カテゴリ:東北( 20 )
石巻、被災した港で、歩き始めた人々とともに
震災から1年目をすぎた頃、石巻の港で水産加工会社を経営する高橋英雄さんの会社を訪れた。

練り物を造り、120年になる老舗は、昨年3月11日の震災で8ラインあったすべてが津波の被害にあった。高橋さんは、従業員約80名を全員解雇せざるを得ない事態を迎えた。

始めるに時があり、止めるに時があり、止めるのを止めるのに時がある。時代の大切なメッセージを受けとめ、危機を乗り越える必要があった。

およそ30年前、現在3代目になる高橋さんは、食品添加物を使わない製造を決意をし、本格的な無添加の製品作りをスタートさせた。量産の時代、横並びの競争社会に終止符をうったことでもある。以来、顔の見える人の口にのぼる、安全で、美味しい食べ物を作ろうと、挑戦を続けてきた。

30年前といえば、石巻市のとなりの女川町にある女川原発の建設差し止め裁判が、原告側の主張を退けた頃でもあり、高橋さんは反原発の側で意思表示をしていた。

添加物も、放射能も、東京電力福島原発の事故がおきてしまったいまは、深刻な環境汚染源として同様に危険を認識できる。自覚できないうちに、身体を蝕む。ただちに危険はなく、便利であるがゆえに市場の可能性が高い。食品添加物の問題は、低線量被爆とも似ている気がする・・。


現在の仮設魚市場からすぐの川口町に高橋さんの会社の本社工場はある。
昨年3月11日の午後2時半すぎ、工場はその日の製造を終えていたが、多くの社員が社屋の各部署にいた。地震の大きな揺れのあと、外へ出ると、社屋の前にあった電気屋さんのビルが無惨に倒壊していた。点呼をして、それぞれ津波に備えて避難した。社員の中には、家族のもとへ車で向かったお母さん、お父さん、連れ立って逃げた若い人たち、荷物をとり、火の元をとじて冷静に避難した人もいた。

何人かは、頂上に零羊崎神社(ひつじさきじんじゃ)のある牧山へ向かい、その途中にあるコンクリート会社の敷地内で一夜を明かした。工場へ戻る道は胸までの高さの波が滞留し、国道は塞がれていた。夜は雪が降り、逃げて来た人々らとドラム缶にくべた燃料を燃やして暖をとった。知り合いや初対面の人と車の中で寒さをしのいだ人もいた。それぞれの被災状況はみな違うが、一番大切な人の安否を気遣いながら、一緒になった人との思いがけない時間を過ごした。
翌日から、山の中腹にあるトンネルを抜けて不動町から稲井のほうへ抜けるなどしながら、家族のもとへ徒歩で帰るのに、誰もが1日から数日はかかった。

幸いなことに、あとになって社員約80名全員の無事が確認できた。しかし、社員の家族や親戚の多くが犠牲になっており、いまだに見つかっていないという人もいる。
もうダメかもしれない。たくさんの人の生活をにない、先代から受け継いだ会社が終わるのかもしれないという最悪の事態をむかえていると、高橋さんや経営陣の脳裏に浮かんだ。社員は全員解雇を言い渡された。意義を唱える気力のある人は皆無だった。

その後、地震保険が適用されることになり、補助金を申請したりと、どのような形でか会社を再開できる希望が見えて来ると、高橋さんはその希望を目の前の現実として向きあった。家族と離れ、牧山の社務所に集まった避難者たちとともに生活をはじめるなかで、社員のうちの約20名に、再雇用を呼びかけた。

本社工場と、第2工場では、泥の書き出し作業を手伝う取引先や、県外からのボランティアが駆けつけ、再雇用を呼びかけた社員とともに毎日の清掃作業を担ってくれた。「変わりたい、変わらなくては」という想いを抱きながら、恐ろしい数のハエや腐った魚の臭いにまみれながら、会社と、自分自身のあらたな姿をもとめた。
再建に向け、心を開こうとする高橋さんに、大きな支援の嵐が巻き起こっていた。高橋さんの息子たち、経営を支える役員、再雇用となった社員たちも、ともに歩みはじめた。
すべてを失ったかのような状況から、残ったものを確認し、磨くことのできる魂を、高橋さんは見つけたのだろう。


初夏、石巻の人々で活動する「原子力発電を考える石巻市民の会」が集会を開くと、高橋さんも参加するようになった。

東北大学在学時代に三陸の海洋環境を専門に学んだ、湯浅一郎さん(NPO法人ピースデポ代表)による石巻での講演会『福島原発震災から三陸の海の放射能汚染を考えるhttp://sasanoel.exblog.jp/14414202/』では、石巻・女川の漁民たちとともに参加した。
この講演会を企画したのは、かつて女川原発建設差し止め訴訟の原告団のひとり日下郁郎さんで、30年間変わらない意志で、原発反対を唱え続けた全共闘世代。高橋さんとはほぼ同世代で、津波で近しい人々4人を亡くしていた。

筆者のことになるが、叔父や叔母、従姉妹たちを訪ね3月下旬に石巻市不動町を訪れてから、ずっと、女川原発に近い石巻の人々が、大きな津波の被害にあい、原子力発電所とどう向き合おうとしているのか、知りたかった。それで、日下さんの企画にアクセスしたことが、高橋さんにも会うことになった私の経緯である。

そもそも、わたしは不動町や旧北上川の岸辺、駅ぐらいしか石巻を知らなかったから、もともと港に何があったのか、わからない。何もなくなってしまった女川の街の跡を見ても、古代遺跡を見るようで、ここに昨日まで人の暮らしがあったとことを、どのようにも想像することができなかった。

石巻で、知り合いになった方々をお訪ねして、ブログへの取材にご協力いただいた。被災した方々に会うという目的以外にはなかったが、多くの被災した人が胸の内から少しだけ取り出して話してくれた。何がふつうなのかわからなくなるような体験をした人々と、これからは、時間の意味を考えてともに過ごしたい。どのようなことを希望として生きているのか。また、別の場所での自分の取材活動が被災地の人を視野にいれたものでありたい。

震災から2年目を歩こうとする高橋さんの会社。
地盤沈下のため、雨が降ると周囲はプールのようになる。がれきは集約されたが、一向に片付くことがない。居住制限区域に指定された高橋さんの家を含め、周囲に人のすむ家はなく、多くの建物も残っていないため、ガランとした荒野に、残された社屋がある。そこに、25人の人々が、あらたな営みをはじめていた。
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by sasanoel | 2012-07-04 23:37 | 東北
女川町議選挙をたずねて 〜どんなことを基準に候補者を選びますか?〜
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写真:鈴木純平(旭が丘では仮設住宅入居完了を祝うお祭りだった)
津波で大きな被害をうけ、延期となっていた女川町の町議会議員選挙は、11月3日に公示され、12日、最終日を迎えた。震災から8か月、選挙カーは、がれきが撤去された平原の路を走り、候補者は仮設住宅を回った。

町会議員選挙の議席12に対して13名の候補者が出馬した。

この選挙戦に、原発問題がどう影響したか、しないのか。福島第一原発の事故で明らかになったように、原発に事故が起きたら、女川だけの問題ではすまされない。町議選にのぞむ女川では、どのくらいの市民がそのことを考えているのか?
そんなことを考えて、12日朝、「原子力発電を考える石巻市民の会」の中心的な活動家である、日下郁郎さんと、写真家の鈴木純平さんの運転するクルマで、女川まで選挙戦の様子をみにいった。

日下さんは、石巻市稲井町に生まれ、大学時代を東京で過ごし、原発に近い前網浜出身の女性と結婚、1970年代から、東北電力・女川原子力発電所の建設反対運動の原告団の一人として活動してきた。奥さんとの出会いが、日下さんを、女川と石巻にまたいで横たわる原発問題の解決を目指して導き、市民運動として広げるきっかけを増やした。
石巻に住み、女川原発防災基準の見直しや、避難区域の拡大に向けて、石巻市や宮城県に働きかけてきた。
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写真:鈴木純平(「原子力発電を考える石巻市民の会」中心的存在の日下郁郎さん)

3月11日の震災で、女川の市街は壊滅した。集落で漁業を営んできた女川と石巻の浜浜は、多くがゼロから数件の家屋を残して津波の犠牲となった。
日下さんの家族の住む前網浜では、日下さんのご家族だけが逃げ遅れ、4人が亡くなった。
津波被害による日下さんの反原発の活動に揺らぎはないが、消える事のない大きな驚きと哀しみをもたらしている。そんな日下さんとともに女川を回った。

反原発の新人候補、阿部みきこ氏
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写真:鈴木純平(阿部みきこ氏の自宅兼選挙事務所となっている女川第一小学校仮設住宅)
反原発を掲げて出馬した候補者、阿部みきこ氏の自宅兼選挙事務所である女川第一小学校の仮設住宅をおとずれた。本人は外回りでいなかったが、鈴木さんは写真を撮り、日下さんはカンパを預けた。

阿部氏が旭ヶ丘にいるというので行ってみた。旭が丘の総合運動公園は、原発マネーで建てられた、野球場や陸上トラックのあるグラウンドがある。最大2000人が身を寄せた体育館は、11月9日、女川町のすべての避難所同様にその役割を終え、投票所に早変わりした。
全ての避難者が仮設住宅へ移ったのを記念したお祭りが、旭ヶ丘の住民たちによって開かれていた。老若男女が得意の太鼓や獅子舞を披露して、多くの人々が楽しんでいた。
結局、阿部氏はいなかったが、獅子舞いを舞った人の中に、反原発の立場で長い間町議会議員を務めた、阿部みきこ氏の父である阿部宗悦(そうえつ)氏がいた。阿部さんは高齢のため、出馬を娘の美紀子さんに譲り、この日は応援に回っていた。


ーー明日の投票、どんなことを基準に候補者を選びますか?


(稲井)
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写真:鈴木純平(石巻市稲生町にある女川町民の仮設住宅で話す候補者と有権者)
女川町にはもう土地がなく、石浜の人々は石巻市稲井に建てられた仮設住宅に住んでいた。石巻市の状況と異なり女川では集落の住民がまとまって移住できている。それは大きな事だが、突貫工事で建てられた仮設住宅は防寒対策をしなければならなかった。高齢者にはとくにウォシュレットも必要だ。
年輩の有権者たちのところへ演説に聞いていたのは阿部しげる氏だった。しばらく、石浜の人々と話をし、去って行った。
その後残った4人の人々にきいてみた。

「この辺りはみんな遠藤です。投票は、親戚や、これまでお世話になった方にします。政策がいい人、困りごとにすぐに応じてくれる人。
311後、変わりました。福島の事故の事はみんなアタマにあると思います。原発も恐いが、年をとってきたから、慣れた風景を見ていたいと思います。この稲井から毎日石浜へ通う人もいます。若い人は、子供もいるから将来を考えていると思う。原発の問題については、廃炉にする期間も雇用が必要なんでしょう。だったら仕事がなくなるわけじゃない」
遠藤さんはこたえてくれた。

(旭ヶ丘)
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写真:鈴木純平(テント内の出店では、焼き鳥や野菜の販売、益子焼体験もありくつろいだ雰囲気)
総合運動公園の野球場に作られた二階、三階建ての仮設住宅が立ち並ぶ。比較的遅い時期に着工したこの仮設住宅は、1階建てのものより頑丈で、暖かいようだ。お祭りに行こうとしていたのか、ちょうど出かけようとしていた女性を引き止めた。高齢者というには若くみえるが、二人のお孫さんがいる。体育館から二階建ての仮設住宅に、二週間ほど前引っ越して来た。横浜から女川へ嫁いで来たという。
「うちは会社勤めですが、原発には反対です。女川は爆弾を抱えているんです。子供たちにも、そう教えてきました。選挙ももちろん、反原発の人を選びます」

(横浦)
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写真:鈴木純平(横浦漁港の上に造られた仮設集落)
共産党の高野博氏の選挙カーが、横浦の仮設住宅の駐車場に到着。「最後のお願い」ということで、候補者が挨拶に立った。仮設住宅からは一人の女性が出てきて、演説のあとに駆け寄ってきた高野氏に握手を求められる場面。日下さんは、応援する阿部みきこ氏のライバルではあったが、ともに反原発を掲げる立場として挨拶と握手をかわしていた。
その後、この横浦で2人に話を聞くことができた。

看護師をしているという、小さな赤ちゃんのいるお母さんの答えは、これまであった年輩の人たちと違っていた。若い人がみなそうだというわけではないと思うが、多くの人がそうであるかもしれない。
「親戚に投票します、期待していないから」ということだった。町議会議員に期待していない。誰が選ばれても同じという。原発や放射能のことは気にならないのか?と聞くと、「もちろん、気になります。でも、誰がなっても同じだから」と。
そこからの話が聞きたかったが、そんなことを聞いてどうするの?と、県外からの私に簡単に言えるような話でもないようで、また、ゆっくりと話せる雰囲気はなかった。

「ここはみんな木村だからね、親戚に入れるよ。しかしね、震災でみんな意識は変わった。いくら親戚だって、おかしな政策だったら選べない」
お母さんとのやりとりを見ていた漁師の木村さんが来て、答えてくれた。

ホタテの養殖が再開したという、木村さん。仕事は、北海道からのホタテが届いたらすぐの作業で、鮮度が重要だから昼夜を問わない。大忙しだ。
先ほど、福島県いわき市に住む息子さんが訪ねてきて、放射線量を測って、いわきへと帰っていった。異常な数値ではないらしい。
また週末のこの日は、美容師のボランティアの一行が調髪しに来てくれた。

ついでに、気になっていたことを聞いてみた。浜の漁師さんは、震災前も原発近くの魚は採らなかったということについて。原発から流れる温水のせいで、排水口付近には奇形魚が多いという噂が昔からある。奇形魚を木村さんが見たかどうかはきけなかったが、漁師さんたちはみな原発は危険だと思っているから、原発の近くで釣り船に乗りにくる人もいるが、釣れた魚を自分たちや家族が食べることはなかったという。

木村さんが行ってしまうと外には人がいなくなり、寒くなってきたので、私たちは石巻へ引き上げることにした。

<選挙結果>
投票者数 5,041票
有効投票 4,998票
1位 さとう良一 無所属(現)574
2位 高野博 日本共産党(現)567
3位 阿部律子 日本共産党(現)540

※落選1名 阿部しげる 無所属(現)210
※新人3名の中で、阿部みきこがもっとも多い288票を獲得した。
※候補者13名のうち2名が共産党で、上位3位内に当選した。
※共産党2名以外の11名は無所属から出馬した。

他、選挙結果は女川町のページで

<参考>
女川町の推定人口:9,932人(2011年10月)
震災前の人口:10,016人(2010年)
震災の死者・行方不明者827人(死者数:449行方不明者数:378)
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by sasanoel | 2011-11-16 02:45 | 東北
前網浜で
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日下郁郎さん。女川原発建設に反対し、「原子力発電を考える石巻市民の会」の中心人物として活動を続けている。8月19日、ここを訪れたのは、震災後2度目のこと。

福島第一原発付近の浜と明暗をわけた女川で、女川原発反対をとなえてきた多くの仲間たちも被災した。
津波被害の大きさ、そして、福島第一原発がいまも放射能を流し続け汚染し続けている海。今度こそ、女川原発を廃炉に追い込まなければと決意をあらたにしている。
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女川原発の南側にあるここ前網漁港は、浜を中心に24戸の集落があった。3月11日の津波で7戸となった。
行方不明者4人のうちのひとりが19日に別の浜に遺体となって見つかった。日下さんの義母さまだった。
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がれきの山だった浜は、きれいに片付けられ、浜に近い日下さんのご家族の家があったところには、花がそなえられていた。浜の高台の家には、今も暮らしている人々がいる。日に何度か浜に降りてきて波にさらわれた人のために祈りを捧げている。

【写真について】
1枚目:日下さん
2枚目:前網浜へ降りていく日下さん。ふだんは杖を使っているのだが。
3枚目:浜のひとたちが毎日お供えしている

その他の写真
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by sasanoel | 2011-08-30 15:54 | 東北
大橋仮設住宅
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消防署の周辺にある大橋仮設住宅。被災後しばらく石巻駅が使えなかった時は、消防署が地域のランドマークとなっていた。仙台からのバスターミナルだったといえば、思い出す人もいることだろう。
いまは、仮設住宅が建った。軒先にすだれをかけ、洗濯物を干し、花を植えるなど、仮設住宅での新しい生活が始まろうとしていた。
一人の地元の人にきくと、住み心地は正直よくないが、ひとまず、落ち着いているとのこと。ペット同伴の家もある。
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by sasanoel | 2011-07-24 01:18 | 東北
日和山
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被災した漁港と旧北上川沿いの街が一望できる高台の公園。自衛隊により家々の内外にあった瓦礫の山を撤去し、かなりきれいになっていた。夕暮れ時の公園には、仕事を終えた赤十字救援職員、犬を散歩につれてきた地元の人、ボランティア、被災地観光などで石巻の被害を見つめようとする人の姿。
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by sasanoel | 2011-07-24 01:03 | 東北
仙石線、16日に石巻ー矢本が開通
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アメリカと東京からの友人と一緒に石巻を1ヶ月ぶりに訪問した。
震災から、4ヶ月が過ぎた週末。16日の朝、高速バスで仙台へ入った。当日、矢本(東松島市)-石巻(石巻市)間が開通するということで、仙石線で石巻いりすることに。1日18本運行するとのこと。私たちが乗車したのは、4本目の列車。
石巻側からの開通は初めてで、駅員さんらの晴れやかな顔が迎えてくれた。

代行バスは松島海岸―矢本間に短縮したが、この区間は住民が内陸への移住を検討しているため、駅舎も移転を検討中で、再開のめどがたっていない。

写真:2011/07/16矢本ー石巻開通
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by sasanoel | 2011-07-19 17:24 | 東北
被災地の中心で ー旅館・小松荘 ご主人、清水石さんー
写真:営業再開に取り組む小松荘/万石浦で地元の人と小松荘亭主・清水石さん
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大地震から3ヶ月が過ぎ、6月12日(日)。日本一の水揚げ岸壁(1,200m)をもつ石巻漁港に近い湊地区緑町にある、旅館・小松荘を訪ねた。

1階部分は倒壊、かろうじて無事だった2階に住み、旅館の再開を準備するご夫婦がいる。地震の日、ご夫婦は小松荘にいなかった。奥様は入院で仙台へ、ご主人は外出先のバスの中で一夜を過ごしていた。翌3月13日に戻ってくると、留守番をしていたご主人のお姉さんが津波の被害のため亡くなった。

地震後1ヶ月間は、小松荘を頼ってきた近隣の人々に開放し、避難所にしていたが、現在は、旅館の再開を目標に避難所を閉鎖した。現在工事中ですが、7月の営業再開に向け、ご夫婦の復興への取り組みが続いている。

「(被災で)目標を失ってしまったことが、被災地生活のつらさだと思う」と、清水石さんはいう。あまり商売ということではなく、旅館を早く始めることが社会への貢献につながると感じているようだ。いま、旅館の再開が清水石さんの目標となり、しっかりと前に進んでいる印象だ。
再度歩み始めた老夫婦の取り組みは、広い被災した荒れ野に咲いた、強く、ささやかな花のようにかがやいていた。

ーー被災地への観光についてどう思われますか?
被災地外で「被災地観光」というと、心ない見物目的の野次馬のようなイメージもあり、マナーの悪さも心配されるといった、そんな存在を思い浮かべるのではないだろうか。
いま、旅館を再開しようという清水石さんにとって「被災地観光」とは、どのようなものだろうか。

「被災の現実を観てもらいたい。子供たちにも来て欲しい。こんな状況なんだということを知ってもらいたい」
清水石さんの言葉は自然だと思われた。被災地に学びたいと思う非・被災者たちへの心強いメッセージだと思う。

町内会長もしている清水石さんのところには、ボランティアや現場作業をする企業からの宿に関する問い合わせが多くあるという。そのことも、清水石さんを営業再開へと導いたのだろう。
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石巻のボランティアたちは、専修大学や運動公園などの広場でキャンプ生活をしながら、泥かきや土木作業に関わっている。
宿泊施設がないため、石巻のボランティアや自衛隊、遠方からの作業員は今もテント暮らしが常識となっている。見舞い客や被災地観光者も日帰りか、もしくは1時間はかかる仙台や古川などに宿泊している。

地元の人が、仮設住宅の当選を待ち、避難所や倒壊の危険のある家屋の2階で生活している中、市外・県外からの滞在者のための施設は後回しになる。誰もそこに文句を言わない。それどころか、泥まみれのボランティアが風呂を要求すれば、非常識だとか、マナーが悪いと言われることすらある。長期滞在など不可能に近いが、実際は多くの人々が自前のテントを持ちこんで支援を続けている。

地震直後の被災地は、支援者の自給自足、自己完結した行動が現地滞在の支援者に求められた。信頼関係も生まれてきた今は、あらたなニーズ(課題・目標)を模索する時期ではないだろうか。
ライフラインや雇用の復旧、経済の正常化とともに、被災地へ足を運ぶさまざまな立場の人との対話や交流により、被災者・非被災者がともに生きることを考えていきたい。それが、これからの被災地観光の要素になるのではないだろうか。
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by sasanoel | 2011-06-14 00:59 | 東北
女川5月21日(土)番外編
いまさら2週間も前のことだが・・
従兄のヒロシの家の泥出しも手伝わずに、雨が止んで、天気がいいのに任せて女川へバスで行ってきた。女川町立病院の高台からは、女川港と被災した町が一望できる。テレビで何度かここからの景色を写していたのを思い出す。
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そんな雨上がりの女川で、自転車で長距離を来るオジサンたちに会った。
一人は町立病院の高台で会った埼玉県人。はるばる埼玉から、三陸道を通って石巻いり、私がバスできたルートでここ女川まできて、これから鮎川のほうへ行くのだという。
眼下に広がる瓦礫の港を見ながら話していると、同郷でもある神奈川県の職員に会った。神奈川県からの派遣としては、第7陣だそうだ。長い復興に向けて、これからも何度か派遣されるだろうとのことだ。

町立病院の高台をおりていくと、別の自転車乗りに会った。今度は神戸からだった。とはいえ、さすがに神戸からは・・ということで、先に自転車を仙台まで送り、仙台から自転車できたとのことだった。阪神大震災の時はセーフで被災しなかったらしい。

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by sasanoel | 2011-06-05 23:22 | 東北
石巻駅の復活
5月19日に石巻線の前谷地—石巻間で運転を再開。石巻駅は69日ぶりにようやく役割をとりもどしはじめた。
一方、仙石線はいまだ仙台ー東塩釜間のみ。しかし、松島海岸、高城町までの復旧工事がまもなく完了し5月28日には高城町まで開通する。松島の旅館街へのアクセスもしやすくなる。(現在も、松島まではJR代行バスで行ける)
写真は「ソウル・トレイン」仙石線側のホームを見つめる駅員さん。
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石巻線が復活し、駅員さんも嬉しそう(写真)
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by sasanoel | 2011-05-23 23:49 | 東北
仙石線の状況
5月21日(土)。JR仙石線、東塩釜駅
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仙台まで高速バス。その後、仙石線の開通している東塩釜まで行き、JR振り替え運行バスで石巻をめざす。運賃は、仙台ー石巻の820円。仙石線のきっぷがあれば、そのままバスに乗れる。

ロータリーで客待ちをしているタクシー運転手さんに聞いてみると、松島海岸のひとつ石巻寄り、「高城町」までは28日開通予定。開通すれば、松島海岸の旅館へ直接行けるようになる。(現在も、振り替バスで行ける)
現在の作業は、米軍は引き上げて自衛隊が行っているよう。

写真たち:東塩釜からの振り替バスに乗って。
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by sasanoel | 2011-05-23 00:23 | 東北


被災者も非被災者もともに平和で楽しく暮らせる社会をめざして。2011.03.11 ご連絡、記事についてのお問い合わせ、取材依頼は筆者までメールで。sasanoel@gmail.com
by sasanoel
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