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仙台ー石巻のバス移動、4月1日から
石巻線(臨時便)
「仙台駅前(青葉通り さくら野前33番のりば)」「大橋臨時発着場(石巻市大橋一丁目1番、石巻消防署隣接地)」の2点間を、臨時便で運行。

発車予定時刻
・仙台駅前
7:07、7:37、8:07、8:37、9:07、9:37、10:07、11:07、12:07、13:07、14:07、15:07、15:37、16:07、16:37、17:07、17:37、18:07、18:37、19:07、19:37、20:07
・大橋臨時発着場
6:00、6:30、6:50、7:10、7:30、7:50、8:10、8:30、9:00、9:30、10:00、10:30、11:00、12:00、13:00、14:00、15:00、16:00、16:30、17:00、17:30、18:30

その他の情報(ナビタイム)
宮城県内/仙台-石巻-女川[高速バス] 女川車庫前方面 平日のダイヤ(2011年3月31日現在)
仙台-石巻間

ボランティアの移動(仙台ー石巻専修大学)
石巻専修大学で登録、被災地の掃除・片付けなどで来る人へ
※県外ボランティア募集情報あり
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by sasanoel | 2011-03-31 04:16 | 東北
困っているのはお互いさまと言いたいけど、やっぱり事前にことわって!
経過報告6


To:ササノエル@gmail.com
Date:2011年3月30日22:00
Subject:お疲れ様です ヒロシ
From:softbank.ne.jp


3月30日(水)
写真:自衛隊からの物資到着のようす、その他の写真
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副班長によると、今日、見知らぬ 男性が 勝手に倉庫に入り込み、衣類を物色していた為、話しかけたところ、「ここにくれば色々貰えると聞いた」との事・・・。
事前に事情を話てもらえば、こちらも快く物資を差し上げたのですが、ドサクサに紛れる様なかたちで 大切な物資を持ってゆく泥棒行為は、容認できません。その男性には事情を話しおひきとり頂きました。残念なことです。
明友館避難所も満足に生活している訳ではありません。
我々以上に大変な状況にある避難所または、自宅避難生活の方に物資を配給しています。その事を知っていただきたいと思います。

<天気>
本日避難所付近は曇り
午後から一時小雨。南のち北西の風よわく
気温4度~12度

<配給>
・自衛隊より
日用品 体温計などの家庭医療器機
(かなりの数量他の避難所への配給品も含まれていました)

・石巻市より
パン、おにぎり
給水車

・危機管理センター
配給 医薬品 消臭スプレーなど大量


<今日の事>
六時半ラジオ体操
朝食
断熱材を各部屋の床に設置(新潟からの支援物資 )
湊小避難所へむけ物資輸送
TBSテレビ取材

家内の両親が平泉からきてくれて、自宅の整理を家族全員で 4時過ぎまで行いました。
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by sasanoel | 2011-03-30 23:49 | ヒロシから
石巻市立湊小学校の卒業式
経過報告5

To:ササノエル@gmail.com
Date:2011年3月29日21:36
Subject:お疲れ様です ヒロシ
From:softbank.ne.jp


3月29日(火) その2
写真:石巻市立湊小学校の卒業式。その他の写真
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昨日、Twitterに石巻市立湊小学校の卒業式が行なわれるとのtweetがあり、家内と卒業生の娘の三人で湊小に向かいました。

卒業式会場は一階の理科室だった。津波で床上2メートル以上水没したにもかかわらず、職員、行政関係者、自衛隊、ボランティア、そして湊小を避難所とする方々の懸命な瓦礫撤収・清掃作業により窓ガラスまで ピカピカに磨き上げられていた。感謝の気持ちでいっぱいになり、涙が出ました。

卒業式は、震災で命を亡くした方々への黙祷からはじまり、悲しみや、楽しかった想い出、復興への力強い誓いなどが重なり、複雑な心境でしたが、号泣し、生徒への思いを語る娘の担任・佐々木先生の姿に、我々も頑張って 生きて行こう!そんなエールをもらった卒業式でした。

卒業式のあと、子供達へボランティアの方々からお祝いのオムライスとバナナチョコクレープが配られ、子供達の笑顔に癒されました。自分と家内もオムライスを半分づつ頂きました(^o^)。
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湊小での卒業式を終えて避難所に戻り、午後2時に家内と実家の瓦礫撤収にむかいました。
実家は、一階1.5mほど水没したために、家具類 畳はグチャグチャで殆どが倒れてしまい、足の踏み場が無い状態でした。
今日はヘドロと散乱した食器・小物類の整理、タンス類の廃棄を2部屋行い、 四時すぎに避難所に戻りました。

写真は、湊小への道程
不動町から八幡町~湊町~吉野町の写真です。
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by sasanoel | 2011-03-29 23:50 | ヒロシから
1階をすべて倉庫に
経過報告4

To:ササノエル@gmail.com
Date:2011年3月29日20:50
Subject:お疲れ様です ヒロシ
From:softbank.ne.jp

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3月29日(火)  その1

写真は、医薬品類庫
一階の施設全ての部屋を 清掃し倉庫としました。
清掃はヘドロと瓦礫との戦い、配給品のゴムベラ(ワイパー)が大活躍でした。

明友館避難所は、避難指定外の施設だったため、生活のために準備や物資調達を当初から自分たちで行ってきた。
震災から4日目(14日)に、市職員に働きかけ、今現在は指定避難所となっているが、民間ボランティアの物資への依存率が高い。また、余剰になる配給品(特に食料・衣類・医薬品など)は、他の避難所、また、自宅避難者に届けています(信頼出来る避難所の責任者と事前打合せを行った後に)。

石巻市の担当者によると、職員数が足りておらず、各避難所に対する配給の数量の管理や、避難所以外に避難している場所の特定ができていない。「出来る限り、避難所単位での物資の確保をお願いしたい」との事だった。


<今日のこと>
天気、本日難所付近は晴れ(西よりの弱い風、気温0度~13度)
昨日同様 ひざしが暖かく感じられました。


<配給>
石巻市より パン おにぎり
給水車


今日は、湊小での卒業式(29日・その2参照)のため、避難所での作業はお休みさせていただいたので、他避難所への物資配給など把握出来ていませんが、昨日搬入した野菜類・医薬品・衣類などの搬出があったようです。
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by sasanoel | 2011-03-29 23:43 | ヒロシから
避難所の事務所にテレビがついた
経過報告3

To:ササノエル@gmail.com
Date:2011年3月28日20:03
Subject:お疲れ様です ヒロシ
From:softbank.ne.jp

3月28日(月)、写真
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いまここは、民間ボランティアの物資が豊富な状態となっています。
100人程度の避難民、更に全国に友人のネットワークがある。恵まれていると思います。人が人をよび、物が集まる状態をごく自然に作りあげています。
自分たちは、他の物資不足避難所への援助を最大の使命と考え、行動しています。

<今日の事>
天気、晴れ(北西の風、気温-1度から7度)
気温も高く過ごしやすい一日でした。

・朝はラジオ体操から始まり、7時半過ぎ朝食。
・事務所にテレビが設置されました!

今日は物資の仕分け作業 搬入作業で1日が終った感じ。
避難所前の県道では、石巻市による瓦礫の除去作業が行われました。
母と姉は、川向こう、大橋付近の消防署脇で行われている自衛隊による風呂に行きましたが、終了時間を過ぎたため入ることができませんでした。

自分は開北方面へ向け物資の配給に向かいました。開北方面 蛇田方面は見た目冠水がほとんど無い事と、通電した為に、断水は続いていますが、自宅で過ごせているなど、普段の町とかわらない様子に見えました。

届いた物資の中にメッセージが有りました。
励みになります、涙がでます。

今日の事つづき
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by sasanoel | 2011-03-29 05:02 | ヒロシから
避難所の立ち上げ
経過報告2

経過報告1、2 は、3月26日に現地を初めて訪問し聞いたことを整理した。

<明友館避難所>
所在地:石巻市不動町2-16-10 石巻市民会館隣
避難者数:110人(3月26日・河北新報)

石巻市民会館が老朽化により3月14日より耐震調査が行われる予定だったこともあり、その隣にある市民活動施設「明友館」が、事実上、不動町の人々の避難所となっていたが、正式な避難所登録がされていなかった。そのため実際に予定通り避難した人々が生活に必要な環境を整えるまでに時間がかかった。

11日(被災当日)は雪も降り、気温は低くなった。明友館は電気、水道、ガス、情報などの全てのライフラインがなく、避難者は寒さに凍える一夜を過ごした。

食料は2日目の11時すぎ、はじめておにぎりが届いた。誰の配慮なのか、わからない(3月27日現在)。それから、4日目(14日)まで、水、おにぎりのみだった。
避難所の整備のため、食料、燃料、作業用具などの略奪もせざるを得なかった。従業員のいたところは、避難所の立ち上げのために必要だからと事情を説明して理解を得た。
(一馬地区、パチンコニューセブン、南国フルーツ、ヨークベニマル、ワークマンより、避難所の立ち上げに必要な物を調達。無断となってしまったこともある。自動販売機1台も設置している土地の使用者にも頼まれて壊した)

13日(3日目)
女川からの避難者が増える。
<男たちのグループ>
 千葉さん 明友館職員、ハーレーダビットソン全国組織にも所属。全国のバイク仲間に呼びかけ。
 今野さん 株式会社 かきあめ喜栄、石巻名物・かき飴の製造、露店商。売り物のかき飴をたくさんもってきてくれた。

15日(5日目)
不動町の町内会の人がきて、責任者をきめる。


電気は27日現在、まだにつながらず、携帯電話の充電は発電機で行なっている。
インターネットは繋がる。
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by sasanoel | 2011-03-29 03:32 | ヒロシから
不動町・明友館
Date:2011年3月28日23:33
Subject:取材ノート
by:sasanoel

牡鹿半島を含む石巻は、28日現在で被害者数2,245 人、行方不明者2,728人、25,063人が避難している。旧北上川河口・河岸にあり、津波は港、河口から逆流して家々を襲ったという。
不動町は石巻の中心にある。旧北上川にかかる石巻大橋を渡ったあたり一帯が不動町だが、川のすぐそばにあるため、上げ潮による増水は今も続いている。写真右手の白い建物が、避難所となっている「明友館」。
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写真は26日4時過ぎ頃。上げ潮になると県道に水が増してくる。宮城の浸水地域の70%はまだ水が引いていないらしい。
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by sasanoel | 2011-03-28 23:33 | 取材ノート
被災から非難まで
経過報告1

<不動町周辺の被害と佐々木家>
佐々木家は、石巻市不動町、旧北上川の河口流域に生活していたため、川に逆流する水で1階はほぼ浸水状態となった。
石巻の避難所明友館は、指定避難所になっていなかったため、避難者が協力して避難所機能を立ち上げた。
現在110名(河北新報26日)が非難生活をしている。
道路はまだ水が引かず、上げ潮による増水もある。
停電状態で、テレビはない。ラジオからの情報はある。
発電機により携帯電話が充電できるため、iPhoneなどでインターネットから情報収集している。


所帯ごとに、
照男・笙子(2階建て)
仁美・ミサ(マンション・1階)
洋・めぐみ・涼多・麻衣・賢大(2階建て・旧北上川沿い)

家族は全員避難所へ非難し、無事だった。


<震災の時>
津波が来たら、「佐々木家は明友館に」ということになっていた。石巻市民開会横の隣にあるが、市民会館は老朽化していたので、立て替えの予定だったから、あらかじめ打ち合わせしていた。
津波警報で、逃げる準備はしていたが、波に飲まれたり、逃げる途中で巻き込まれたり、町内で6人の死亡が確認されている。
波に飲まれて、生き延びた人もいる。

<11日2時45分/それぞれの行動>
照男
照男と叔母の笙子は2丁目の2階建てに二人で暮らしていた。もと石巻郵便局局長。
警報があり、2階に避難していた。水が少し引いて、町内会で面倒を見ることになっていた2人の無事を確認するため、一人、明友館には向かわなかった。その後、数日消息不明。自宅に近い、町内会の災害対策本部を結成し、役員の方々と避難生活をしている。

笙子
照男と別れ、明友館(避難所)へ。
電気も暖房も食料もない部屋で、パイプ椅子に座り、一夜を明かした。

仁美
野蒜にある職場に勤務していた。野蒜から、避難所のある不動町までは、ヒッチハイクで消防隊の車に乗せてもらい、明友館にたどり着いた。

ミサ
不動町のマンションから、コーギー犬のハナを連れて明友館へ。

洋(めぐみ、涼多、麻衣、賢太)
湊小学校避難所に賢太を迎えに行ったまま2日間滞在。そこで班長を任されそうになったが、他に立候補する人がいたので、賢太と明友館に避難。
湊小の校庭や河口1kmのところで、家が流れて行くのを目撃した。
12日午前に明友館で合流。
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by sasanoel | 2011-03-28 06:46 | 取材ノート
佐々木家の経過報告メモについて
石巻市不動町に住む家族、佐々木家の非難生活のメモを整理し、記録して行く。
このメモは、被災者である佐々木洋(従兄)の協力により作成していく。
筆者とは親戚関係にあたる。

この目的は、これから復興に向け、被災者の経験や想いを、非被災者の立場の佐々木延江が観て、のこすものである。すべての記述責任は筆者にある。できるだけ間違いのないよう作成していく。

佐々木家は幸いにも家族が助かった。被害の大きい宮城県石巻地域では、同様な被災者が数多くいることと思う。これからどう生きて行くかが重要である。

また、多様な被災者がいる。津波で亡くなった方、家族をなくされた被災者の方、避難所で生活をしている方、被害の大きい地域周辺の自宅で生活する方、一人暮らしの方。そして、安否が確認できていない方の家族や友人は、全国、全世界にも及んでいる。非被災者は被害の状況をテレビや新聞で知る。彼らもまた、被災者の一部なのではないだろうか。

ブログでのメモの掲載にあたり、個人情報については既に公開されているもの意外は非公開とする。新たな公開が必要な時は本人の許可を得ることにする。

また、このブログの記事・写真の転載については禁止します。
引用等の必要がある場合は、使用目的を明記の上、ご連絡ください。
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by sasanoel | 2011-03-27 14:08 | ヒロシから
「被災者には悪いけど、人を助けられると思うとワクワクします」
26日夜、仙台に戻る。明日の朝、東京行きの高速バスで横浜へ戻る。
駅前のビルや道路は倒壊などはなく、夜の街は一見震災前と変わらないようにも見えるが、ビルの中の壁は崩れ、ほとんどのエレベーターが使えない。

幸いなことに、ネットカフェに個室がとれたことは前に書いた。
食事をしようと思ったが、コンビニ、ファーストフード店は休業している。営業していたのは牛タン屋だった。ネットカフェに近い店に入り、2人がけのカウンター席に通してもらった。店は混んでいた。当然ながらメニューには仙台名物・牛タン定食があり、被災地ではやっとお弁当が届いたと喜んでいた状況なのに、申し訳ないと思いつつ注文した。

被災地から離れた仙台駅前の街は、過去からの時間の経過のなかにある。
一方、石巻の被災地は、異空間だった。

泥の中を歩いたり、多少の距離を移動したり、トイレがなかったりするのは覚悟で来たが、疲れを感じることがなかったのは、石巻の親戚が、津波に遭い、傷ついて、疲れた中で、必死で生きようとしている姿を目の当たりにしたからだった。
ほっと一息ついたとき、アタマのなかに皆の顔がうかんで、涙がでた。
一人になり、1日を振り返ろうとしたとき、隣りの席で食事をしていたKさんに話しかけられ、我にかえった。

Kさんは、SONIY関連のセキュリティ会社に所属。多賀城にあるソニービルに災害支援に来ていたボランティアだ。もと警察官だったKさんは、転職して災害対策などの部署にいたが、非常事態に備える平時は出番がない。

ーー疲れてない?
「被災した人には申し訳ないけど、自分にできることがあると思うと、人を助けられると思うと、ワクワクします」
Kさんはいう。
東京から多賀城の被災地へはボランティアが何人か来て一緒に働いている。1週間くらいすると、精神的につかれてしまうボランティアもいるという。自衛官や警察の中には当たり前の仕事でも、一般企業のサラリーマンにとっては慣れない、特別な任務にちがいない。でもKさんのキャリアからすると、不思議はない。

多賀城のソニービルでは、窓の正面から津波が襲ってくるのが見えたのだそうだ。上の階に非難した従業員全員が助かった。また、地元の人々も頼ってきてくれ、助かっているようだ。
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by sasanoel | 2011-03-27 12:19 | ボランティア


被災者も非被災者もともに平和で楽しく暮らせる社会をめざして。2011.03.11 ご連絡、記事についてのお問い合わせ、取材依頼は筆者までメールで。sasanoel@gmail.com
by sasanoel
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