カテゴリ:横浜( 17 )
石巻日日新聞の号外、横浜で展示される。
3.11の地震から1日も休まなかった新聞社として、被災直後の手書きの号外が世界に知られるようになった石巻日日新聞の実物が、横浜にある日本新聞博物館(ニュースパーク)に展示されている。日本新聞博物館は、民間放送と日本新聞協会に加盟する新聞社の意義を広く伝えるための拠点として運営されている。入場料500円・大きな新聞博物館の一角、「撮影禁止」と書かれたガラスケースに展示されていた。

メディアはみな市民のためにある、ということで、石巻日日新聞も、新聞・放送活動の活躍を知らせるネタにされているが、震災は、まだ、それほど過去のことではない。被災地はまだこれからが大変。新聞の歴史や新聞人の過去の功績を称えた広報ツールのひとつとなっていることに違和感をおぼえる。
市の施設である以上、それは横浜市民のメディアリテラシーの問題を左右することと思うが、大手全国紙と、地域紙で立場も、役割も、何より取材対象と記者の関わりも全く違う。
アメリカで紹介されたのを真似て横浜でも・・ということかもだけど、この時ばかり「同じメディア」として功績をわがものにするのはチョットずうずうしい気もする。
メディアっていろいろあって、それぞれかなり違うと思う。メディアがどうちがうか知ることは、ニュースを読み解くことにうんと必要だと思うから。

地震直後の石巻日日新聞号外には、記述の訂正された痕もある。被災しながらの編集作業は大変だったと思う。12日の新聞によると、「内海橋崩落」となっていて、そのニュースは数日のうちに横浜にも届いた。しかし実際、行ってみると内海橋は残っている。地震の規模の訂正、被災者数の訂正など、訂正は毎日ある。これは記述の間違いというより、被災状が大きい中で、取材の時点と報道後で状況そのものが変わっているのだと思う。
たしかに、内海橋は崩落していなかった。しかし話によると、津波が内海橋の上を通ったという事だから、その瞬間を見ていれば、中州を橋脚にした細い内海橋がやられたと思うに違いない。実際、橋の周りの家や建物はほとんどが流され、残った建物にももう住むことはできないことが一目でわかる。

一方、最新の報道技術と設備・人員であたった全国の大手メディアは、石巻の深刻な被害状況についてタイムリーに伝えることができなかったと感じる。放射能汚染の危険な福島などはもっと顕著だ。
死者数第2位の岩手県陸前高田市の倍の死者を見積もりながらも、石巻市の情報はずっと少なかったし、あとになって報じられることが多かった。被害の報道も下火となった頃、大川小学校の多くの子供たちの事故死が報じられたのは4月である。危険を侵して仕事をしろとか思わないが、被災地に人が住んでいるのは確かだし、情報のスピード、タイミングがちぐはぐに思われた。

地震後1週間分の石巻日日新聞の号外をあらためて読み、被害規模が確定しないまま、目の前の状況に向きあい続けた編集者、記者たちがいたこと思い描いた。自分たちの地域の状況を知らせ、ともに生きるための情報を配信し続けることができたことは、彼らの忘れられない体験となったことと思う。石巻、東松島を見つめる唯一の媒体として、自分たちしか、自分たちのことを報じられないという状況を、十分な設備のない状況で味わったことと思う。それは、どんな気持ちだったのか。いつかまた、社員の方に会えたら聞いてみたい。
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by sasanoel | 2011-05-19 23:39 | 横浜
横浜で、沖縄と震災を考えた
5月5日(木)。今週末は、GWの渋滞もあるため、石巻へはいかず整理の時間に。
勤務あけで家にいると、巣鴨のやえさんからメールがあり、横浜へくるというのでお茶することに。彼女は、現在すてきな野望を計画中だが詳細はまだここでは明かせない。ひとつ言えることは、この震災が彼女の中に大きく力を宿してくれたことは確かなようだ。

午後3時半すぎ、おとずれた日本大通りの新聞情報ライブラリーでは、二つの写真展が開催されていた。
一つは「沖縄・終わらない戦後
http://newspark.jp/newspark/floor/info.html#okinawa

沖縄の基地問題について、米軍住宅の残る横浜に住みながら、何もしらなかったことを思い知らされた。フォトグラファ大城弘明氏(沖縄タイムス写真部所属)の250点の写真から、私の生まれる1970年前後の沖縄人と戦争、米軍下の沖縄、沖縄独自の文化、その中での日本の家族、子供、反米・反自衛隊活動、アメリカ人の理解者・・そして、今も戦争の傷跡とともに暮らす人々がいる。写真絶ちは矛盾との共存してきた歴史の証明だ。

もう一つは東日本大震災の報道写真展。
今、新聞博物館の中には、3月11日の号外をはじめ、震災直後の報道の現物が展示されている。あれからまだ2ヶ月と経っていないのだ。
http://www.kanagawa-kankou.or.jp/event/museum/2011/03/museum-10054.html

両展示とも、会場には多くの人が写真を観に来ていた。
沖縄の展示は会期を延長して15日まで行われている。
写真からは、大城氏の親戚が横浜にいること、横浜、神奈川にも沖縄県人会があるということを知る。米軍住宅のある横浜と基地の存在に苦しむ沖縄では立場が違うけれども、神奈川ということでは座間、綾瀬などもある。それぞれに受け止めが違うし、何よりも戦後が違う。写真はそのことをまざまざと知らせてくれる。


ところで、原発問題は、沖縄の基地問題と共通する点が多い。
基地と原発、どっち・・・?

Not In My BackYard「NIMBYシンドローム(症候群)
「自分の裏庭には作るなと言うが、利益は得たい」そんな身勝手なことを日本人は言えるのだろうか。もはやそうは言えないだろうと思う。

過去の放射能事故がそうであるように、今回の日本の放射能事故は世界に影響する。日本は世界を視野にこの問題を考えなくてはいけない。日本人の豊かさや生活水準の向上、幸福、日本人のためのそれらのリスクを今、世界が担っているといえるのではないだろうか。
自然と人類の関係をどう考えるのか。国際社会の平和を考えて、さまざまな立場、視点の社会が真剣に向き合わなければならない時期がきたのだろう。
アフガン、バングラディシュ、中国からも日本は支援を受けている。国際的援助は経済的に貧しい国からも寄せられている。日本との政治的緊張関係にある国からも・・。この震災を機会に、日本と国際社会の立場は逆転した。それを日本人はキチンと受け止め、50基以上にもなる原発をどうするのか、唯一の被爆国として歴史に学び、選択、行動しなければと思う。
広島の語り部たちは、今回の事故や今後の電源開発についてどう意見するだろう。

深夜3時過ぎ、宮城県で震度3の地震。横浜でも多少揺れた。
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by sasanoel | 2011-05-06 03:09 | 横浜
横浜市一般市民の住宅提供の募集!
市内にある既存の社宅、社員寮などのうち、被災者に対して無料あるいは低家賃で貸し出すことのできる物件の情報の募集がはじまりました!
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by sasanoel | 2011-03-24 15:04 | 横浜
横浜からの貨物列車
横浜の根岸を18日に発した貨物列車が被災地に到着した。(FNN)

18日夜 横浜出発
19日夜 盛岡到着、19時からタンクローリーに積まれて被災地へ向かった。
20日以降も横浜からの臨時便が発車するよう。

続報
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by sasanoel | 2011-03-20 20:55 | 横浜
横浜市営住宅の提供について
横浜市の市営住宅供給については、県とも協力して準備しているとある。障害者、高齢者、妊婦優先で、抽選による選考。
現段階で確認できる住宅は、旭区上白根町の5階建て、50戸。

詳しくは、以下横浜市のHPまで。
ひかりが丘住宅 合計50戸 に関する情報
平成23年3月22日(火)から3月24日(木)午後5時まで

受付に関する情報はこちら
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by sasanoel | 2011-03-20 11:13 | 横浜
19日から福島からの被災者を受け入れが始まる
全国の自治体から住居提供の申し出があった。横浜市も今日「たきがしら会館」へ被災者が到着した。

宮城の美しい町や人々の絆の強さをすこし知っているから・・・被災地の人々にとって、横浜がいいところかどうかわからないけれども、もし横浜へ来られたらゆっくりと休んでほしい。

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by sasanoel | 2011-03-19 22:51 | 横浜
14時46分、東北で大地震、津波発生
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数時間前に、なんとか帰宅した。
用事は午前中に済んだものの友人を送り、勤務先のグループホームに寄り、父の家にも行ってきたこと、とにかく道路が渋滞していたことなどで長旅となった(大げさか)。
途中、消防車や救急車に何度もすれちがった。国道1号は避けて、16号から環状二号を使って帰ってきたけれど、途中停電で、林間を行くようなところもあった。信号もマンションの明かりもない。警察が信号の代わりに交通整備をしていた。

環状2号を走りながら、脇の歩道を歩く人々に声をかけ、何人かでもピックアップして近くまで送ろうか考えたけど、悩んだすえ、やめてしまった。家では母が台所の漬け物のびんが割れたというし、とにかく家に帰ろう。

携帯電話はほぼ通じない。
テレビは、インターネットでも情報を流している。
テレビに情報が集約され、新たな情報が続々と伝えられている。特に東北地方の被害が大きいようだ。

横浜は、強く揺れた時で進度5。余震はあるが、家では猫たちは眠っている。

横浜駅では、電車とバスが止まっていた。改札は自由に出入りできるようになっていて、トイレを自由に使え、構内の全てのテレビモニターはニュース速報にチャンネルが合わせられているようだ。
駅の内外に、どこにも行くことのできない人々の群れ。

バスはいったん止まっていたようだが、夕方には運行を開始していた。
それでも、多くの人が、長い家路を徒歩で帰る、長い行列が続いていた。

誰も、混乱した様子はない。
多くのクルマも、多くの人の群れに配慮しながら、安全運転をしていた。

テレビでは多くのひどい状況が、続々と伝えられている。

宮城県には、父方の親戚が暮らしている。石巻市。
北上川は、海水が逆流して増水、100人を載せた船が沖に流され、仙台市荒浜では200から300の溺死遺体がでたという。

(写真は上大岡駅付近。バスを待つ人々)
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by sasanoel | 2011-03-11 23:30 | 横浜


被災者も非被災者もともに平和で楽しく暮らせる社会をめざして。2011.03.11 ご連絡、記事についてのお問い合わせ、取材依頼は筆者までメールで。sasanoel@gmail.com
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