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パラスポーツ in よこはま大さん橋、コドモカメラマン・体験レポーター募集!
パラスポーツ in よこはま大さん橋

 「みる、しる、まざる!」



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コドモカメラマン隊長・モカメくん!

「皆さん、こんにちは。カメラ、もってますか?
わたしは、コドモカメラマン隊長・モカメです。
カメラマンのカモメとして、横浜でパラリンピック・アスリートを応援しています。

2月27・28日は横浜港大桟橋客船ターミナルで、パラスポーツ体験交流会があって、トップパラアスリートや地元横浜のチームが集まります!
体験交流会を楽しんで、知りあった選手やスポーツのことを、ほかのおともだちに伝える活動をしてみませんか?!

ちなみに、船が好きなコドモには残念だけど、この日は客船がこない日ということで、大さん橋を横浜の市民文化祭に使っていいよ、ってことになり、提供してもらっています。人間がたくさん集まると、カモメにとっては好都合。一石二鳥って言葉はカモメにはなんだかなじめないけど、パラスポーツ選手に会えるし、フードコーナーなんかは他では食べられない面白い企画があるみたいで、おいしいものにもありつけそう。

2020に東京にパラリンピックがきますよね。リオでのあと4年です。
パラリンピックは、障害のある人のスポーツの最高峰の大会として、オリンピックに続いて開催されます。
横浜にも障害があってもスポーツの好きなおともだちはいると思う。世界にもたくさんいる。障害のある人のなかでも、スポーツで鍛えぬいたトップアスリートがお隣の都市にきます。いろんな国や社会の生活のなかで、競技に取り組み、厳しさを超えて楽しむ人たちのすごさ、かっこよさに触れなてみたくないか?!(こうふんすると、ついタメぐちになってしまう・・。)
2020をきっかけに、このさい、障害のある人とスポーツで仲良くなって、国境も超えて、さまざまな人々との交流を広げてみませんか!

・・その前に、カモメが住むこの横浜にもいろんなパラスポーツがあるんです。今回はそれを実際体験して、感じたことを家族や他のおともだちにも教えてあげて。
本番のパラリンピックまでの4年で地元の大会を取材して
パラスポーツを伝える専門のコドモカメラマンになりませんか?!
まずは一緒に楽しむことからはじめましょう。

(前置きが長くなってすみません。この下↓↓↓がメインです!)

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パラスポーツ in よこはま大さん橋 プログラム(予定)
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27日(土)11時~16時 

<トーク&体験交流会>
11:00-13:30「ぶつかってみよう!・われらウィルチェアラグビー横濱義塾!」
車椅子ラグビーチーム横濱義塾の選手が登場。交流のある女子ラグビーチームTKMをゲストにお迎えし、パラリンピックのこと、競技のルールについて話します。
★体験:ラグビー用車椅子の操作とタックル体験!
出演:ウィルチェアラグビー横濱義塾+女子7人制ラグビーYOKOHAMA TKM

13:30-15:30「足で蹴らないサッカーとは?指先のファンタジスタ現る!」
筋ジストロフィーなど重度の障がいがある人も身体の一部でジョイスティックを動かせば、指1本でも電動車椅子でサッカーを楽しめる。女子日本代表候補選手も登場。電クルサッカー界のエリートがそろう横浜連絡会の活動へようこそ!
★体験:専用の32.5cm大きなサッカーボールで電クルサッカーを体験!
出演:電動車椅子サッカー横浜連絡会

15:30-16:00「なぜ道路を走れない!?ハマのパラサイクリング事情とハンドバイクの楽しさ」
ひと言で自転車といっても、じつはいろいろ。それでもハンドバイクで風になりたい!
出演:花岡伸和(パラリンピック陸上・自転車)ほか


28日(日)11時~16時 
<トーク&体験交流会>
11:00-11:30「The WISH project ~日本女子アイススレッジチーム設立への取り組み~」
出演:聞き手…堀潤、山本恵理(女子アイススレッジホッケー元カナダ代表)
★展示:スレッジ、スティック、パック

13:00-14:30「トップアスリートに聞く!パラスポーツの街作り(仮)」
パラアスリートとしてスポーツのしやすい街は?横浜の街の競技環境が目指すところは。
出演:
聞き手・堀潤(NPOメディア8bitNews代表)、角野歩(建築家)
木村敬一(ロンドンパラリンピック水泳銀メダリスト)、杉内周作(アテネパラリンピック銅メダリスト)、パラリンピック水泳、パラトライアスロン選手など

15:30-16:00「風船バレー、鬼ごっこ体験交流会」
パラリンピックキャラバン活動20年のNPOパラキャンの活動にまなぶ
出演:NPO法人パラキャン、体験レポーター;堀潤+コドモカメラマン(予定)

※時間は変更になることがあります。

<常設コーナー>
・車椅子いろいろ試し乗りコーナー
・パラスポーツ写真・資料
・「パラスポーツの街作り」パブリックコメントボード

これから取材できる!
<モカメ隊長おすすめのパラスポーツイベント>
・5月14日・パラトライアスロン 会場:山下公園(中区)
・7月17〜18日・パラスイム 横浜国際プール(都筑区)

★それぞれ、リオパラリンピック直前大会があるので、みんなで会場を盛り上げたいなーって思っています。

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コドモカメラマン・体験レポーター募集!
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2月27日(土)、28日(日)のパラスポーツ in よこはま大さん橋で、パラスポーツの体験レポーターをしてくれるおともだちを募集しています。上記の体験交流会に参加して、遊んだり、選手やおともだちの体験を撮影したり、交流した感想を伝えてくれる人は下記までごお申し込みください!

「コドモカメラマン・体験レポーター」申し込み方法
お名前、住所、学校、学年とともに、とくに参加したい日時とイベントをお知らせください。
※当日の体験希望者が多いときは、予約のひとを優先します。
メール:kiki1972jp@yahoo.co.jp 
でんわ:090-7483-7648
ファクシミリ:045-534-3332
担当/石野恵子


開催場所 大さん橋客船ターミナル「大さん橋フェスタ」内
※時間は2日間とも11時から16時まで。
※パラスポーツの種類と体験開催時間は上記を確認ください。

参加主体 横浜パラスポーツのつどい
事務局 横浜市中区石川町1丁目59−5 ササノエル編集室/パラフォト企画準備室
<呼びかけ人> 
山川洋(スポーツ指導員・元パラリンピックアルペンスキー日本代表監督)
佐々木延江(NPO法人国際障害者スポーツ写真連絡協議会パラフォト代表)
杉浦裕樹(NPO法人横浜コミュニティデザインラボ代表)


キャラクターデザイン:うしのすけ
取材先:横浜パラスポーツのつどい
取材:ササノエル

「パラスポーツ in よこはま大さん橋」についてのお問い合わせ
sasanoel@gmail.com/090-8875-3029ササノエル(佐々木延江)まで。
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by sasanoel | 2016-02-13 14:24 | スポーツの前後左右
2014年、広く多様な裾野づくりへ 〜読後感想:玉木正之さん「スポーツ 体罰 東京オリンピック」〜
あけましておめでとうございます。

年が明けて、ソチパラリンピックまでの時間があとわずかとなりました。
旧年は、東京パラリンピック開催が決まり、個人的には15年以上関わってきた障害者とスポーツも新たな展開を迎えることになりました。わたし一人では根本的なことを何も解決できませんでしたが・・少しずつ、NPOの取材者としての立場を生かして、何か役に立つことができないか?と考えています。

そんな年末年始の読書は、玉木正之さんの「スポーツ 体罰 東京オリンピック」でした。
この本には、スポーツは本来自発性のもので誰からも強要されない「余暇」「気晴らし」「遊び」がもとにあり、民主主義そのものと言えるとあります。性別や障害、人種による差別を否定するスポーツは、まさに市民のものであり、裾野が広く、自然と頂点は高くなると読めました。

2020年の平和の祭典は、パラリンピックがロンドン以上のものになること、ブエノスアイレスで安倍首相が言った「アンダーコントロール」の状態が、その頃には実現されるか否かが、世界最高峰のスポーツの祭典として成功するかどうかの鍵を握っているということ、そうだと思います。

日本政府は、西洋から民主主義とスポーツを取り入れようとしたが、国民に戦争協力をさせるため軍国主義の政策と結びつけ、体育教育とし、現在までも日本の教育や競技にはびこり自らを悩ませ続けている。(これはスポーツ分野に限らないけれど。)
柔道界の体罰事件は、日本スポーツ界を象徴する事態の露呈だった。歴史をひも解けば、柔道は日本の中で芽吹いた最初の市民主体のクラブのスポーツと言えるし、嘉納治五郎の斬新な環境づくりの努力だったのに、武道とスポーツ精神を都合良く神道=天皇崇拝や戦争準備などへの政治利用が行なわれ、戦争へ向かい、体罰を肯定する習慣をもたらしてしまった。いまここではっきり認め、反省しなければ、2020年は厳しいだろうと思う。体罰=暴力=戦争とスポーツは正反対をなすものであるのだから。

またこの本はパラリンピックのことも触れていました。特別これまで他で言われてきたことと相違ないが、「スポーツ庁」に向けて、競技ごとに一つの組織で取り組む考えで、野球なら、プロ、高校、大学、社会人、障害者、女子、リトルリーグ・・などが一つの組織になるということ。また、「文化局」と「スポーツ局」をわけて作り芸術分野もともに力をいれていくべきと考えている。さらりと書かれていて、障害者のスポーツの歴史を詳しくみていくことはしていなかったが、触れ過ぎてもテーマとずれてしまいます。

時代とともに関係しあい変容してきたスポーツと政治。中枢の方針決定により、深く影響をうけた国民、社会。日本では市民文化として正確にスポーツをとらえることができなかった。ただ、それは、日本だけじゃなく、西洋の社会にも言えると思った。戦争を境にしたスポーツなら、日本と同じ敗戦国ドイツのボンにはIPC(国際パラリンピック委員会)の本部が置かれている。イギリスのストークマンデビルで車椅子競技大会が行なわれたように、ドイツでも傷痍軍人のリハビリとしてさまざまなスポーツが行なわれていたと聞いている。ユダヤ人とともに障害者も殺害していたナチス・ドイツ後の政権で、どんな反省と変革ががあり、障害者のスポーツが生まれ、行なわれてきたかを考えてみたいと思った。

いま、日本のスポーツは、障害者のスポーツも含めて体育やリハビリの延長ばかりではなく、教育課程だけでもなく、多くの人がクラブ活動や市民社会の活動の一つとして自由に取り組むものになっています。でも、変わらないのは障害者と非障害者のスポーツが当たり前に別々に行なわれていることです。スタッフも専門で、障害者が競技に取り組もうとすれば、パラリンピック強化指定選手を目指すことになる。世界最高峰のオリンピックに連なるパラリンピックは申し分ない舞台だし、見合う選手がいま日本にもいる。同時にメダルや勝つことだけではないさまざまなスポーツの楽しみを封印してしまったようだ。(そうでないスポーツ活動にも出会ったことがあるので、一概にはいえないけれども)広く多様な裾野がないまま、勝つための高い頂点をめざすもうひとつのエリートスポーツが育った。

スポーツ庁への組織や環境づくりで、障害者のスポーツだけでなく、さまざまな立場で別々に行なわれてきたスポーツや体育教育の統合は、賭けみたいなところがあるかもしれない。それは、暴力や権力の癒着、メディアとのスポンサー関係など、スポーツを支える既存組織の実態を明らかにしすることが必要になってくる。異なる目標や身体能力をもつ選手、スタッフやファンもスポーツで一つになり向き合う機会をもつようになる。日本のスポーツ史上始めての領域に入っていく。だけれども、10年程度でうまくいくだろうか。その賭け=市民社会の夢の実現にむけた努力は、うまく実を結ぶだろうか?保守的な輩に邪魔される危うさに立ち向かう賭けではあるが、この課題は誰の目にも明らかで乗り越えなければならない、しかも賽はすでに投げられてしまったのだ。

スポーツはしてもしなくても良かったり、しない方がいい場合だってある。一方、スポーツは夢や希望の実現、可能性への挑戦ができる。それが、自分だけでなく、周囲の社会によい影響をもたらすことにもつながるなら、ぜひ、よい形に結びたい。しかしその成果をメダル、結果だけに集約し効率化するだけでは、これまでと何も変わらない。プロセスの質が高まる必要がある。
まず全できるかぎり自発性の取り組みが生まれることを、できるかぎり多くの人々が理解する必要がある。そうして生まれた選手が、どんなに練習を積んでも、強力なサポートがあっても、得ることは圧倒的に難しいことを理解しながら、ともに長い時間をかけていく過程すべてが競技環境と思う。そんな時間のすえに、高い山頂に美しいジェラートを見つけるように、その爽やかな輝きは遠くからも確かに見つけることができるような。

効率的にメダルをとるのではなく、いま、ふたたび、スポーツとは市民や社会にとって何なのか?を問うことが、スポーツの価値を見直すことにつながると思います。
また、同じように、障害とはなにか?と問うことの中にも、新しいスポーツの価値をみつけるうえで深く関わってくると思います。

・・と、玉木正之さんの読後感想のついでに、好き勝手いわせていただきました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2014年1月 Paraphoto/佐々木延江
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by sasanoel | 2014-01-05 03:37 | スポーツの前後左右
ジャパンパラ水泳競技大会、こぼれ話
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7月14日・15日に行なわれたジャパンパラ水泳競技大会の本編の記事(パラフォト)に納めても良かったのだけど、選挙前でどうしたものか?と考えて、こちらに。

ロンドンパラリンピックから一年。競技に向かう選手たちの中で、ひとり、一直線に政治家の道を行く、視覚障害スイマー・河合純一がいた。
大会初日の朝、会場の大阪なみはやドームに集まる選手たちを選挙演説で迎えていた。衆議院議員選挙にみんなの党から出馬した。

競泳選手、日本選手団主将として挑んだ、2004年アテネパラリンピックで金メダルを獲得した後は、選手活動を続けながらも徐々に準備し、政治の舞台へ立とうとしていると感じた。今年は、障害者水泳連盟の会長にも就任している。
政治家となるからには、パラリンピックや障害者水泳のことだけではなく、広い視野で発信しなければならない。遠くから見ているだけだったが、ごく自然に選手から政治へシフトし、違和感はほとんどなかったばかりか、こちらのほうがあっているとさえ感じられた。

先日、ニコニコ生放送で、自民党の元K-1格闘家・佐竹雅昭氏と討論したが、生中継してみると、一般論しか言えない佐竹候補者と自分の言葉で話せる河合の差が歴然と示された。
ちょっとズレるが、この生討論の状況を見て自民党は出演者の人選をたまたま間違えたというより、プロフィールだけの賑やかしで中身のない候補者ばかり集めているとみえてしまった。選挙や政治に関心のない有権者にアピールするには、それで十分だったのだろう。選挙を真剣に捉えるこれからの有権者に、通りがかりの人に名前を覚えてもらうための「3秒戦略」が通じなくなるのは、時間の問題だ。

スポーツに象徴される、障害者と健常者が区別されてきた日本の文化を問い直し、スポーツ、障害、教育の面から当事者として、政治に向き合い、選手時代とかわらない挑戦をしようとしている。

「見えないからこそ見えるものがある」は河合の選挙キャンペーンのキャッチフレーズだが、2016年は、河合純一がオリンピック・パラリンピック招致の最終スピーチをコペンハーゲンで行なった中に、その原型がみられる。彼なら、証明することができるだろう。政治でもメダルをたくさんとって欲しい。

IOC総会で、パラリンピアン河合純一選手のスピーチ(パラフォト)/日本のパラリンピアンが世界に高く評価されたスピーチだった。
http://www.paraphoto.org/2006/?article_id=413

河合純一公式サイト
http://your-kawai.net/wp/

写真:7月14日、大阪なみはやドーム前で。
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by sasanoel | 2013-07-20 00:08 | スポーツの前後左右
障害者サッカーの魅力、横浜の選手が伝える!
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イベントから2週間が過ぎてしまったけれど、私の住む横浜から世界を目指すひとつの取り組みを伝えておきたい。
2月16日、日産スタジアム内にある横浜市スポーツ医科学センターにて「電動車椅子サッカーとともに生きる」が開催され、1月にシドニーで行なわれたアジア・オセアニア大会の報告や国際化への取り組みの歴史など、電動車椅子サッカーの魅力を伝える講演会で、地元クラブ・横浜クラッカーズの選手により語られた。

「電動車椅子サッカーに生きる」講演会
http://www.ut-challenge.jp/c01/2013/02/post-45.html

電動車椅子サッカーは、全国9ブロック35チームあり毎年日本一を決める全日本選手権が行なわれている。世界大会も2007年に東京で初めて実現した。横浜クラッカーズは、1999年に横浜ベイドリームから別れて結成、2011年、クラブ創設13年で全国初優勝を果たした。2007年の世界大会には、野田拓郎を日本代表に送り出し、今年のAPOカップには、三上勇輝選手、そして、日本代表初の女性ストライカー・永岡真理選手を送り出した。横浜ラポールをメインコートに練習する強豪チームである。

イベントを企画した平野誠樹は、現在、監督・選手である。また、2004年のアテネパラリンピックでCPサッカー(脳性麻痺7人制サッカー)を取材したパラフォトの取材仲間でもある。著書に「110センチの視野」(2007年)があり、選手として、筋ジストロフィーを抱える人生の挑戦者として、自分のこと、自分を取り巻く家族や仲間とともに生きる半生を振り返り、描いている。

2007年の世界大会への選考会に平野は参加できなかった。自身の障害筋ジストロフィーの進行もあったが、それ以外でも体調も崩していたことが理由だ。国際大会の実現のためにパラリンピックも視察して、中心的に努力してきた平野にとって、心穏やかではなかったことだろう。こちらも声をかけるべきか悩んでいたとき、「カメラマンをお願いできますか?記事は自分が書きますから!」と、連絡があった。嬉しかった。おかげで私も記念すべき第1回世界大会を取材者として観戦できた。

アテネで始まった取材活動、これからも!

「電動車椅子サッカーの選手ですが、パラフォトでアテネに取材者として行くことはできますか?」そう連絡をくれたのがきっかけで平野のことを知った。もう10年近く前になる。「サッカーの選手が、サッカーの試合を観て伝える。すごく面白そうだ!」と思った。これまでも国際大会の取材に車椅子のジャーナリストはいたが電動車椅子は初めて。でも、障害者スポーツを伝えるのに障害があるからと取材者を拒むのはおかしいし、むしろ必要なことだ。JPCも、IPCも同じだろうと思った。平野は、お母さんを介助者に、弟さんをカメラマンに従えて3人の取材チームを作り、石畳のアテネを電動車椅子を充電して毎日会場に通った。
アテネの会場でも、「きみのような取材者が来るなんて!」と、各国のCPサッカー選手たちの間で平野の取材は評判になったようだ。選手であり障害者であるというダブル当事者性は、取材対象にも歓迎されたのだ。これからも、ぜひ、障害者のサッカーの取材を考えてみて欲しい。

(写真は、横浜クラッカーズのメンバー(左から平野、三上、永岡、野田)と、ゲストスピーカーとして会場を訪れた元ブンデスリーガー 奥寺康彦さんと)


<平野誠樹の記事>

【アテネパラリンピック記事インデックス】

「ゴールを狙え」もときのCPサッカー便り
http://www.paraphoto.org/article/motoki/


【2007電動車椅子サッカー・第1回ワールドカップ東京大会記事】

「エースのプライド、そしてニューヒーローの誕生」
http://www.paraphoto.org/2006/?article_id=132

「日本対アメリカ 豪快な一撃」
http://www.paraphoto.org/2006/?article_id=134

「日本×フランス戦」 どうした日本?
http://www.paraphoto.org/2006/?article_id=141

「<三位決定戦>その先にあるもの」
http://www.paraphoto.org/2006/?article_id=142
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by sasanoel | 2013-03-01 20:31 | スポーツの前後左右
ソチへ、トレーニング中の東海将彦選手
パラリンピック・アルペンスキーの東海将彦(エイベックス・エンタテインメント所属)に会うため、10月18日(木)板橋のトレーニングスタジオを訪ねた。アメリカ留学時代から20年来、東海をみてきたパーソナル・トレーナー輪島節雄さんのオフィスにて。

これまでの経緯 「ケガとの闘い」

東海選手は、2006年トリノでパラリンピックに初出場。ジャイアントスラロームで銀メダルを獲得、スラローム4位、スーパーG5位と好調なデビューを果たした。
その後、バンクーバーを控えた2009年2月にカナダ・キンバリー(ノース・アメリカン・カップ)でのダウンヒル公式トレーニングで左足を骨折、シーズン以降、ケガとの戦いが今も続いている。

バンクーバーへ向かう2010年3月。東海のケガはようやく回復がみられ、代表チームの練習に復帰した。その矢先、バンクーバー直前のジャパンパラリンピック(白馬)で再度負傷し、傷を深めてしまった。
代表に選ばれていたバンクーバーパラリンピックは、治療の状況により結局現地へ渡航することができなかった。スキー競技ではケガはつきものなのだから心配ないだろうという見解だったが、この時、東海は骨折していたのだ。

「バンクーバー前のレースは、荒天や雪の状態でとても危険でしたが、パラリンピックに行くためには、出なければならなかった。結果、インスペクションで転倒し、さらにケガを悪化させてしまったんです。治療中でも現地へ来るよう言われましたが、それは無理でした。」

現在のケガの状況は・・・?

「だんだんと良くなっていると思うが、つねにケガをかばう形での生活が長くなっているため、滑りに影響が出ないよう注意して競技しています。ケガの部分の痛みはだんだんとれてきていますが、痛みをカバーしながら滑ることによる、左右のアンバランスさを修正する必要があります。まっすぐに滑ることができるよう、ジムで自転車に乗ったりもしています。 あと、全身の柔軟性と筋力アップ、敏捷性の向上などで体幹を鍛えるトレーニングを工夫しています。」
東海の場合、ケガは完治するということよりも、むしろケガの回復を図りながら、競技で勝つことをめざしていくことがダブルの課題となっているよう。


以前も道具の話をされていましたが、いまは何か重視している課題がありますか?

スキーブーツと情報の壁

「スキーブーツに関して、国産のレグザム社の協力で、自分のケガの状態を踏まえた濃やかなサポートをしていただいていますが、ブーツの高さに関しては競技規定の確認をする必要があり、どのようにできるか課題になっています。
ブーツの高さはFIS(国際スキー連盟)のルールで43ミリまでとなっているのですが、高さや角度に関しては、痛みを抑え、バランスの良いポジションを探るための重要な部分になります。そこでもし、障害クラスに準じたルールがあれば確認したいと思います。しかし、ルールについては連盟を通じてすることなので、選手が気軽にメールや電話でというわけにいかないです。」

実際の海外のレースで規定より長いのでは?というブーツを見かけることがあるという。しかしそれがルール上可能なのか規定違反なのかは、わからない。決まっていないのかもしれないが、問い合わせたり、交渉したりができているわけではない。

スキー競技では、競技中の多少の捻挫やケガはブーツでカバーできてしまうほどブーツの存在は大きい。FISは大きな大会の種目ごとに、スキーブーツの靴底の高さを見直している。
東海の怪我した足首に対応したブーツの改良は、競技の戦略上ももちろんのことだが、滑れる状態をつくるという安全面からも欠かせない。

少し話しはずれるが、スキーに限らず、夏・冬のパラリンピックでは、年々競技技術の向上とともに、競技用義足や車椅子の性能もあがり、用具に関係するルールや解釈に変化が生じることがある。その情報の中心は、やはり欧米の競技連盟や開催国の委員からであるため、日本チームにとって「言葉の壁」「情報の壁」をつくらないことが、戦略上の課題となっている。
先月閉幕した、ロンドンパラリンピックでも、日本の多くのアスリートや何人かのスタッフがその課題を明確に感じているようだった。

パラリンピック・アルペンスキーは、FISが各種目や用具のルールを定めているほかに、IPCアルペンスキーによる障害のクラス分けと3カテゴリー(視覚・立位・座位)の障害種別、程度別にハンディキャップ係数が定められている。係数については必要に応じて見直しが行なわれているようだから、スキーブーツに関してもFISのルールでは補えない部分に関する交渉の余地があるのではないだろうか?

アメリカでの合宿と台所事情

世界を目指すアルペンスキーヤーたちにとって、2012-2013年のシーズンは勝負の年。2014年のソチ(ロシア)の本番まであと1シーズンと少しだからだ。パラリンピック選手も同様11月からは欧米各地でIPC公認大会が始まり、そしてシーズン後半の2013年3月には、いよいよソチでのプレ大会が7日から開催される。

世界一と言われる日本のチェアスキーチームで、狩野亮(マルハン)や、東海を慕う立位の三澤拓(キッセイ薬品工業)、小池岳太(セントラルスポーツ)らも、そろそろオーストリアの合宿地に到着している頃だろう。
東海も、いちど9月に帰国し、10月末にはシーズンの始まりを迎えるため渡米する。今シーズンは世界ランキング16〜22位からのスタート。トレーニングは留学時代からのアメリカ。
代表チームと離れてアメリカで練習する理由は、ケガのための個別スケジュールが必要なことはもちろんだが、台所事情や、東海自身もIPCポイントを効率よく獲得していくことのできる競技環境が不可欠だ。ベテランの判断は幸いコーチからも信頼を得られているようだ。

「アメリカのスキー場は人工降雪機などでほぼ一年中雪上トレーニングができます。旅行代金もヨーロッパよりは安くてすみますし、アメリカでの練習で成果が得られることは後輩たちのためにも大事なことだと思っています。」

現在、パラリンピック・アルペンチームの選手誰もが自己負担で遠征費を捻出しなければならない。選手たちは所属する会社から給料や活動費の形で収入を得て活動している。東海も、バンクーバー後のシーズンからエイベックスに所属変えし、給料をつぎこんでリハビリとトレーニングをしている。
「エイベックスでは万全の体制でバックアップしてくれている。スキーブーツもスキー板も、メーカーの全面協力によりテストを繰り返し、迅速に、そして安全に競技ができるよう調整できる体制となっています。」と東海は言う。ケガを重ながら技術を磨き続ける東海の挑戦は、会社や協力メーカーによって大きく支えられている。だからこそ、費用対効果のある年間のスケジュールを組むことが東海には課せられていることだろう。

ちなみに今年8月に発表されたパラリンピックアスリートの実態調査で、自費による年間の平均強化費は144万円だが、アルペンスキーの場合、道具をそろえるだけで100万円が平均。年半分は海外でトレーニングする東海の場合、400から500万円くらいにはなる。他の競技とは比べ物にならない。


ソチへの意気込みは?

日本チームで戦うために

「今回は、ジュニアの選手が、アメリカに来る予定なんです」と東海は教えてくれた。
まだまだ少ないが、アルペンチームにも数名の日本代表をめざす若い選手が、トップチームとともに練習を始めている。本陣の合宿へも同行し、途中からコロラドへ渡り東海とともに練習、大会に出場するようだ。

「アルペンスキーは3カテゴリー制採用により、パラリンピック競技の中では参加人数も多く、メダルを獲得するのは容易なことではありません。でも、まだまだ自分には可能性があるものと信じ、競技に取り組んでいきます。
競技環境で日本は世界に遅れをとっていると痛感します。それに相反するように、海外の強化はものすごい速度で進んでいるようにも感じますが、選手個々が危機感をもって、もう一度ここで仕切りなおして、集中していけば、ソチでも日本チームは輝けるはずです。」

いよいよ、ソチへむけての最終段階が始まろうとしている。アメリカ、ヨーロッパ、長野と日本チームの視野は世界へ向けられている。その一極にいる東海は、一等星の輝きで変わらないエネルギーを放っていた。


10月18日(木)板橋:スポーツトレーナーズグッディにて

★この記事は「パラフォト」に掲載したものとほぼ同じものです。トレーニングの様子の写真はパラフォトのサイトからどうぞ。※現在パラフォトのサイトはロンドン仕様になっていますので、この記事は右横のリンク[Paraphoto Home Page]からご覧ください。
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by sasanoel | 2012-10-21 16:42 | スポーツの前後左右
松島マラソンに全国から5000人のランナーが参加
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10月9日(日)、快晴。1977年から毎年10月に行われる「松島ハーフマラソン」が、今年は10キロ・5キロ・3キロの「松島マラソン」として開催され、全国から5150人のランナーが松島の地に集まった。東日本放送の主催。
3月の震災後初となるが、ハーフマラソンのコースの一部が被災し、使えなくなっている。

朝8時の選手受付開始を前に、多くの競技役員やボランティアが準備していた。
「ゼッケン番号を間違えないようにしてください。毎年100枚ぐらい間違っています!」とメガホンの男性がボランティアに注意を促すのに、「えー、そんなに?」とつい後ろで反応してしまったところ、「いや、ウソです」とのこと。

地元出身・視覚障害の男性ランナーは、7時すぎから5キロの選手受付の前で白杖を持って立っていた。
「いつも参加されているんですか」と声をかけると、
「もう10回ぐらいになるかな。月2回は、仙台のマラソンクラブで伴奏者について走ってもらっています。今日も伴奏者と一緒に走るので、見ていてください」とのことだった。5キロの制限時間は50分。彼は、制限時間以内をめざして走るとのことだった。

5キロ男子の優勝は、15分35秒(東京電機大学/埼玉県・吹切翔平さん)だった。

前日のトレーニングで足を痛めたという、神奈川県出身・5キロに参加した40代男性ランナーは、走り方を工夫して何とか26分台でゴールし、コメントをくれた。
「走っていると、応援されるのがとても嬉しい。工夫して作ってきてくれる、応援グッズなどがみえると、やっぱり嬉しい。よくなぜ走るのか聞く人がいるけれど、意味のない質問だよね。気持ちよいから、走るにきまっているよ」

震災からの復興を目指す松島で、マラソンを楽しむ市民ランナーの力強い笑顔を見ることができた。

2011松島マラソンの写真
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by sasanoel | 2011-10-13 21:15 | スポーツの前後左右
パラリンピアン街頭募金活動
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5月28日(土)、銀座。パラリンピック・アスリートの選手会である日本パラリンピアンズ協会主催の東日本大震災義援金の呼びかけが行われるというので、取材に行ってきた。
きていたのは、アルペン、水泳、アーチェリーの選手合計10名。雨の中、大きく、力強い声で道行く人に呼びかけていた。
震災後は初めてのためか、久しぶりに選手たちの顔を見たような気がして、嬉しかった。

詳しくは、パラフォトの記事に掲載した。
2011年05月28日 [パラリンピアン]「震災義援金パラリンピアンが呼びかけ」
http://www.paraphoto.org/2006/?article_id=680

選手、スタッフのみなさま、おつかれさまでした〜!
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by sasanoel | 2011-05-28 23:48 | スポーツの前後左右
被災の影響
東北の選手

<無事を確認できている選手、チーム>
大井利江(陸上)男/岩手県九戸郡洋野町/頸髄損傷
佐藤真海(陸上)女/宮城県気仙沼市(東京在住)/右下腿切断

宮城マックス(車椅子バスケ)
以下のHPで確認。
http://www.miyagi-max.com/top.htm


大井選手のことは、パラリンピアンズの河合選手から無事との知らせをもらった。
シッティングバレーのチームに青森の選手が何人かいるが、青森だから大丈夫だろうか・・。


<中止となった大会>
(3月11日JSFD発表)
22年度JSFD冬季記録会in静岡→3月13日(日)開催予定を中止

(3月14日JOC発表)
2011ジャパンパラリンピックアルペンスキー競技大会の中止(11/03/14)
3月20日から22日、長野県白馬村での開催を中止

(3月18日発表)
2011 IPCバイアスロン&クロスカントリースキー世界選手権大会への派遣中止
 →3月31日~4月10にロシア ハンティ・マンシースクで24カ国 200人(日本選手団 選手6名、役員6名)の参加で行われる大会への出場を中止


<中止となった活動>
ブラインドサッカー日本代表合宿(3月14日、JBFA発表)
3/19(土)〜21日(祝)で開催予定のB1クラス日本代表強化合宿

ほかにもあると思うが・・。
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by sasanoel | 2011-03-20 17:34 | スポーツの前後左右
デフリンピック選手のシーズン
2月18日からスロバキアのハイタトラスで行われるはずだった13回冬季デフリンピックが、大会直前に中止となった。この事件に関して、関係者の国内取材している。

3月11日の震災で、東北地方が被災したけれど、12日・13日の2日間にわたり、旭川でクロスカントリースキーの「バーサロペット・ジャパン」という大会が予定通り行われた。一般の大会だが、この大会にはデフリンピックの日本代表の喜井寛選手と尾形裕基選手が参加することになっていて、注目していた。

旭川は道央にあり津波の被害はなかったが、選手は県外からの参加のため、ふたりとも来れなくなった。クロカン選手の今シーズンのレースはこんな形で終わった。

今シーズンの内に、デフリンピック選手に取材できたらと思い、つぎの取材の機会を考えていたが、余震や、震源の異なる地震が続き、揺れが止まらない。そうこうしているうちに、毎年長野県で取材しているジャパンパラリンピック・アルペンスキー大会も中止ということになった。
実はここでも、ひとり参加することになっていたデフジャパンの選手にアプローチしようとしていたが、こちらもアプローチする前にダメになった。

その後は、選手へのアプローチができないでいる。
しかし、この事件が風化したわけではない。
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by sasanoel | 2011-03-18 17:33 | スポーツの前後左右
JPC北郷会長からのメッセージ
北郷会長のコメントがJPCのホームページに載せられました。

------ここから------

この度の東北地方太平洋沖地震・長野県北部地震は、各県に甚大な被害をもたらしました。被災されたみなさまに心よりお見舞い申し上げます。IPCのフィリップ・クレイヴェン会長からも被災されたみなさまに、暖かいお見舞いの文書をいただいております。日本障害者スポーツ協会は、全国の障害者スポーツ関係者とともに、一日も早い復興と、みなさまのご健康を心よりお祈り申し上げます。

財団法人日本障害者スポーツ協会
会長 北郷 勲夫

------ここまで------
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by sasanoel | 2011-03-16 16:53 | スポーツの前後左右


被災者も非被災者もともに平和で楽しく暮らせる社会をめざして。2011.03.11 ご連絡、記事についてのお問い合わせ、取材依頼は筆者までメールで。sasanoel@gmail.com
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