カテゴリ:取材ノート( 34 )
復興のための報道
一方的なジャーナリズム論で、方針のことなる報道を批判して、「真実を」という取材活動は、いま、どうなのだろう。
ロバート・キャパをお手本にした戦場取材、フォトジャーナリズムを説く。福島第一原発を、チェルノブイリになぞらえて恐れる。危険をかえりみずに福島で取材するが、彼らの放射能計測では、はりが振り切れてしまうとのことで、実際の値がわからない。そのことを書く。命がけの取材で真実を突き止めようとしていることだろう。一方で、日本メディアは真実を隠しているとか、遺体を写さない、と言い自分たちの取材コンテンツへ誘導している。商売だから、仕方ないのかもしれない。では、この取材姿勢から得た彼らの「真実」は、読者の人生をどうしたいのだろう。彼らの発表媒体は、月刊誌デイズジャパンと有料のインターネットサイトである。

3月11日から、わたしはいつも食い入るようにテレビを見ていた。NHKがもっとも多くの現地からの情報を伝えていたから。見ながら、わたしに何ができるだろうか?と考えてきた。そして、インターネットで記事を探した。多くの「非被災者」がそうであるように。

いわずとも分かりきったことは、テレビやラジオ放送と有料の月刊誌では情報供給力が比較にならない。お互いまったく違う活動といえるし、補完し合いこそすれ、批判など意味はないと思う。

非被災者の見ている情報は、同時に、被災者にも届けられる。当初避難所は停電でなかなかテレビをみることはできなかったと思うが、地震と津波の起きたその日から、NHKは被災現場の状況をできる限り伝えようとしていた。被災した局もあっただろう。また、地元の河北新聞は、ウエブに多くの記事を掲載するほか、被災地の人々へ新聞を配達しつづけていた。「情報を必要としているのは、被災者だ」と。

それでも、「テレビを消そう」と言われることがある。子供たちも見ているからだ。倒壊の様子を、テレビはあまりにもリアルにとらえている。何度も同じ映像を流しているのが大人にはわかるが、子供にはまだ津波が続いているように見え、不安を煽っているという。
しかし、そんな批判が出るころ、それは間もなく視聴者者の声として反映されたようだ。買い占めの問題にしても、放射線測定の様子にしても、福島の避難者のことも・・視聴者はみんな知っている。
「これは今日食べるためのもの。買い占めじゃないのよ」と福島のスーパーで食べ物を買う主婦が、テレビのインタビューに答えている。被災者も非被災者もテレビをみているのだ。
テレビと毎日配信される新聞、ラジオの情報は、あらゆる人々の生活の情報源となっていることを実感する。

NHKと河北新聞から、そして、その報道に触れる視聴者・読者から、「情報による復興支援」がいち早く始まっていたと思われた。
東北関東大震災の報道の目的はつねに、「復興」でありたい。
[PR]
by sasanoel | 2011-03-24 02:56 | 取材ノート
医療は被災者も非被災者も
16年前の3月に起きた「地下鉄サリン事件」で被災地となり、聖路加病院は先頭に立って患者を受け入れた。災害に備えて病院施設の全てが解放され、多くの犠牲者が運び込まれたことを思い出し、聖路加病院のサイトに行ってみると、どこのサイトにもあるような、東北関東大震災へのお見舞いメッセージのようなものは掲載されていなかった。14日づけで「通常通り診療を行なっております」という一文、また、16日づけで「当院では、被爆を調べる検査は行なっておりません」と、「東北関東大震災 ご寄付のお願い(3月17日現在、276,906円のご寄付をいただきました)」と、ある。病院というところが、被災地の人も、非被災地の人も同じように受け入れる場であることを再度認識した。ホームページを管理している業者が怠慢なだけではないと思う。

また、日野原医師のブログ「日野原重明の100歳からの人生」では、「被災地からの患者の輸送を待っています」と題し、状況についての現実的な意見が述べられている。
[PR]
by sasanoel | 2011-03-22 07:25 | 取材ノート
宅急便の営業
つまり個人からの支援が出来るようになった。
支給品だけで、平等にということもあるし、遠慮もまだあるかもしれないが、個人的に援助を受けられる人がいれば、他の避難者への物資も回りやすくなるだろう。

佐川急便で19日から青森県、秋田県、山形県」の全域で「営業店止めサービス」+集荷・配達を開始3月22日から。

クロネコも佐川と同じ営業店までの集配。3月21日(月)より、岩手県、宮城県、福島県でサービスを再開

クロネコのほうが、営業店が多そうです。営業店までも行けない被災地が多いですから、もう一歩何か・・・。例えば、被災地では新聞を読んでいる人がいたのですが、新聞販売店が仕事をできる状態であれば、新聞販売店と提携するなどどうでしょう・・
[PR]
by sasanoel | 2011-03-22 00:47 | 取材ノート
石巻の親戚
ようやく、携帯電話がつながり、父が叔父と話せた。

父はグーグルのパーソンファインダーへの書き込みの仕方をマスターするのは大変だったが、システムの意味はすぐに理解してくれて、書き込みや消息情報を受け取ったりしていた。
しかし長い(と思われる)間、本人からの書き込みはなかった。あるのは、親戚や消息を探す人の更新してくれる情報だ。
それによると、しばらくの間、叔父の情報だけがなかった。
叔父は、郵便局の元局長さんで、地元をこよなく愛するおじいちゃんだ。町内会の人たちと一緒に避難していたようで、そのため家族から離れた避難所にいたようだ。たぶん、さほど離れているわけではないと思うが、いまも、家族とあまり連絡をとりあう状況にないようだ。

横浜では、被災者住宅の受付の締め切りが24日となっているのだが、そのようなことを言い出す余裕などない。まず生きることに精一杯頑張っているさなかなのだと、父の話からわかった。

震災の日、いとこは野蒜の農協に勤務していたいとこから「石巻へ向かっている」と父の携帯にメールが入っていたきり、約1週間、連絡がとれなかった。
別の親戚からの連絡で、みな家の中から一歩も外にでれない状況で、親戚同士が連絡を取り合うことができない状況だということだった。
地震の揺れがどれほどだったのか、それより津波にどの程度襲われたのか。まったくわからないまま、パーソンファインダーに整理された情報で、なんとか彼らがみな無事であることを知った。


1週間が過ぎ、いま、だんだんと状況がわかってきた。
津波は、海岸から親戚の家のある旧北上川流域の一帯に浸透し、石巻駅まで到達したようだ。父の実家は1階は浸水で使えなくなっているそうだ。

父が私が行くかもしれないことを伝えたら、「長靴が必要だな」と、アドバイスをくれた。
そんな状況のなかでも、こちらを気遣ってくれる。石巻の人だと思った。

[PR]
by sasanoel | 2011-03-20 20:09 | 取材ノート


被災者も非被災者もともに平和で楽しく暮らせる社会をめざして。2011.03.11 ご連絡、記事についてのお問い合わせ、取材依頼は筆者までメールで。sasanoel@gmail.com
by sasanoel
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
カテゴリ
全体
横浜
東北
スポーツの前後左右
ボランティア
取材ノート
記事リンク
東京
ヒロシから
動物
福島
作品から
記者会見から
反原発
トライアスロン
TOKYO2020
ササノエルカフェ
以前の記事
2016年 02月
2016年 01月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 05月
2014年 10月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 03月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
リンク
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧