カテゴリ:取材ノート( 34 )
お花見前夜の話
日和山公園から、河口、日和山大橋を望む
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日和山でのお花見には、当初賛否両論あった。
賛成派は、もちろん復興に向け前にむかう気持ちである。反対派は、日和山という場所が、素晴らしい石巻の景勝地であるだけに、抵抗を感じるようだ。
いま、その自慢の景色は、無惨な瓦礫が続き、津波の被害を雄弁に語っている。
瓦礫のなかでは、河口付近の岸辺に供えられ花がくたびれて、海を見つめている。津波にさらわれ、海にただよう遺体の帰りをいつまでも待っているようだ。

そんな被災地の桜の名所で、今年は、誰一人ブルーシートを開こうとする人はいなかった。

お花見の前日・4月30日に到着したわたしたち(今回は2名の同行者が、お花見の撮影と発信のお手伝いに来てくれた)は、石巻で会う人に日和山でのお花見について、お誘いもかねて聞くようにしていた。

日和山を散歩コースにしているおじさんは、「ここはお花見の名所なんだけどね、こんな景色でねぇ、お花見もやる気さおきねぇんだろうなぁ」と、別の散歩の一行と話していた。そう言いながら、被災地に新しく来たと思われるボランティアや市街からと思われる人たちに、しばし園内のツアーガイドをしていた。
60歳になるそのおじさんは、若い頃、トヨタ自動車のトップセールスマンだったこともあり、その話はテンポ良く、無駄もなく、宮城訛り(ズーズー弁)も聞き取りやすい。
帰ろうとしていたおじさんを呼び止め、解説を求める私にも、被災の時、被災後のこと、今の自分や家族のことなど、公園内を案内してくれながら、話が尽きなかった。家族はいるが、いまはわけあって一人暮らしをしているという。父と同じ、石巻商業高校の出身だった。

明友館避難所の従兄のヒロシ、叔母や叔父、南境の親戚、専修大のボランティアセンターの運営担当者たちにもお花見のことを話してみた。みな反応は微妙だった。日和山という場所が、石巻の人々にとって大切で、今は直視できるかどうかわからない悲しみの場所であることが、みにしみて伝わってきた。

しかし、反対だという人には、あまり会うことがなかった。もちろん、遠慮もしているのだと思うが・・
お花見のお酒というと、「馬鹿騒ぎ」「無礼講」というイメージもあるが、お酒にはいろいろある、ということを知っているのも、お酒好きの宮城の人らしく、理解があるように思う。

天気の良かった前日と違い、GW期間でこの日だけが雨の予報も皮肉な話しだった。
晴れさえすれば、なんとなく集まり、主催者が自腹で用意した地酒・吟醸酒「日高見」を飲みながら、分かち合いの時間を持つことはさほど想像しにくいことではない。果たして、地元の人々が集まってくれるのか?そんな心配をしながら、その夜は、名友館避難所に泊めていただいた。
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by sasanoel | 2011-05-02 10:38 | 取材ノート
避難所の朝
従兄のはからいで、同行者とともに3人で避難所にとめてもらうことになりました。
4時台から起きる人がいましたが、本格的にはみなさん6時くらいに起床しているようです。昨夜はお弁当を今日は朝ご飯を分けていただきました。優しい対応に感謝です。

今日はこれから日和山での地元の方のお花見のお手伝いです。
雨がすこし降っていますが・・・
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by sasanoel | 2011-05-01 07:25 | 取材ノート
お花見へ
また今日、夕方から石巻へ出発する。今回は、パラフォトのメンバーを伴い、地元の方のお花見の記録、取材のお手伝い。このお花見は、石巻出身の東京のサラリーマン雁部さん。お花見は、石巻の桜の名所・日和山公園。

【お花見の概要】
日 時 平成23年5月1日(日)10時から飲食物提供予定(16時閉会予定)
場 所 石巻市日和山公園(上部エリア)
参加費 無料
地酒の振る舞いがあるそうです。

主催者の呼びかけ

地元の方に多く参加していただいて、美しい桜に心を休ませていただけたらと思います。また、当日は、パラフォトのメンバー(カメラマン、ジャーナリスト現在4名)が取材と記録でお邪魔します。ご協力いただけましたらさいわいです。媒体がメンバーのブログ以外にはまだ決まっていませんが、リリースをしつつ、注目をしていけたらと思っています。

<石巻の記事>
話題は変わって。
昨日、4月28日(木)、大川小学校での合同慰霊祭が行われた。この日は震災から四十九日に当たる。
河北新聞と朝日新聞の記事を紹介しておく。

「娘よ…この日に会えた 四十九日の供養直後に発見」(朝日新聞:2011年4月29日5時0分 全2ページ)
http://www.asahi.com/national/update/0429/TKY201104280772.html

「84枚笑顔の写真 石巻・大川小で合同供養式」(河北新報2011年04月29日金曜日)
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110429_27.htm
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by sasanoel | 2011-04-29 09:15 | 取材ノート
被災地観光について
被災地の惨状を学ぶために、多くの人が被災地を訪れている。
ボランティアで泥だしをしている人たちの中にも、被災者を助けたいという気持ちと同時に、被災の状況や体験した人に学びたいという気持ちがあることだろう。しかし被災地観光(学習?)には実際、被災地の人々の感情を傷つける誤解や現実があることを考えなくてはならないと思う。

昨夜、そのことを話し合っている会議の場に遭遇した。勤務先の知的障害のグループホームで、また被災地支援行く時に何をしたらいいかという会議だ。その中で、「悲惨さを体験する希望者を募って被災地へ行く」ことについて、利用者に誤解が生じているということだ。どの部分が誤解なのかどうか、わからないが、どうやら、キチンとコンセプトが決まっていない中での情報管理に問題があったようだ。

被災地観光そのものについて、教育目的をいけないということは言えないのではと思う。しかし、実際、被災地へ行き、惨状を目の当たりにしてきた自分が思うことは、やはりそこには当然、被災者がいるということだ。見物(見学と言葉を変えても)目的ととられ、被災者を傷つけたり、誤解を生じたりのことがあるということだ。

被災現場に行く人の中には、いろいろあると思う。そしてそこにいる目的は、はっきりと、違っている。
まず、被災地にはまだ家族の遺体を探している人や、瓦礫の中から探し物をしている被災者もいる。
つぎにそこに何らかの縁があって、他県から訪れる(帰省する)人もいる。

かと思うと、めずらしいからと被災地を訪れている人々もいる。彼らは、大きく倒壊した景色や、見ず知らずの人の家の前で自分たちの記念写真を撮影をしているという。
さらに、先日発覚した北海道の28歳男性は趣味目的で避難所に侵入し、寝ている人をビデオで撮影したというプライバシー侵害もある。(実際、避難所の状況をかなり把握しなければ避難所への侵入は難しいと思うが・・。避難所では防犯体制がキチンとできているわけではなく、治安が悪いと言われている。原因がこうしたことかもしれない。)

被災者も今はだんだんと日常を取り戻しつつある中で、さまざまな人が訪れることについては、被災地なりに理解もでてきたのではと思う。
そうした中で、被災地外の人が、東北の長い復興を支援するために、見学目的でそこを訪れるのは、必要だと私は思っている。でも、その意志は個人的なものだと思うので、連れ立っていくことが被災地の人々に理解されるか、わからない。誤解もあると思うし、おすすめできない。

GWに集団学習的に団体で被災地に学ぶことを考えるなら、営業を再開した松島の旅館などへ宿泊に行ったりするのはどうだろうか。お花見などの場に、準備や片付け、炊き出しなどに行くのはどうだろうか。それにしても、車で被災地へ入ることは渋滞を引き起こし、緊急車両の通行の妨げになるので控えるようにということが言われている。実際、三陸道は1車線になっていたり、路面状態により50〜80キロの速度規制となっている。

日々変わる被災地のニーズに対して、県外で支援や関わりを考える人々も右往左往していることと思う。先日このブログでも、従兄のヒロシが衣類の寄付が多すぎるため、他の避難所でも受け取りを拒否されたということを伝えた。送ってくれた人の気持ちを大事にしたいと考えた結果、支援物資として海外へ送ることにした。

余剰な古着を避難所から買い取るという支援があってもいいのかもしれない。

と、「被災地観光」から話がずれてしまったが・・、復興支援には、現場の状況を把握することも大事だが、それより前に、支援者側のモチベーションによる支援のためのコンセプトメーキングが必要で、それがないと、何をしたらいいのかと、右往左往してしまうかのもしれない。
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by sasanoel | 2011-04-28 06:58 | 取材ノート
門脇へ
父と昨夜9時に待ち合わせて、横浜から、東北道へ一路、マイカーで石巻へ。

出だしは順調。三陸道が通れるようになっており、速度制限(80キロ、50キロなど路面の状態にあわせて)があったが到着が朝の5時と早かった。叔父のいる2階へ行こうということだったが、あまり早いと起こしてしまうので、父がみたいという場所を見に行った。

門脇。冠水した水の中を進む。このあたりになじみのある父は、瓦礫の山に目を見張っていた。もちろん、わたしもだ。
ここはほとんどの家の機能を残さずに破壊され、ボランティアが片付けに入ることもできない場所である。震災の翌日から、車道の瓦礫を取り除く以外は、たぶんそのままの瓦礫が続いている。

地震と津波から1ヶ月以上経ったいまも、倒壊した家々の前で、数名の人が家族を捜索している。その一人と目が合う。カメラをそっと隠す。

海にさらわれたのかもしれないと岸壁には数本のユリの花が河口に向けて備えられている。

雨の日曜日の早朝、こんな悲しい場所に他県からも人や車が訪れるのは、縁あってのことであるけれども住民からすれば心ない訪問者である。すまなくおもわれた。
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by sasanoel | 2011-04-23 21:49 | 取材ノート
横浜市役所を訪ねました
4月21日(木)。1月から毎日受けている介護福祉の授業が午前中休講となり、空いた時間、横浜市役所へ。
入り口で、GHの職員の黄金さんに会い「ブログ見ましたよ!」と、ちょっと立ち話。

8階建ての横浜市役所ではみな階段を利用していた。3階に、消防局危機管理室が設置されていた。非常時は庁舎全体が災害に備えたモードとなり、この危機管理室に設置される対策本部に各局から職員が集合、事態の調整にあたるという。現在は消防局の職員46名が勤務している。
3月11日の横浜での帰宅困難や被災者に対応して設置されたが、現在は被災地支援に関する対応、調整も行っている。不測の事態に備えた対応と調整をしている。

カウンターで対応してくれた海老原さんによると、横浜の災害対策の課題は、これまで津波が来ても上陸しないという推定がなされていた。これからは上陸するという前提も検討しなくてはならないということだ。

■被災された方へ(横浜市役所HP)
http://www.city.yokohama.jp/me/shobo/kikikanri/h2303jishin/#thisai

横浜市の被災者受け入れ状況など
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by sasanoel | 2011-04-22 11:09 | 取材ノート
「海に浮かぶ都・ヴェネツィアに学べ」
週間文春4月21日号の「私の日本再生計画」で塩野七生さんが「海に浮かぶ都」ヴェネツィアに学べ」と題して寄稿していた。地元っ子にも、もっとも美しいと愛されるイタリアの水の都・ヴェネツィアはもともと海面より低い潟に造られた都市で、古来より人々は海とともに暮らしてきた。ゴンドラで有名な水路は、人が物を運ぶための運河として造られたのではなく、水を流すために造られたのだそうだ。水は、留まれば溢れて街を沈めてしまうし、水かさによらず、濁ってしまうと悪臭を放つ。そのことは、まさに石巻の津波への課題と重なる。

ここから
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by sasanoel | 2011-04-17 10:42 | 取材ノート
震災から1ヶ月と5日目の石巻ーやっと水が!
4月16日(土)、9時ごろ、石巻に到着。4度目の訪問となる。
物資が行き渡り、石原軍団の炊き出しが1週間滞在するなど、支援が広がっている事が、被災した人々を安心させているのか、街は落ち着きを取り戻してきているだろうか。モクレンの花も咲いている。

市役所では、被災・罹災証明の受付が、週末も関係なく行なわれている。1日800人までに整理券が配られて受付されるようだが、叔母の話によると、「94番で待っていたけれど、1日かかったよ」とのことだった。
けさ(17日・日曜日6時ごろ)も、被災した人たちがならんでいた。

市役所の障害福祉課のSさんに、箕輪さんから聞いた横浜の受け入れ先の情報と、直接話してもらえるように連絡先を伝えた。ここから先は、わたしにできることは、あまりない。もし石巻から横浜へ来ることになった場合、利用者さんとして対することができるだろう。

従兄のヒロシは非番で、疲れているようだった。また、ちょっと体調も崩しかけているようだ。
このブログを読んでくれている友人が、「ご親戚は今も困難な中にあると思いますが、いきいきと乗り越えておられるご様子に、こちらも励まされます」とメールの中で感想をくれた。たしかに、ほんとうだ。
体に気をつけて、無理しないでほしい。

今回は、叔父の被災後はじめての買い物(?)に付きそい、叔父と疎遠になっていた親戚を会わせるなどのことで、1日終わった。叔父との話で、叔父が避難していた「ひたかみ園」というところに、来週は行ってみることにする。また、専修大学のボランティアの状況も、次回また。

今回来て変わったことといえば、一番は、駅周辺だけでなく不動町にも水が出るようになったこと。石巻大橋の信号も、15日から電気がきていたこと。
水がきたことで、またそうじができる。忙しくなる。

石巻から仙台へ向かう高速バスより。詳しくは、また。
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by sasanoel | 2011-04-17 07:37 | 取材ノート
石巻2002ー2010 竹内敏恭写真展
Date:2011年4月15日22:54
Subject:石巻写真展 | 写真
by:sasanoel@新宿

石巻の風景を写した写真展に行ってきた。

写真家の竹内さんは、東京生まれであるが、奥さんのご実家が石巻市‪田道町‬の時計店で、石巻にはなじみ深いものがあった。定年退職後、現代写真研究所で写真を学び、帰省のたびに撮りためていた石巻の写真は「斜陽を迎えた漁業の街、廃墟となった造船所の姿により寂しくなってしまった街を残そう」という意図で撮り始めた。しかしかつての漁村だった石巻には、活気こそないが、新たな人々のそれなりに楽しげな日常生活があった。確かに、石巻の人の日常生活があったことがわかる。
東京で、好きな石巻の写真展ができることになり、竹内さんが写真を現像していたとき、地震と津波が竹内さんの写真の風景を全て飲み込んでしまった。
モノクロの35点は、どれもつい昨日までの風景なのに、何十年も前の、遠い昔の路地に差し込む光の暖かさを伝えているかのように感じた。そこに光が差し込んでいたのに・・と。(ササノエルがすでに瓦礫の山を見てしまったあとだからなのだけど・・)

「ここにいると、今の石巻へ行ったという人からいろいろな情報をもらえるんだよ」と、竹内さんはいう。いまは展示があるから行けないが、写真展が終わったら、石巻へ行こうと思っているようだ。いつか、石巻の人たちに懐かしく見てもらえるときがきたら写真展をやりたいという。展示した写真以外にも、たくさんの写真があるという。竹内さんの貴重な写真たちは、自然がもたらした皮肉な命を与えられた。

竹内敏恭(たけうち・としやす) 写真展 石巻2002ー2010
日程:2011年4月12日(火)〜21日(木)
会場:新宿 コニカミノルタ ギャラリーA
アクセス:JR新宿東口、地下鉄丸の内線「新宿駅」A7出口から徒歩1分(フルーツの新宿高野4F)

石巻の写真を展示する竹内さん。昨年亡くなった友人カメラマンの友人だった。
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by sasanoel | 2011-04-15 22:59 | 取材ノート
障害者の2次避難先、市内に1000人規模の施設を!
「障害のある方にどんな支援をされていますか?」
愚かで、心ない質問をしたと、すぐに後悔した。

3月にこの取材(非被災者としての取材)を考えた当初から、障害のある人が、避難所でどうしているか、一般の避難者とはちがう苦労があるのでは?と考えていた。状況を知り、支援の方法を考え、支援できそうな人や団体に知らせようと考えていた。石巻市役所でわかったことは、平時に状況を把握し要介護や障害者の対応をする役所の機能も被災しているということの現状だった。

4月9日(土)、震災から1ヶ月がすぎようとしていた。命が助かり、小さな余震にも慣れた頃、過去最大と言われる震度6強の大余震と津波警報による深夜までの避難が、避難者を襲った2日後の週末。
まだ一般業務の再開されていない市役所には、障害福祉課の窓口には一人の障害者が、数名の付き添い、介助者とともに数名で相談にきていた。日常なら真剣に時間をかけて対応するところだが、震災で多くの障害のある市民が増えてしまい、状況を把握することが困難である。機能すべき職員もまた被災し、家族を失いながら、登庁していた。

「障害者だからといって手厚くなんてできる状況ではありませんでした。みんな被災者になってしまった」と、Sさんは言う。親切そうな顔は疲れて、こわばっていた。窓口でもお世辞にもにこりとはせず、非被災者の訪問を歓迎しているとは言えない。話しを聞きたいなどと悠長な申し出にイラついて、すぐに追い帰してやるぞという戦闘意欲、いや、被災の状況を知らない人の無神経さに傷つけられるのを警戒していたと思う。

いまだ、こんな状況で私は何を聞こうとしていたのか。主旨を忘れかけたが、Sさんの話をとりあえず聞こうと思い、現状を話してほしいとたのんだ。

震災のあと、さらに多くの障害者、福祉を必要とする人を抱えることになったことは確かである。もともと障害だった人も、さらに障害を重くしたかもしれない、震災そのものが原因で、精神のトラウマ、身体障害となり、認知症の高齢者は症状をすすめた可能性がある。でも、どんな障害であれ、医療の必要な人であれ、役所からの物資は、300人いれば300人にパンをとどけなくてはいけない。199個しかないけど、持って行くということができない。これ以上誰も不利な状況に陥らせてはいけなかった。

何倍に膨らんだのかわからない被災者の安否情報を、県外の職員が加勢して調査していた。叔父のところにもやってきた。2人組の大津市からの派遣された保険士は、避難所や2階などに住める家の全てを回り、人がいるかどうか、誰がいるのか、健康状態はどうか?ということを聞いていた。おそらく、他県からきた職員はこの業務に急ピッチであたっているのだろう。

11日(月)から窓口業務が始まる。課題は「2次避難」である。
1次避難の対応で、物資がある程度足り、多くの避難所で生活できるようになってきたところだが、石巻では21日に学校が始業式となる。それまでに、学校機能を回復しなければならない。学校に避難している人の状況に会わせて、避難先の選択肢が提示されることになる。
しかし石巻の場合、地域を離れたくないという意志がつよく、市外への2次避難を希望する人は少ない。
単身や、小さな家族でも、仕事があれば、離れる事は難しい。
市では、2次避難のための避難先への「お試し制度」などを避難先の自治体に要請している。

市民にとって大きな決断を迫られるときだが、この対応の過程で障害のある人や介護を必要とする人には、やっと、手帳の制度を使った対応が考慮されることになる。といっても、市内の施設や介護に携わる人も被災しているから、やはり県外を含めた2次避難ということが、障害者にとっても選択肢として含まれることになる。「支所としてでも良いから、市内に1000人規の施設がほしい」とSさんはいう。いまは市外へケアを受けにいかなければならないとしても、石巻に戻って来れるように。

地域福祉の方向性として、脱施設の方向にあるのが日本の地域福祉これまでだけれど、震災をへた今、あらたな対策として、大規模施設の急遽設置が求められている。
このニーズに対して、いろいろ考えるところはあると思う。
でも、考えている暇もないというのが現実だろうと思う。
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by sasanoel | 2011-04-13 08:53 | 取材ノート


被災者も非被災者もともに平和で楽しく暮らせる社会をめざして。2011.03.11 ご連絡、記事についてのお問い合わせ、取材依頼は筆者までメールで。sasanoel@gmail.com
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