カテゴリ:東京( 10 )
高円寺ちゃぶ台TPPストリートミーティングが妨害にあい、退場へ?! 〜言論と集会の自由について〜
おはようございます。
エドワード・スノーデン氏の逃亡でアメリカでも言論の自由がおびやかされています。もしかしたら、もう日本では個人の独特な発言などできなくなっているのかもしれません。KYなブログを書いてみます。

今の日本人の言論・表現の自由はどうなっているのか。
ご家族に公務員や政治家がいたり、大手企業勤務、フリーランス、ライブワーカー、何かの活動してる人、事業経営している人、病気にかかっている人、アスリート、順風満帆な人、そうでない人などで感じてる状況はちがうかもしれませんが、ブログはもちろん、Facebookも監視され、市民の意見までが広告代理店の商材として重視されるようになっています。

一方、理想的な社会をめざした日本国憲法も、戦争ができるように変えようという案が現政権から出されています。「知らなかった」で、戦争に向かう社会に貢献している人けっこういると思います。
一度詳しい説明が必要だし、市民はいまこそ、ちゃんと市民としての役割をしないとって思います。

デモが好きでしょうか? いずれにせよ、発信しなければと思うことはあります。デモを含めさまざまな方法で、立場で、発信し、伝えていくことが大事で、妨げられてはいけないと思う。

柄谷行人さんの311後のデモの際に書かれた文章の抜粋です。

「デモをすることが当たり前だというふうになればいい。「就活嫌だ」のデモでいい。「職をよこせ」のデモもいい。デモをやる理由は無数にあります。今の日本企業は海外に移って、日本人を見捨てています。資本はそうしないとやっていけないというでしょう。しかし、それは資本の都合であって、その犠牲になる人間が黙っている必要はありません。異議申し立てをするのは、当然のことです。それなのに、デモのひとつもできないのなら、どうしようもないですね。誰かがやってくれるのを待っているのでは、何もしないのと同じです。」
反原発デモが日本を変える
http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-64.html



言論や集会の自由は憲法で定められた国民の権利ですが、法律どうのより、自由な発信がしづらくなっていくのはイヤです。憲法を持ち出してもどうにもならなくなってきたことはおおきな問題と思います。
議論が必要な多くのことを日本ではタブー視してきたため、問題解決が遅れたと思います。議論をかさね、考える必要のあることを日本人は怠ってきたと思います。それにより、核廃棄物という今世紀中に解決できない大問題を抱えてしまいした。

農家、さかな屋のおっちゃんが食の担い手として感じている不安があれば、正面から解決するのが社会づくりではないでしょうか。それを手間ひまかけて環境問題にし、政治と経済の文脈で議論を繰り返し、当初の的をはずし、健康問題(実害の問題)よりも風評問題(情報の問題)だなどとすり変えてしまう。結果多くの人が、健康・風評・経済と、ダブル、トリプルパンチに苦しんでいます。問題の当事者をいれない議論だからではないでしょうか。外国人がら見たら、日本人の自作自演です。こんなことのために税金が使われる国に住みたいですか。

一人でも、二人でも、ふと感じること、小さく願うこと、さまざまな人にとって問題解決につながるアイデアが妨げられず、多くの人に開示、共有され社会へ反映されていくことを願います。


前置きが長くなりましたが、本題です。
TPPの推進に疑問や不安をもつ人で話し合う"ちゃぶ台"イベント「TPPストリートミーティング」が酔っぱらいとダンサーなる人物に妨害され、警察に退場させられたそうです。
見知らぬダンサーがあらわれ、見知らぬよっぱらいを連れて来て、ひとりでその場を離れ、警察に「酔っぱらいが騒いでいる」と通報したのだそうです。鵜呑みにする警察も警察です。なぜ飛び入りの通報者が正しいとなるのでしょうか。まるで原告と被告が不正に逆転した裁判ドラマですし、なにより憲法を侵してまで集会を取り締まったり、(やらせ?の)酔っぱらいを排除する必要あるでしょうか。だとしたら、警察も確信犯なのでしょうか?ますますドラマチックに悲劇です。

このストリートミーティングに私も2度ほど訪ねたことがありますが、酔っぱらうような話はしていませんでした。話題が真面目ですし、きわめてソフトで、どんな見当違いの話を多くする人がいても、真剣にきき、話をさえぎることのない優しい人々と感じました。反原発を訴えるデモを官邸前などで行なっている人々ですが、みな大きな権力の壁に疲れて、気の毒でした。彼らのような人々が疲弊して力を失うのはよくないと思いました。

311後、これまで見ようとしなかった世界が気になり、市民が社会への疑問を投げかけようとするのをこの目で確かめようと何度かデモや議員会館での抗議を見てきました。そこには疑問を通り越した現実の証言と、助けを求める悲痛な叫びがありました。
市民ということを、20年以上前に広島で考えて以来、考えました。私は、政治や経済のことを詳しく知りませんが、そういう人も多くいると思うので、あたりまえのことですが、書いておきます。

まず、憲法にも保障された言論の自由や集会の自由など基本的な情報発信が守られることを願います。少数でも大事な願いがあれば、その実現のために働く人をきちんと評価し、選び、自己責任を乱用せず、実現にむけて協力しあえる社会をのぞみます。
[PR]
by sasanoel | 2013-07-03 10:50 | 東京
LGBTは、わたしの友達
d0230639_13285186.jpg
L=レズ、G=ゲイ、B=バイセクシャル、T=トランスジェンダー。日本語でいうと、同性愛者、良性愛者、性同一性障害者。しかし、LGBTは一般に認められる障害者として、立場への理解が浸透しているわけじゃない。

「性」について違和感をも持たない多くの人間にとって、「性」への認識の違いを感じ、悩む気持ちがわからない。わからないために、傷つける。さらに、多くの社会的無知により、政府などの権力が、LGBTへの差別や、表現の自由を奪い、さまざまな社会的不利益をもたらそうとしている。

今回、1月13日(土)東京でのデモのきっかけは、自民党のジェンダー政策アンケートへの回答として「性的マイノリティ(LGBT)に対する差別や社会的排除をなくす」という項目に「どちらかと言えば反対」との回答を示したところに抗議が始まった。

デモには、150人ほどが集まり東京の街を歩いた。性的マイノリティ当事者の心や身体のありようはさまざま。レインボーの旗印は、表現や好みが自由であり、そんな心が美しい虹のように輝くことの大切さをやさしく呼びかけていた。

主催者は、当事者ではないが、落ち込んでいる友人のためにこのデモを企画したという。
http://p-wan.jp/site/
[PR]
by sasanoel | 2013-01-15 13:39 | 東京
2012年、首相官邸前での最後の金曜日 ーヤシンタ・ヒンさんに聞くー
12月28日、金曜日。2012年の最後の抗議活動にいくという友人に誘われて、霞ヶ関へいく。
d0230639_1831521.jpg

反原発の活動をするオランダ人・ヤシンタ・ヒン(Jacinta Hin)さん。20年以上日本に暮らしている。キャンドルを灯して展示、世界の人々のメッセージを伝えている。この活動は、ディーンというイギリス人がリーダーで始まり、今回で8回目(2ヶ月)になる。

ーーなぜキャンドルイベントを始めたのですか?
「その前も、抗議に毎週きていましたが、あまり若い人たちがいなかった。ある日、今日は違う感じでやりましょう、ということになり、キャンドルをもって、平和的な原発のない世界を訴えようということになりました。抗議に参加する人たちも立ち寄ってくれて、きれい、きれいって見ていってくれる。これからも続けようと思っています。」
d0230639_1875651.jpg

スピーカーで遠くまで聞こえるシュプレヒコール。アピールのための幟や鳴りものは、たぶんいつの時代にもあって、世界共通、伝統的な市民の抗議活動のスタイルなのだろう。反(脱)原発にむけて、想いをひとつに、強く、確実なメッセージを訴えないといけない。それには、どうしても強固な態度、大きな声、理解を育てるための言葉が殺伐としてしまう。
d0230639_18918.jpg

d0230639_1845284.jpg

311後の反(脱)原発のデモは、お母さんや子供の参加も多いことから、「パレード」などとも呼ばれ、雰囲気に気遣いのあるものとなってきたという。それでも、市民の訴えは切実さを増してくると同時に、殺伐ともしてくる。声を枯らして、拳を振り上げる。叫ぶ。ーーーそんな時、平和の願いを灯した数々のキャンドルの灯りの眩しさに、または暖かさに、誰もが心癒されることだろう。抗議も大事だけれども、同時に、これは平和のための運動なのだということを忘れない。そのことで、より目標に向かう意識が高まることと思う。
d0230639_18183121.jpg


ーーオランダの人から見て、今回の選挙や原発のこと、どう思いますか? ヤシンタさんに聞く。

「やっぱり私も、今回の選挙の結果はうれしくないですが、原発反対は長い道だと思います。これからもずっとがんばらなくちゃいけない。反対している人たちは日本でも多くいますが、まず声を出すことが大事でしょう。日本はこれから違う方向にいける可能性もたくさんある。この状態は一時的なもの。原発は、怖いし、電気がなくなるといういう恐れもある。そういう意味で、時間がかかると思います。オランダは、小さい国だし、ガスが豊富にあって、それをメインにしています。原発は2基、電力の輸入もしています。ただ、ほとんどのオランダ人もあまり原発は欲しくないと思う。日本は原発、原子力の方向にいたが、もう一度よく考えて、リニューアブルのエネルギーに、会社も投資しなくちゃ行けない。時間がかるけど、意味はある。明日ではなくても、これからだと思う」

ーー明日ではなくても、これから。道のりは長い、と。

ヤシンタさんの故郷・オランダでは、今年、環境NGO団体グリーンピースが北極で開発を進めようとしていたシェル石油に抗議活動を行い、シェルがグリーンピースを訴えたが、アムステルダム裁判所はシェルの訴えを棄却した。理由は、「北極開発は地球規模の重要事項であり、それに対して200万人以上の市民が署名によって異議を表明しているのにもかかわらず、シェルはその民意を無視して計画を強行するのだから、非民主的なシェルに対してグリーンピースが一定の損害を与える抗議活動をすることを裁判所は許可する」というものだった。
(『Dutch court grants Greenpeace right to stage peaceful protests against Shell』→http://bit.ly/QzYyPA)
d0230639_1810114.jpg

ヤシンタさんとともに、キャンドルの火が消えないよう見守っていた石塚道義さんは、神奈川大学を拠点に、人的ネットワークによる防災のまちづくりを提案する「防災塾・だるま」という名刺を持っていた。
(「防災塾・だるま」http://darumajin.sakura.ne.jp/)

「もとは官邸前でシュプレヒコールあげていたんですが、ヤシンタさんたちと知り合い手伝うようになりました。彼らは、海外のモデルグループで、リーダーのディーン(イギリス人)とともに東北の子供のサポートをしているんです。今日も300人くらいに声をかけていた。原発は、福島だけの、日本だけの問題ではないんです」と、灯りを絶やさないようキャンドルのメンテナンスをする。

2012年最後の反原発の抗議活動が終わった。原発は、選挙やエネルギーや経済問題などと一緒に語られることが多いが、まず、「原発=放射能」の問題を考える必要があると思う。チェルノブイリで、福島で、もっといえば、ヒロシマで、ビキニ環礁で、多くの被爆者と環境や食べ物の問題を生み出す「核への抗議」が必要では。「平和利用」という言葉に将来や判断を奪われた状態が、いまも変わらず続いていることを認識する必要がある。
d0230639_18112085.jpg

また、今回の選挙の結果、政党支持率15.3パーセントしか得ていないとの見方もある。そんな中で「国民的議論」結果の無視は許されようとしているのか。

(【図解・政治】政党支持率の推移(12月14日時事通信掲載)http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_pol_politics-support-pgraph)
[PR]
by sasanoel | 2012-12-29 18:07 | 東京
金曜日の夜、首相官邸前で抗議する人々
d0230639_4173247.jpg

10月12日(金)、18時より首都圏反原発連合主催による首相官邸前で反原発のデモが行なわれ、76週目になるという毎週金曜日の抗議行動に仕事帰りの会社員や主婦、家族連れなど地元都民のほか、今回は、原発が立地する各県からの参加も多くあった。

昨年の夏、私は脱原発6万人パレードに石巻の人々とあるいて、デモの会場は1年以上ぶりになる。1年以上、つねに市民の抗議行動は続けられてきた。主催者は当時とは変わったが、参加する人々の顔ぶれは同じような気がする。11月11日の100万人への呼びかけを目標に、場作りを絶やさないようにしている。もしここでの抗議がなければ、福島や全国の各原発立地の人々はどんなに心細いだろう、と想像する。
発信側からの「脱原発」という言葉は消え、「反原発」とはっきり銘打っており、それだけ、切実なものを感じた。人々は、白い風船を手に長い列で抗議を続けていた。
d0230639_4132734.jpg

首相官邸前の交差点のまわりだけで、十人以上、すぐ近くにも10人以上の警官がにらみをきかせていた。
19時15分、「誰か首相官邸に抗議したい方いませんか?」という主催者からのよびかけに、いざとなると希望者は少ない。ブラックリストに載るのが怖いのだろうか。しかし、2名の海外在住者が、マイクをもった。そのうちの一人は、
「ニューヨークから、母の法事もかねてきました。選挙で変えないといけない。いつも選挙民がこれだけ声をあげても変わらない仕組みがいけないと思う」と訴えた。
d0230639_4102821.jpg

主催者の男性は、「のぼりなどはやめて、運動のイメージをなくし、誰もが参加しやすいよう配慮しています。今回、市民からの訴えに、鳩山さんが来てくれたりもした。10万人が集まったときは、新聞各社も報じてくれた。手応えはあった。ただ2時間のシュプレヒコールは正直つらいかもしれない。ジャーナリストが話したりもしたが、何かもっといい案はないですか?」と話していた。

「たくさん来て、集まっている」と主催者はいう。だから、人を集めるという目的は達成できたという。たしかに、1日10万人、100万人と集まればすごい数だ。あとは集まった人で原発を止めるというか、社会をなんとかしないといけないが、意志をもって集まった人でどうしたら社会を変えていけるのだろうか。
d0230639_420336.jpg


<震災後の反原発市民の動き(大雑把すぎるかもですが・・)>
2011年3月11日後
原発をめぐる市民の動きは、東日本大震災による東京電力福島第一原発事故により大きくふくれあがった。
新世代のデモは、これまでのイメージを払拭する新たなものになった。原発事故や放射能汚染の被害を心配する多くの若者が参加し「パレード」とも称されていた。デモ隊の脇の沿道では出店や行進を応援する人々で賑わっていた。警察官が出動し、逮捕者が出ることもあったが、無防備な市民がほとんどで、警官による不審な逮捕はYou Tubeに投稿され、批判の的になった。

2012年1月
今年1月、脱原発世界会議が横浜で開かれ、世界中の原発や再生可能エネルギーをめぐる動きが多くの市民に紹介された。主導したのは、国際環境NGOで、原発立地県の反原発のリーダーから歴史と現状が報告された。また、東北からの報告をもとに、日本全国から市民団体が参加し、問題解決の糸口をさぐる話し合いが行なわれた。日弁連の河合弘之氏は、日本で過去54基の原発建設への訴訟裁判のやり直しをすべきだと訴えた。

2012年5月〜
そして、そのなか、全国にある54基の原発は、定期点検のため今年5月に全てが停止した。
その後、国民の8割が反対する中、6月、政府は大飯原発(福井県)3、4号機を再稼働を決定した。7月からの稼働にむけ、首相官邸前での市民デモは10万人にふくれあがった。しかし、多くの国民の声を無視するかのように、大飯原発は最稼働してしまった。

**

現在
昨日のニュース。静岡県にある浜岡原発の再稼働の是非を問う16万人の住民投票への条例案が11日の県議会で否決された。住民は原発を止めろというのではない、まず最稼働するかしないかを住民投票したいということなのに。その権利をうばってしまった。この国で主権を持つのは国民ではなかったのか?ここ日本で、数日前に本当に起きたことで、強烈なニュースだった。

なぜ、市民の原発反対への声は反映されないのか?

これから選挙があるといっても、全体をみて投票するとなると、反原発への視界はぼやけてしまうかもしれない。でも、原発をめぐる立案や方法については、このさい議論を重ねて、はっきりと打ち出して欲しい。都合のわるいことをぼやかすことができる体制のなかでは、他の多くの問題についても対応を任せるのはちょっとむずかしいんじゃないかと。

<参考>
11.11反原発1000000人大占拠(首都圏反原発連合)
http://coalitionagainstnukes.jp/?p=1275

震災後のデモについて 柄谷行人さんのHP
http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-64.html
[PR]
by sasanoel | 2012-10-13 04:11 | 東京
中村悟郎さんのミニ講演会、目白第2集会所
10月1日、現代写真研究所で教えていただいている、フォトジャーナリストの中村悟郎先生のミニ講演会に行ってきた。
地元の方々や、人権活動家の方にまじって、国際反核法律家協会の浦田賢治さんが聞きにきていた。隣に座っていた方だった。

中村先生は、ベトナム戦争の枯れ葉剤被害や、ダイオキシンの問題を取材、発信してきたフォトジャーナリスト。3月11の震災後は、福島や南三陸町などの被災状況も取材している。
震災のとき、ベトナム枯れ葉剤の双生児として生まれたひとりドクちゃんから「おじさん大丈夫?家族も大丈夫?」と片言の日本語で電話があったそう。

原発放射能問題とダイオキシン問題はとても似ているとのことだった。
資本優先の日本社会では、経費削減のために危険を知らせないことがある。塩化ビニールをそれだけで回収すれば、処理方法があるが、日本ではそれをやろうとしないそうだ。ドイツでは塩化ビニール製品には「PCV(塩化ビニール/polyvinyl chloride)」と印刷され分別される。

メディアの非力さについての話が中心だったが、会場の人々は実際身の回りにおきていることとして、熱心にとらえていこうとしていたように見えた。1時間半以上は、質疑応答の時間となった。

公開されている映画「沈黙の春をこえて」にコメンテーターとして10月5日、岩波ホールに出演する。
[PR]
by sasanoel | 2011-10-02 13:50 | 東京
原発報道災害についてのシンポジウム 〜上杉隆・森達也・高田昌幸〜
d0230639_13383573.jpg

9月15日、創出版主催の反原発シンポジウム(東京都文京区・文京シビック小ホール)が行なわれ、第一部では、上杉隆(ゴルフ、報道災害など)氏、森達也氏(オウム真理教などドキュメンタリー監督)、高田昌幸氏(フリー記者。北海道新聞社員時代、北海道警察裏金問題を報道)という異色の3人がそれぞれの立場から3月11日以降にみられる「原発報道」の問題点について語った。

日本には「記者クラブ」というものがある。政界や業界で、主に、大手メディアの担当者が集まり、記者会見をうけたり、主催者発表に関する記録もれがないかどうかチェックしあったりする。全国の記者クラブの人数を合計すると3万人になるという。
上杉さんは現在、この記者クラブと戦っている。記者クラブによる報道体制は、役所や官僚と同様で前例主義で、取材者本人の眼よりも記者発表される主催者の発表内容を優先し、さらに各社右へならえであり、真実や自分の考えを言えば潰される。戦争中の大本営発表と同じだという。

日本新聞協会によると、記者クラブは「取材・報道のための自主的な組織」となっている。一方、同協会は「クラブの基本的指針となる統一見解を数次にわたり示してきた」と記者クラブへの指導的立場を明示している。

日本新聞協会の記者クラブに関する見解
http://www.pressnet.or.jp/statement/060309_19.html

(ちなみに日本新聞博物館(ニュースパーク)は、横浜の日本大通にある。さまざまな大手メディアの功績を讃えたり、伝えたりしている。横浜でも好きな場所の一つで、ここのレストランはよく利用している)

上杉さんだけでなく、記者クラブの閉鎖性や取材力の低下については批判されてきた。しかし発表側に都合が良い記者クラブは衰退するどころか、今も報道の中心にあり、日本人的な悪い体質の温床にもなっている。

また記者クラブに象徴される大手メディア主義があり、つねに本質に伴う大きな問題となっている。多くの国民は、大手メディアが出す情報を事実として受けとめる。しかしそれらの情報は、発信する側の事情に左右されたものだ。それが認識されず、日常奥深くまで浸透していることに、伝える側・受けとめる側ともに違和感を感じなくなっている。

一方、少数で貧乏なフリージャーナリストが苦労して社会に必要な情報を補っている。なんとか発言力をもつ何人かのフリージャーナリストが、自費やカンパで先頭にたち、取材を続けている。

「メディアリテラシー」とは、情報が何で出来ているかを考え情報をよみとる力。日本人にもっとも必要で、足りないことを自覚しなければならない。

シンポジウム出演者の3人は、大手メディアの権力により閉め出しを喰らっている点で共通している。大手メディアや、多くの国民を相手にせざるを得ない立場に立つことになった経緯の中に、こんな短い時間では伝えきれない想いがあることだろう。


311後の報道災害について
その記者クラブ体制について、上杉さんは、311の原発報道を境に目をつぶっていられなくなった。
政府や東電の情報を垂れ流しにする報道で、記者の災害の知識が低く、本来は国民に危険回避の情報を最大限努力して提供するはずのメディアが、機能不全であるだけならまだしも、「逆機能」に陥っているという。
つまり、危機を目の当たりにして自分たちの眼でそれを検証して伝える事ができない。
たとえば、「炉心溶融」と報道されたことは、当時の官房長官だった枝野幸男氏の記者発表によるが、「メルトダウン」のことをさす。私でもわかる。しかし、「メルトダウンということですよね?」と上杉さんが確認すると、「メルトダウンは起きていない、炉心溶融だ。デマを流さないように」と言われ、3月末に記者会見を閉め出されることになった。
その後も、確認がいまだにできていないのに、「ただちに健康に被害はない」という無責任な発言をすると、大手メディアはそのまま垂れ流し、結果として、多くの人々が高濃度放射能をあびてしまった。

「自主規制によって、戦争に突入。140万人の人命が失われた。日本では、新聞メディアは正しい、他は胡散臭いということになる。原発報道では、メディア自身が多様性を排除した。それにより、海洋に汚染水が流された。海洋汚染の国際賠償(何兆円?)が問われるだろう。また、日本の最高級ブランド(三陸の魚)が輸入禁止となっている。それらは、放射能廃棄物なのだから。産業界の大打撃となるだろう。
枝野官房長官の言葉、NHK、朝日が言っているという言葉で、将来を担う子供たちの健康が害された。これらは、(メディアの役割である)権力の監視ではなく、人殺しへの加担である。戦争から70年後に、こういうことで日本人は同じ事を繰り返すのか」と上杉さんは投げかけた。

森さんは、資料映画「アトミックカフェ」の例をあげて、アメリカが核というものを知らないかということを知らせた。この映画は、核や原子力を考える資料として現在も上映され続けている。
「この映画を観て、アメリカ人は馬鹿か! という話になるが、その後、日本では311の地震・津波が起きて、僕らも分かってない、と思った。東電と政府でそこまで恣意的に東電をかばうためにキチンとやっているだろうか?大本営発表と同じと言うけれど、昔と今と違うのは、今は原発へも、東電の社長の家にも行ける。結果的に大本営となってしまう理由は、アトミックカフェと同じで、(核を)わかっていないからだと思う。わからないから、希望的観測に近い人を使ったり、御用学者を使ったりした。
よく、「じゃあ一体どれを信じれば?」と聞かれるが、それは何か信じれるものがあるということだが・・そもそもメディアはひとつの視点で、あらゆる情報の視点でしかない。それ(自分が信じるものは)自分でみつけるしかない。
アメリカの核実験からはデータ化されたものがない。わからないものは、最大限見積もるべきと思う」

高田さんは、
「メディア問題とは組織の問題と思う。今の新聞社は1941年に形ができ53社に統合された。それからは誰が働かなくても新聞は出る。役所や官僚と同じ、前例踏襲主義。
会社を辞めようとおもったのは、311の時。今までと全然ちがう事態がおきているのに、今まで同様に記者クラブに張り付いて、新しい動きができないのを見た。
『メルトダウン』て最初書かなかったというが、実は爆発した直後は実は書いている。それが1週間もしないうちに書かなくなってきた。発表報道で、どこもだんだん、「大したことはない」ということになってきている。

1970〜80年代の新聞は、原発反対運動などきちんと書いている。公聴会が混乱していることを書いている。しかし、反対運動に進展がないと、動き始めた原発の話を書く。つぎの動きを追いかけようとする。そういう構造の中に、その裏側に何があるのか?ということがなってきている。ニュースがなくなると、反原発を取材する担当記者がいなくなる。動きがなくなると担当記者がいなくなる。記事がなくなる。
新聞記者3万人だが、それぞれ担当があり、担当以外のことはやらなくていいというシステムになっている。原発反対運動をやらなくても新聞は出る。
問題が変わっても記者の数は変わらない。基本的には記者クラブに張り付いている。原発が爆発しても変わらない。
また新聞社が前例踏襲しかやらないと取材力はなくなってくる。取材力のスパイラル的な劣化が起きている。
ただ、批判だけしてどうなるの?上杉さんが批判しても、かたや記者クラブは3万人いる。こういう状況に対して、どういう対抗手段があるの?」

高田さんは、北海道警裏金事件を暴いた記者さんだった。
2003年11月に北海道警察旭川中央警察署が組織的な裏金を認めた。警察史上初のことだ。それを報じられたことは快挙だったが、その後、警察からの巻き返しがあった。
道新は訴えられ、敗訴することで「裏金事件で道新が報道したことへのお詫び」としたのだ。しかし、話はそれでは終わらず、元道警総務部長・佐々木友善氏から名誉毀損で訴えられ、600万円の慰謝料を巡って裁判中である。


「徐々に謝らずに修正。炉心溶融とメルトダウンは違うと言った言い訳については責任をとるべき」と上杉さん。
それについて、高田さんはつぎのように言う。
「最初、わけがわからなかった時は『炉心溶融』だと言っていたが、政府が発表したら、その通りになっていった」しかしそれでは遅い。その時はもう放射能がたくさん放出されてしまった後なのだから。

記者クラブは記者発表を垂れ流しにし、大手メディアは原発から50キロ圏内での取材は社内規定で取材できない。自社の社員ではなく、フリー取材者がその役割を担う。戦場報道の多くもそうなっている。東電と原発作業員のような元請け下請け関係だ。フリーも大手とつながっていないと食べていけない。

森さんは、「現場にいる記者、ディレクターは、取材をしたいという人もいると思う。大きな組織の中で、昔はもっとはみ出す人がいたと思うけど、いまはいない。これが日本のジャーナリズムの衰退だと思う」と言う。

森さんは、3月、原発から8キロのところでタイヤがパンク、雨も降るというピンチに見舞われた。森さんの命に関わる大事だったこともさることながら、そこで貴重な取材ができたのかも気になるところだ。
また、ババグダッド侵攻の映像でNHKは逃げずに撮影していたが、発表されなかったことについてプロデューサに確認したところ、「それは出せない」と言われた。
そんなふうに、現場ではいろいろなことが起こることを説明した。森さんは記者クラブの存在も、伝えることを阻む要因の一つで、それだけではないと考えているようだ。

メディアの問題に対して、原発報道一つとって考えても、どうすべきなのか、できるのか、見えない。上杉さんも、12月にはジャーナリスト休業宣言をしたり、ゴルフジャーナリストだと言って、逃げの姿勢だが、本当に逃げるわけでもないだろう。

メディアの問題は、自分たちの問題だ。原発報道はあらゆる実害に直結している。伝える側も、受け取る側も逃げる事のできない船に同乗している。

森さんと上杉さん、高田さんたちが集まって、実際の考えていることの空気を知るために、オンエアがあるかもと思ってはいたが、横浜から出かけた。そのかいはあったと思う。本を買えばこの3人それぞれの意見はわかると思うけど、3人が今起きていることについて一緒に話すことはさほどないかもしれないから。
ただ創出版のしきりが悪すぎで少しがっかりした。本を売るためだから仕方がないのかなと思ってしまった。もっとこの議論は時間をとって深めないと、お互いのとらえている問題の解決に向けた話し合いにならない。

-------
特別発言「東電OL殺人事件」の受刑者家族の訴えは、とても深刻なものだった。原発災害や報道の問題とは違うテーマであり唐突だったが、この事件の裁判が再度行なわれようとしていることを初めて知った。
高田さんのいた大手メディア組織や権力者と、弱い立場からの抗議と遠巻きではあるけれどもつながっていたのかなと思う。
[PR]
by sasanoel | 2011-09-16 12:45 | 東京
安田和也さん「第五福竜丸が教えること 〜福竜丸の警告はノアの箱船〜」を聴いて
9月9日、友人が、職場のビル(早稲田キリスト教会館)で企画、展示をしているというので行ってきた。
福島と福竜丸で、ふくふく展。会場の展示では、第五福竜丸の事件を報じた新聞や、第五福竜丸と一緒に被爆したマーシャル諸島の人々の様子を伝えていた。
この日のトークセッションは、第五福竜丸展示館の学芸員、安田和也さん。


第五福竜丸の歴史
マーシャル諸島で操業中に被曝したマグロ漁船「第五福竜丸」は、いまは江東区夢の島にある。
木造船は、1947年に和歌山で建造され、神奈川県で活躍したカツオ船・第七事代丸(だいななことしろまる)だった。1951年に焼津の船主に買い取られ、遠洋マグロ漁船に改造され、第五福竜丸(第五福龍丸)となった。第五福竜丸のマグロ漁は、1ヶ月半のはえ縄漁で、漁場との行き来に1ヶ月かかる。電気もなく、冷凍室に粉砕した氷を積んで鮮度を保ちながらの厳しい労働だったため、この漁の定年は40歳だった。

戦時中の漁業者は、船とともに偵察船、見張り船などとして戦争にかり出され、漁はできなかった。福竜丸が建造された頃は、食料不足で、栄養も取らなければということで漁船が建造された。GHQの統治下で100t以下の漁船しか造ってはいけないことになっており、147tの福竜丸は99tと届けられていた。船も漁師も多くが戦争で失われ、被害者数は5万人ともいわれるが、正確にはわかっていない。

1954年3月1日、第五福竜丸は核実験(ブラボー)に遭遇。乗組員と捕獲したマグロの全てが被爆した。3月14日に焼津港に帰港、静岡大学の検査で船体から30mの場所で高濃度の放射線を検出したことから、人家から慣れた場所に鉄条網のはられた状態で係留された。
(焼津に戻った第五福竜丸については、乗組員が放射線治療のために上京したおり情報を聞きつけた読売新聞が最初に伝えた。読売の中には核開発について感心をもち学んでいた社員がいて、第五福竜丸の帰港、そのころから起きた、「原子力発電の平和利用」を唱えた原発キャンペーン報道も同社が担う事になった。)
被爆した第五福竜丸は、文科省に買い上げられ、東京海洋大学品川岸壁に移され、改造されて水産大学の練習船「はやぶさ丸」となり、千葉県館山市を母港とした。
1967年・老朽化で廃船となり、夢の島の隣りの第十五埋め立て地に打ち捨てられていたのが発見され、市民の間に保存運動が起こった。これを受けて、東京都が「第五福竜丸展示館」が永久保存することにした。

そんな遠洋マグロ漁船の歴史から、「第五福竜丸は、原水爆反対の象徴としてだけでなく、産業文化遺産でもある」と、安田さんはいう。

マーシャル諸島での被爆規模の大きさ
もちろん、核実験ブラボーの時犠牲になったのは第五福竜丸の乗組員だけではない。この時の実験は6回にわたって行われ、マーシャル諸島の人々が島に住めなくなった。さらに、汚染魚を水揚げした多くの漁船から水揚げされたマグロは競りで売られ、これを食べた多くの人々がいた。また、アメリカ大陸にも放射能が飛び被害が及んでいる。
汚染魚の被害については、日本だけで856隻(お刺身にすると250万人分の魚)が被爆していたことがわかった。それらが市場に出回った。大阪、富田林市で被爆マグロを食べた人が、白血球値に異常が認められたが「因果関係は認められない」と言われて終わる。
高濃度の放射能による被爆が人体に影響を与えてもその因果関係を明確にすることが難しいのは、久保山愛吉さんという被爆による死者を出した当時も、事故から25年後のチェルノブイリで甲状腺がんを煩う人がいても、福島原発に従事した人やホットスポットで高濃度被爆した人が不安を抱える今も同じ。被爆との因果関係を調べる医療技術は半世紀でどこまで進んでいるのだろう。

マーシャル諸島の現在について
9月9日の読売新聞が伝える記事には、半世紀後のマーシャル諸島と福島の除染の現状を考察した記事が掲載されている。(この記事は追って考えたい。全文はこちら


冷戦の影響をうけた日本の原発
この事件で、アメリカから日本に見舞金として200万ドル(日本円で7億8000万円)が払われた。被爆事故の加害者として謝罪し、賠償するというものではなかった。もし謝れば、進めようとしている商業原子力(原発)を含む核開発の全てが否定されるからだ。アメリカは何とかして日本人を冷戦に巻き込まなければいけなかった。日本はアメリカの軍事、商業戦略の拠点である。(そのために、戦後あらゆる観点から日本人がアメリカに反抗しないような戦略がとられたことが、だんだんとわかってきているようだが、いま私にはよくわからない。今後知り、知らせていけたらと思う)
とにかく政府はその「見舞金」といわれるお金を魚業の振興に5億、その他は医療や生活費として被災した船主さんたちに配った。乗組員さんたちのところへお金はいかず、泣き寝入りだったという。

一方、魚の放射能を計れば計るほど、市民の不安は募るばかりということで、安全基準を高くしたところ、検出されなくなった。報道はされなくなっていった。アメリカの本当のねらいはそこだった。

折しもアメリカとソ連の冷戦のテーマは核開発に及んでいた。
核開発にはお金がかかるため、原子力を商用に開発して売ればアメリカは蓄財できる。さらに、東側への前線基地である日本で核兵器に必要な能力も維持できれば、一石二鳥である。戦後、植民地支配するはずだった日本が独立を認められたのも、冷戦の激化が背景にあってのことだ。


1953年3月5日、政府は「ウラン235予算」通過
アメリカの思惑に尻尾を振って、第五福竜丸が被爆した翌日の1954年3月2日、中曽根康弘が原子力開発費2億3500万円を案した。5日、当時の政府はこの予算を成立させた。金額の根拠は「ウラン235」だと言う、いいかげんさが今にも伝えられている。
最近はすっかり顔を見せなくなったが、この時の判断が今、地震大国日本に54基の原発がつくらせているのだから、ぜひ、現在の心境を話してもらいたい。

「原子力を平和利用に」というキャンペーンで国民を黙らせ、実際の原子炉はアメリカにあるものをもってくればいいという程度のことを開発というのだろうか。技術国というのであれば、自然災害に備えた原発災害の技術開発をするのが、国民の安全第一というならば、それが最も大事だろう。日本が持っている資質、技術を生かそうとせず、国民を守ろうともせず、ただ買い物をするように、地震の少ないアメリカの開発したものを設計・施工管理こみで輸入してしまった。
さらに良くないことは、今日までの安全神話を形成するキャンペーンが念入りに行なわれていたことだ。その開催地のひとつは、広島平和記念資料館だった。被爆当事者の名をなきものにする、ひどい発想であるし、当時の広島の人々はなぜこれを許したのか。当時の人々の責任というより、過去無防備な日本人は「善意」に弱い国民だと言うことを利用した原発マーケティングの罠にひっかかったのだろうと推測する。
この広報を担当した企業はどこ?(ご存じの方は教えてもらいたい)ということも、日本の現在を読み解く大きな担い手になっているはず。
日本人は、福島原発事故が起きたいま、日本人とはどのような人間たちなのか、なぜこうなったのか、あらためて自問する時期がきていると思う。

こうして冷戦の影響もあり原発がふえてしまったが、その結果、考えてみると当然のことだが、福島で大事故が起きた。それは、日本が独立国というなら、選択による結果だろうとアメリカの人々は考えるのだろうか。
日本人にとっては、広島、長崎に始まる唯一の被爆国の歴史をあまりにも早く忘れ去る選択だったのではないか。
第五福竜丸の事件を思い出す事で、原子力と核の問題の原点を考え、ここで再度、被爆によるダメージの大きさについて、また、これから放射能とともに、この故郷でどう生きればいいのかについて考えていくことができる。

第五福竜丸展示館には、江東区夢の島の公園にフラリときた人が立ち寄ることができる。無料である。
311後の東北から小学生、中学生の社会科の見学でおとずれる子供だちの多くは、自分たちが経験したことと照らし合わせてこの事件を考えるきっかけになっているという。
事件から57年のいま、戦後を振り返るこの時期に、東日本大震災があって、再度思い出さずにいられない事件となっている。この時の海洋調査の報告が、いま、福島原発事故後の三陸の海洋汚染を考える貴重な資料となっている。

余談になるが、湯浅一郎さんの海洋汚染に関する講演を石巻できいたことを報告したが、その湯浅さんが頼ってきたのが、安田さんだった。

安田さんはこれからも、第五福竜丸の事件を通じて原水爆への反対を唱えていく。しかし、東京都の施設である福竜丸展示館で福島原発の事故については触れられないのだという。
「第五福竜丸事件を知る事で、市民の想像力を働かせて、福島原発事故についても考えてもらいたい」と安田さんはいう。

(この記事は、安田さんのお話を聞いた、筆者の整理。安田さんの講演そのものではないところもある。)
[PR]
by sasanoel | 2011-09-11 09:05 | 東京
「ふくふく展」のお知らせ
友人が職場のビルの仲間で企画したイベントです。
福竜丸と福島で「ふくふく展」、とのこと。わたしも金曜日に行こうと思っています。
現地で会える方がいたら、嬉しいです。


第五福竜丸 - 福島 1954. 3.1-2011. 3.11
パネルと写真展


【展示について】
 1954年3月1日、マーシャル諸島沖で操業していた日本のマグロ漁船、第五福竜丸は、米国の水爆実験に遭遇した。2週間後、焼津に帰港した彼らを待っていたのは、放射能による被爆の恐怖と、彼らが獲ったマグロに対する食品パニックだった。ごく普通に生活する人間とその家族が、突然核・軍事開発による暴力と恐怖に理不尽に脅かされる事態となった。
福竜丸事件から50年を経た2011年3月11日、東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故は、放射能による心身の不安を負う人々を日本中に生み出した。現在進行している諸問題―情報開示、健康への影響、食品への不安、原子力の稼動場所として利用される遠隔地、頭ごなしの補償による被害者の分断―は、福竜丸事件にみられる問題と、あまりに多くの課題を共有している。多くの犠牲と傷つけられた人々を生んだ福竜丸事件から半世紀を経ても、その苦い教訓は生かされることはなかったのか。
 本展示は、福竜丸事件の資料の保存・展示公開につとめる第五福竜丸展示館によるパネルと現物資料、ならびに水爆実験後のマーシャル諸島と原発事故後の福島の写真によって構成される。第五福竜丸事件と、現在進行形の福島の事態を重ね合わせることによって、過去から学びえたものは何であったのか、今なすべきことは何かを考える。

日時:2011年9月5日(月)~9日(金)10:00~18:30、10日(土)10:00~13:30
会場:日本キリスト教会館 3 階会議室(新宿区西早稲田2-3-18)
入場料:500円〔中学生以下無料〕
                   (一部を「子どもたちを放射能から守る 福島ネットワーク」に寄付いたします)

【展示】
1. 第五福竜丸事件・マーシャル諸島の核被害概要
  (制作・第五福竜丸展示館)
2. 第五福竜丸事件関連現物資料
  (「死の灰」レプリカ、当時のガイガーカウンター等)
3. 水爆の島 マーシャル諸島の子どもたち
  (撮影・島田興生、制作・第五福竜丸展示館)
4. 福島(2011 年 5 月撮影・大島俊一)

【トークセッション】
9月7日(水)19:00 - 20:30
  大島俊一(写真家)「震災の地・原発事故の今」
9月9日(金)19:00 - 20:30
  安田和也(第五福竜丸展示館主任学芸員)「第五福竜丸事件が教えること」
9月10日(土)14:00 - 16:00
  山田 真(小児科医・子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク)「今、福島で何が起きているのか」
入場料:500円(展示観覧料を含む・中学生以下無料)
会場:日本キリスト教会館 3 階会議室(展示会場と同じ)

主催:ふくふく
      fukufuku311@gmail.com
      tel/fax 03-3207-1273(キリスト教事業所合同労組)
      告知サイト:http://fukufuku311.blogspot.com/
共催:キリスト教事業所連帯合同労働組合/靖国・天皇制問題情報センター
[PR]
by sasanoel | 2011-09-02 21:50 | 東京
震災から2ヶ月のカメラマンたち。現研全校集会へ
東日本大震災から2ヶ月となる5月11日(水)。
現代写真研究所(現研)が主催する、「現研全校討論集会~今こそ写真を考える」が行なわれ、午後6時半から9時頃までフルタイムで参加した。
ここに来たのは初めてだが、先日、コニカミノルタで石巻の写真展を開いた竹内さんや、山口ミカさん(故人・友人、パラフォトメンバー)を知る卒業生の方々、巣鴨のやえさんの企画(山口さんの写真展)でお会いした方にも再会した。
そんなわけで、はじめて来た場所なのに、居心地が悪くなかった。

現研は四谷三丁目の駅のちかくにある、ビルの2フロア。
20坪ほどの教室にプロジェクターが設置され、長テーブルを4つ集めただけの周りにたくさんの丸椅子が集められていた。この集会のテーブルを囲んで、出入り口までぎっしり集まってきた人々は、50〜60代のカメラマンを中心に、30〜40代の男女の姿もちらほらある。みなカメラマンであるようだ。

中心となって会をすすめたのは、金瀬胖さん。1999年に臨界事故を起こした東海村の核燃料施設を取材し発表している。

プロジェクターで写真を発表したのは中村梧郎さん。ベトナム戦争でのアメリカの枯れ葉剤攻撃による被害状況を取材した著書「母は枯れ葉剤を浴びた」などがある。
今回は、ヒロシマ、ナガサキに続き有名になってしまった「フクシマ」の波江町、飯館村などを4月6日に撮影した写真をもとに、無人になった町の状況、そこに住む動物、残る放射能汚染の怖さなどを教えてくださった。場所は福島第一原発まで7キロ程度しか離れていない。テレビや一般のメディアが入れない場所といっても、それを咎める人すらいない。                                                                                                                                               
「テレビの震災の報道で、何度もアタマに来て、講義の電話をした。原発推進派の学者に説明させて番組を作り、パニックを恐れた情報操作が行なわれている。一人では無力で、すぐ潰されてしまうが、みんなで講義していくことで、変わる。変わっていく過程を記録し、関わることが大事です」と中村さんは言った。わたしもなんとなく思っていたことと重なって、なんだか、心強い気がした。じつはこの先生の授業を受けようかと思っているので、そのこともあってこの会に来たのだった。

テーブルには、JRP(日本リアリズム写真集団)の会員の方が展示会に出品する写真や、この集会のために持ち寄った写真など、東日本大震災に関する写真が並べられた。
被災地・宮城などの瓦礫や、人のいなくなった商店街などのほか、3月11日の首都で不安そうに帰宅を急ぐ人々と、そんなサラリーマンの靴音をよそに麻雀で遊ぶホームレスの強さを切り取った写真もあった。この写真は金瀬さんが撮られていたが、印象的なものだった。

金瀬さんらは、「ヒロシマ、ナガサキで被災者だった日本人が、いま海を汚している。プランクトンが汚染した海水を食べ、それを魚が食べ、食物連鎖が起きていることを研究している人もいるが、われわれ写真を撮る人間が被災地の写真をどう使うのかを考えたい」「若い人は、30年、50年と一つの地域を写していくことで復興を追うことができる。やるべきことはいっぱいある。これからが仕事だ」「私たちは、耐えられる環境で生きるのではなく、生きる価値のある環境で生きる権利がある」「また半年ぐらいしたらこういう会をやろう」などの発信をした。というか、そんな言葉たちがわたしの中にのこっている。

帰り際に、私にメールをくれた方はいなかったけど、現研で働くべつの女性が「来週の授業を見に来てください」と誘ってくれた。なんてアットホームなんだろう。こんなところで山口さんは写真を勉強していたんだ・・と納得した。

帰りは、地下鉄駅前の銀ダコ+トリスバーで一杯だけ飲んで、急ぎ帰路へ。
[PR]
by sasanoel | 2011-05-12 09:07 | 東京
防護服を着たおくりびと
1954年3月1日、焼津港の漁船・第五福竜丸がビキニ環礁で操業中にアメリカの水爆実験の犠牲となった「第五福竜丸」。この水爆実験で、放射性降下物を浴びた漁船は数百隻にのぼるとみられ、被爆者は2万人を越えるとみられている。漁にも大きな打撃を与えた。
この事件をモチーフに、アート表現を模索するイベント「銀板写真 シルクスクリーン 死の灰 トーク パフォーマンス」が4月22日より5月18日まで、世田谷区三軒茶屋で行なわれている。粟津デザイン室、粟津ケン氏の主催。

5月6日(土)、19時半開演とあるが、時間をすぎても始まらない上、いつ終わるのかも書いていない。何かあるな・・、と思いながら、アマゾンで届いたばかりの絵本、ベンシャーンの「ここが家だ」を携えて、地下の会場で席についた。

その夜、華道家の上野雄次さんは、奇抜なパフォーマンス・アートで、死の灰、火、放射能の恐怖と狂気を表現した。
タイトルは、『EXPOSE』
d0230639_14405695.jpg

防護服を着たおくりびと(上野さん)。
いまはオブジェと化した死の灰をビニールで封印して、第五福竜丸で被爆し、亡くなった久保山愛吉さんをはじめとする、過去の犠牲者への鎮魂に始まる。棺に深紅のバラが捧げられる。たくさんのバラは、多くの悲しみ。
しかしその恐怖は終わらない。
第五福竜丸の顛末を報じる映画の音声から、写真家・新井卓さんの録音した3.11の地震の放送に変わり、時間が経過する。
核の恐怖が今、この日本から、再び世界中の被災者を巻き込もうとしている。その事への怒りと悲しみと、恥。
核を作るのも否定するのも、人間。どうしていいかわからない怒り。人間が、守り育ててきた自然や故郷への想いが、美しい気持ちで捧げられた血の色のバラの花や、ビキニ環礁付近にあり、画家ベンシャーンもモチーフにした椰子を醜いものへと自ら風化させる日本人。
唯一の被爆国、そして3.11で多くの被災者を出し続けている日本で、恥ずべきなのは、いまなお私利私欲のために理屈をつけて核を肯定しつづける人々がいることだ。
醜くなってしまった自然や、腐敗してしまっているだろう遺体を捜索する自衛官や、最後の別れを願う被災者と家族たちがいるというのに、あなたがた(=わたしたち)は、恥を知れ、と、聞こえた。

正直、怖くて、途中で帰ろうかと思った。
狭く暗い地下室で美しいバラにシンナーをふき、ガスバーナーであぶり、椰子をぐるぐる巻きにしてキノコ雲を造った。ガスバーナーの火はいつまでも消されず、ただ、恐怖のためだけにそこにあるような気がした。
一般的なセキュリティ感覚を持ち合わせた人なら、退場しても責められない状況。
原発で命を掛け働かなくてはいけないだろうか?。その怖さと重なる。命がけで、アート(人の造る)パフォーマンスを見る必要はないのではないか?それが真面目なアートであろうと、観る側が選択できるはずである。それでも、そこに居るのか・・という、居心地のわるさ、「大丈夫だろう」と誰も席を立つものがいない。アートがそこまでするはずがないという、根拠のない理由にすがる。意図的なものだと知りつつ、どうすることもできない恐怖。
第五福竜丸で、広島や長崎で、スリーマール島で・・・美しいキノコ雲、重力によりあたりまえに降りてくる「死の灰」を、いつまで見続ければいいのか。そしていま、見えない死の灰が降り注いでいるのかもしれないのだ。
もちろん、そこは上野さんという想像主が造った、自由で暴力的な想像の空間だった。
上野さんが、キノコ雲になった椰子の木の幹に、(醜くただれてしまった)バラをかかえて抱きついた時の悲しい表情を見るまでは。

これは、一方的な解釈。ほんとうはちがうのかもしれないけど、そんなふうに思われた。

最後に、意見交換があり、写真家・荒井さんが「ひどい暴力と感じた」と、目をそらそうとしたことに、「その意見は芸術家として無責任だ」と、会場から避難があった。「暴力でなくて、鎮魂でしょう」という声もあがった。荒井さんは、この震災後に現地で撮影した経験から、自分がプロであるということに焦り(?)のようなものを感じているようだった。
華道家の上野さんは作品については何も言わなかった。パフォーマンスで疲れていただけではないとおもう、ここで解釈しないことで、作品が終わったと安心した。
トークセッションの短い時間のなかで、クリエーターもいろいろと悩んでいるように見えた。
主催者の粟津ケンさんが、「今日は展示を見る時間が少なかったけど、期間中は展示や、あっちのソファでもヒロシマ・ナガサキの写真集が見れるし、僕らもいるので、また来てください!」と締めくくった。

3.11の被災者はここにいない。でも、いたのかもと思う。自分の疑問を飲み込んで、22時ごろ、会場をあとにし、横浜へ帰った。

狭い地下の一室には、第五福竜丸から採取された死の灰が展示され、奥のバーカウンターに近いソファでは写真家・東松照明のヒロシマ、ナガサキの写真集、画家・ベンシャーンの絵本などが閲覧できる。
d0230639_1492192.jpg

左から、主催者・粟津さん、華道家・上野さん、写真家・荒井さん、デザイナー・上浦さん
[PR]
by sasanoel | 2011-05-07 13:35 | 東京


被災者も非被災者もともに平和で楽しく暮らせる社会をめざして。2011.03.11 ご連絡、記事についてのお問い合わせ、取材依頼は筆者までメールで。sasanoel@gmail.com
by sasanoel
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
カテゴリ
全体
横浜
東北
スポーツの前後左右
ボランティア
取材ノート
記事リンク
東京
ヒロシから
動物
福島
作品から
記者会見から
反原発
トライアスロン
TOKYO2020
ササノエルカフェ
以前の記事
2016年 02月
2016年 01月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 05月
2014年 10月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 03月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
リンク
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧