮設魚市場も再開しているが、福島原発の汚染水の影響などについて、実際のところはどうなのだろう。

テーマは、『福島原発震災から三陸の海の放射能汚染を考える』
原子力発電を考える石巻市民の会のHPに詳細が掲載されている。さっそく、申し込んだ。

写真は、日下さんの講演のあった、7月17日の仙台の街。東北六魂祭が行われた日で、街はにぎやかだった。
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by sasanoel | 2011-07-29 19:57 | 取材ノート
7月に、石巻を旅行します。
7月の中旬に、仲間と石巻を訪ねることになりました。
そこで、石巻へ旅行者として行くことで、地元に暮らす人々に対して何ができるのだろう?と考えます。

私以外は、みな初めて被災地に入ります。東京から、ひとりはアメリカから。数日間、旅行者として、この地を訪れてみます。
共通点は、非・被災者で、よそ者で、普段は障害者のスポーツの取材でつながるNPOのジャーナリストでもあります。どんな形にせよ情報を発信する立場では、いずれ自分の知り得たことがアウトプットにつながります。たとえば、読者の中に、これからはつねに被災した人々が含まれることでしょう。一人ひとり、これからにつながる旅行ができればと思います。

つづき
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by sasanoel | 2011-06-26 16:50 | 取材ノート
やっぱり今日は、村上春樹
そして、やっぱり、私は、地震や放射能は恐い。
http://www.youtube.com/watch?v=ZL-W7tX1Z-Y&NR=1
You Tubeより、村上春樹のスピーチ。
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by sasanoel | 2011-06-11 23:04 | 取材ノート
震災から、2ヶ月
ちょっとまいった。ボランティア、NPO活動の限界を感じる出来事。
この件については、今は書けない。

それより、現代写真研究所の「全校検討集会」に参加してきた。
震災にさいして、カメラマンとして何を考えたか、考えていけるか。わたしが石巻に関わっていく参考にもなった。このイベントについては、後ほどこのブログで紹介します。

(ちょっと時間切れ。)
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by sasanoel | 2011-05-12 01:27 | 取材ノート


被災者も非被災者もともに平和で楽しく暮らせる社会をめざして。2011.03.11 ご連絡、記事についてのお問い合わせ、取材依頼は筆者までメールで。sasanoel@gmail.com
by sasanoel
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