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前網浜で
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日下郁郎さん。女川原発建設に反対し、「原子力発電を考える石巻市民の会」の中心人物として活動を続けている。8月19日、ここを訪れたのは、震災後2度目のこと。

福島第一原発付近の浜と明暗をわけた女川で、女川原発反対をとなえてきた多くの仲間たちも被災した。
津波被害の大きさ、そして、福島第一原発がいまも放射能を流し続け汚染し続けている海。今度こそ、女川原発を廃炉に追い込まなければと決意をあらたにしている。
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女川原発の南側にあるここ前網漁港は、浜を中心に24戸の集落があった。3月11日の津波で7戸となった。
行方不明者4人のうちのひとりが19日に別の浜に遺体となって見つかった。日下さんの義母さまだった。
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がれきの山だった浜は、きれいに片付けられ、浜に近い日下さんのご家族の家があったところには、花がそなえられていた。浜の高台の家には、今も暮らしている人々がいる。日に何度か浜に降りてきて波にさらわれた人のために祈りを捧げている。

【写真について】
1枚目:日下さん
2枚目:前網浜へ降りていく日下さん。ふだんは杖を使っているのだが。
3枚目:浜のひとたちが毎日お供えしている

その他の写真
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by sasanoel | 2011-08-30 15:54 | 東北
ガイガーカウンターの使い方初心者講座
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8月28日(日)、横浜赤レンガ倉庫で開催されているDAYS JAPANの写真展で、放射性物質測定ののワークショップが行われるというので行ってきた。
チェルノブイリ取材で有名な写真家・広河隆一さんの企画で、初心者向け講座のため、会場には70名近くの老若男女が訪れていた。

福島第一原発の事故で放出された放射能がどれくらいのものなのか、高濃度の汚染地帯と思われる被災地は大丈夫なのかと心配する一方で、東京や横浜ではどうなのか、何が計れて、計れないのか。関心は高まっている。

この機器の日本での取り扱いをしている株式会社アドヒューテック社より、放射能や測定の基本事項、計り方の説明などが行われ、その後、5名1組のグルーブに1つのガイガーカウンターが渡され、それぞれ赤レンガ倉庫周辺の観光地で1時間程度、4〜5カ所の線量調査を行った。

測定に使われた放射能測定器は、チェルノブイリから避難してきた人がたくさん住んでいるベラルーシ製のポータブルガイガーカウンターAT6130Cを使用した。このガイガーカウンターではガンマ線を計る。
たまたま、私の参加したグループに、RADEX社製のβ線を計るマイ・ガイガーカウンターを持っている人がいて、同時に計測できたことはラッキーだった。

計り方は、10センチと1メートルのところに印をつけた棒で、地表からの定位置をきめ、スイッチをいれた線量計の値が安定するまで待つという簡単なもの。この時、測定に異常がおきたり、線量が高すぎる場合は警告が鳴る。

赤レンガ倉庫周辺の放射線量は、以下のとおり。

8月28日、正午から1時間以内。地面から10センチと1メートルの高さで測定。

<AT6130C γ線>
◇1回目:2号館裏の芝生
 10センチ=0.14μSv/h、1メートル=0.09μSv/h
◇2回目:2号館裏岸壁(石畳) 
 10センチ=0.1μSv/h、1メートル=0.09μSv/h
◇3回目:2号館裏回廊(コンクリート)
 10センチ=0.1μSv/h、1メートル=0.06μSv/h
◇4回目:2号館裏木の脇
 10センチ=0.09μSv/h、1メートル=0.07μSv/h

<RADEX β線>
◇1回目:2号館裏の芝生
 10センチ=0.21μSv/h、1メートル=0.16μSv/h
◇2回目: 2号館裏岸壁(石畳)
 10センチ=0.12μSv/h、1メートル=0.13μSv/h
◇3回目:2号館裏回廊(コンクリート)
 10センチ=0.14μSv/h、1メートル=0.12μSv/h
◇4回目:2号館裏木の脇
 10センチ=0.16μSv/h、1メートル=0.10μSv/h

以上が測定結果。
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測定を終えて会場に戻ると、他のグループの参加者が質問を寄せていた。

私のいたグループは、線量計のスイッチを測定ごとにオフにして再起動していたため、他のグループより測定に時間がかかってしまったようだ。どうやらその必要はなかったようだ。

最後に、「内部被爆を測る機械はないのでしょうか?」との質問があった。
線量計は、放射性物質を計り、被ばくは測定できないとのことだ。ホールボディカウンターなどの機器でも、体内の放射性物質の量は測れるが、被ばくは測定できないという。体内に放射性物質があるということは、被ばくではないのか?このことについては、感染と感染症みたいなことなのだろうか。また、わからなくなって、時間切れとなった。
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by sasanoel | 2011-08-29 14:19 | 横浜
福島・飯舘村村民による記者会見、東京で
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8月26日、自由報道協会(東京・上杉隆代表)の主催による、福島、飯舘村の人々による記者会見があることを知り、とにかく行ってみた。最近は電話もしていない、いわきの知人家族のことを思いながら、村民の声を聞いた。

この記者会見は、以下USTREAMに一部始終が収録されているので、ぜひ飯館村の村民の声を聞いてほしい。

110826 「負げねど飯舘」記者会見【主催:FPAJ・自由報道協会】
http://www.ustream.tv/recorded/16879722

<要望書提出の経緯>
震災後の3月15日から20日前後、飯舘村で福島第一原子力発電所の事故による放射性プルーム(放射性雲)による高濃度の被ばくがあった。この対処として、ホールボディカウントによる検査を要請をしたが、責任をもって対応する存在もないまま、村の人々は放射性プルームの中で日常生活を続けてしまった。

飯館村は、放射線量が年間積算20ミリシーベルトに達する怖れのある「計画的避難区域」に指定され、村民や飯舘村に避難してきた人々は、村外へ避難することになった。

村の人々はいま、子供たちも含めて高濃度被ばくをしてしまったという自覚がある。現段階で、被ばくによる健康被害は起こっていないが、何年か経って、症状がでる子供だけでなく、出ない子供にも不安など、精神的影響を与えるだろうと予測ができる。

愛する飯舘村を還せプロジェクト「負げねど飯館!!」』は、佐藤健太さん、愛澤卓見さんほかの飯舘村村民の交流から活動が生まれた。8月25日づけで、文部科学大臣、原子力損害賠償紛争審査会、文科省研究開発局あてに『「放射線被爆による損害」への適切な判定指針の策定に関する要望書』を提出した。

高濃度汚染による被ばく、健康被害に関する詳しい状況を明らかにするために、愛澤さんたちは、被ばく直後にホールボディカウンターでの検査を要望していたが、かなえられたのは、被ばくから随分あとになってからで「今さら」という時期になってからだった。
安定ヨウ素剤は村まで来ていたが、どう飲んだらいいかなどの指導はなかった。
3月25日に、「この程度なら心配ない」というリスク管理アドバイザーが来るまで、政府や東電からのフォローはなかった。後から考えてみると、その場しのぎでしかなかった。

提出された要望書は、目に見えないが、確実に身体を蝕んでいく放射能の危機にさらされた福島の、飯舘村の人々の命や未来を、誰がどうサポートできるのかを問うものだった。
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現在、村民は、福島市などに避難しながら、市役所の仕事や動物の世話などで、いまも約100名が村内に留まっている。
村民にとって、飯館は、美しい、何ものにも代え難い故郷だ。除染をして住めるならいいが、山が除染できるのか?子供たちが住んでもいいと思うか?などの疑問が拭えない。帰りたい、という気持ちはあっても、「子供が住むにはどうなんだろう?」と、誰もが悩んでいる。

福島県産を食べて応援になるのか?

この問いについて、愛澤さんがふれ、記者会見を締めくくる回答となった。
ここでも愛澤さんは、「私がいうのは全体の意見ではないが」とした上でづぎのように語った。以下、愛澤さんの言葉を紹介する。

私の周囲も、スーパーで福島県産の野菜を手に取りません。絶対食べないとかではありませんが、私たちはもう十分被爆してしまったと思いますので、これ以上食べたくないなというのが正直なところです。
テレビでは『福島県産の野菜を食べて復興!』というのがよく出ます。
わたしは、駅とか、フェアみたいなところで、検査したものがでて福島県産の野菜が安全ですよ、と売られていると思っていました。しかし、東京から来た人の話では、関東圏内のスーパーでは、ふつうに福島県産が出回っていて、とても安いですよ。という話をきいた。実際、会津のほうとかベクレルが低い野菜もあります。風評被害だと思う美味しい野菜もたくさんあります。そういうのはぜひ買って食べていただきたい。ですが、安くなっているということは、農家の人々は相当な値段で買い叩かれているということです。それでも、作った野菜が市場にでていることは、ありがたい。
ただ、これを食べることが復興だとか、逆に、食べないというのは何事か、というのは、それは何か違うんじゃないのかなと思います。
来ていただいて(子供がいる人は連れてこないでください)、買い付けていただくのはありがたいと思います。しかし、安くなっている野菜を食べて、それで復興だというのは違うと思います。
食べる事=復興支援、食べるのが正しい。食べないのがおかしいということではないと思います。
安全な有機フルーツを食べてもらおうと頑張っている人もいるので、協力してもらいたいと思います。

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復興とは・・

「復興」とはなんでしょうか。空間線量が高いところでも、我慢して頑張って生活する事でしょうか。我慢したい人が我慢して、生活できれば復興なんですけれども、福島の人間は被害者、その被害者に特攻隊になって頑張ってくれと言われているような感じも正直うけます。頑張りたい人に頑張れるような状況をつくってください。頑張れない人には、疲れた人には、手を差し伸べて助けてほしい。

もしかしたら、飯館へは帰れないということもあるかもしれません。みんな出て行くということになるかもしれません。そういうときに、飯館にいた子供たちが行った先で、飯舘村出身で、それはいいところに住んでいたと。そこでがんばってくれれば、それが、復興の最低ラインじゃないかと思います。

飯館にいたこどもたちが頑張れる状況をつくってほしい。病気にだってなりますし、事故もあります。生きている間は胸を張って、やりたいことをやれる。頑張れる。そのために支援してほしい。それが復興ということばの最低ラインと思います。

復興ということばを使うのであれば、この問題を解決してください。問題解決を考えずに復興という言葉を使うことに僕は異論があります。復興とは何かということを考えてほしいと思います。


記者会見が終わった。
自由報道協会の記者会見は、報道目的であれば、誰もが参加できる。プロ、アマチュア、マスメディア、ミニメディア、フリーランス、ブロガーなど、多様な人々だった。参加者の中には小学生もいた。

それから、この会場でもう10年も前に、デザイン事務所時代にお世話になったライターの加来さんに再会することができた。隔月のこども新聞を全国の小中学校に発行している。反核、反原発の貴重な情報発信者でもある。嬉しい再会だった。

【写真について】
1点目・左から、佐藤健太さん、愛澤さん、鈴木さん
2点目・会場に集まった人々の中には、子供もいた。
3点目・1点目の写真におなじ
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by sasanoel | 2011-08-27 05:44 | 記者会見から
湯浅一郎さんの講演会『福島原発震災から三陸の海の放射能汚染を考える』、石巻で
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原子力事故により大切な海が失われるかもしれないという時がきてしまった。
日本の故郷を象徴する風景、世界の宝の漁場、無数の営みをはぐくむ母なる海が、これまでにない危機にさらされている。SF映画の予告ではない。

8月21日、湯浅一郎さんの講演会『福島原発震災から三陸の海の放射能汚染を考える』が、石巻市労働会館で行われた。主催は、原子力発電を考える石巻市民の会。企画は、石巻で女川原発の建設反対をとなえてきた日下郁郎さん。
会場には、水産加工業者や、石巻や女川の浜で漁をいとなんできた漁師さんたちもきていた。多くが、津波で仕事や家族、仲間を失い、福島第一原発の事故を自分たちにも起きたかもしれない生々しいできごととして胸に刻んでいる。

「仮設魚市場オープン」「希望の缶詰」など、復興ムードを盛り上げ、ホッとするような報道が多い中で、なかなか口にしづらいが、ここにいる人々がもっとも心配していることがあるーーー「海は、大丈夫なのか?」
この町の人々が選んだ講演会のテーマだった。

平和運動のNPO団体・ピースデポ(所在地・横浜)の代表でもある湯浅さんは、女川に青春時代を費やしていた。1970年代、東北大学の学生だった湯浅さんは、女川原発建設に反対し、戦っていた。修士論文は、女川湾の海洋観測だった。学生当時ビラを配っていた女川の浜浜の集落は、いま、無惨な爪痕を残している。
3月11日の事故発生で、福島ではなく、とっさに牡鹿半島にある女川原発を心配したという。
この地で、このような形で講演をすることになった湯浅さん。石巻の被災した漁業者たちを前に、どのような気持ちがしただろう。講演会の翌日は、日下さんとともに北浦や五分浦をの浜浜を訪れたという。

女川原発で、福島第一原発と同じような事故が起きなかったのは、タマタマだ。もし事故が起きていたら、1954年のビキニ環礁での核実験後の調査で明らかになった、深刻な放射能汚染が三陸の海に起きていたかもしれない。
福島原発の事故による海洋汚染については、ビキニの事例を引き合わせて考えなければならない現状だ。
とても恐ろしいことだが、今こうしている間も、福島第一原発の事態(海洋への放射能流出)は、炉心を冷やすためにひたすら水を流し続けたままの状態が続いている・・。

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会場の漁師さんから、「石巻の魚はいつになったら食べられるのか?」との質問が出たが、湯浅さんにも現実はわからない。食べられないのか?という疑問も残る。漁業者であれば、自分が食べられないと思う魚を市場に出す事ができないということもあるだろう。漁業が再開できないことを物語っていた。

実際、福島原発の事故にともなう三陸沖の放射能汚染で、沿岸の養殖ものはほとんど汚染されておらず、アワビ(七ヶ浜)から微量に検出されているという。沖合のサバ、タラ、サケ、サンマ、海底の土からは、平常時より高いセシウムが検出されているという・・。
潮流は南下していくため、福島から茨城県北部の漁場は操業停止となっている。

海はつながっているのだから、産卵期時や、潮の流れから、水や魚がいつどのように移動するかを考え、その上で、出荷する前に測定できるような方法がないのだろうか。

いまスーパーで、「国産」とあれば、産地隠蔽?と疑ってしまう。見えない汚染に誰もがおびえるか、値が下がっていることで食べざるを得ない人々もいる。宮城県産の海産物を義援金の代わりに高く買う人もいる。現実を見ずに復興ムードをいくら盛り上げても、疑心暗鬼を募らせるばかりだ。

海洋汚染による食品の問題は、風評被害(情報の問題)ではなく、原発事故による災害だ。風評被害として、情報源の政府やメディアに責任を押し付けたところで何も解決しない。市民がメディアリテラシー(情報が何からどうできているか)を問い、信頼構築もしながら、一方で根本的な問題解決を目指すのがいいのかもしれない。難しいことだけど・・。

海洋汚染は地球の悲鳴。原発は食への被害をもたらし、日本中がいま原発被害の当事者で、同時に、海外へも被害を与える加害側の国民にしてしまった。湯浅さんの話から、楽観できることはないと思った。

講演は、三陸の海の大切さ、人間のしようとしていることの愚かさにつながる現状を、石巻の漁業者へ報告するものだった。もはや原発反対の集会ではなく、津波により大きな被害をうけた漁業者と、女川の海を守ろうとしたかつての青年の皮肉で運命的な再会の場だった。
湯浅さん、日下さん、石巻の人々の交流はこれからだ。(私も、仲間にいれてもらい、一緒に考えていきたい)
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【写真について】
1枚目;湯浅一郎さん
2枚目;会場には、石巻・女川の漁業者が多く参加した。NHK仙台の科学部の記者さんもいた。
3枚目;講演会の企画を担当した日下郁郎さん

そのほかの2011年8月21日、湯浅一郎氏講演会の写真
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by sasanoel | 2011-08-24 17:32 | 反原発
「希望」ブランド、横浜駅西口で
JR横浜駅西口で、8月8日から東北物産展が行われている。
商品にはみな「希望」の文字がパッケージングされているが、それ以外は、JRの駅でよく見かける出張販売のいでたち。売り子さんも東北の方ではなく、都内からきているということだった。
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写真の「木の屋石巻水産」は、石巻魚市場周辺にある水産加工の工場。震災で工場は全壊したが、倉庫に残っていたサバやクジラの缶詰についた泥を社員の方々が洗い流した。パッケージはなく、ところどころ缶に傷やへこみがある。
今年5月の花見で木の屋の社員さんにお会いしたときは、「中身は無事だったんですけど、もう商品にはならない・・」と、言っていたが、その津波で被災した缶詰を「希望の缶詰」として復活させた。横浜の会場にも並べられていた。

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「丸平かつおぶし」は、門脇1丁目にある。工場の3階部分がかろうじて無事だったために、そこでかつおぶしの生産を再開したという。物産展の売り子として来ていたのは、同社の経営者の娘、小林さんだった(写真・キャンペーンTシャツを着た小林さん)。現在は埼玉県に住んでおられるが、震災に関して(埼玉の)ご家庭内では温度差が生じているという。

疑問になっていることを口にした。
「放射能は大丈夫なのですか?」
ぶしつけな質問だと思う。が、政府発表が遅れている状況で、海も平野も放射能に汚染されている。たまたま大きく報じられた牛肉は規制があるが、もはや豚肉だから、魚だから大丈夫と都合の良いことを考えていられるだろうか。

「宮城は大丈夫ってことで・・。」と小林さんはいうが、放射能測定を行っているわけではなく、不安そうだった。それでも、小林さんは希望のかつおぶしを売っているし、私も1つ買って帰った。

今日のニュースでは千葉県の米農家で米の測定が行われていた。関東地方の浄水場でも放射能が検出されている。関東の水も福島の事故以来汚染されていたという現実を突きつけられた。そして、安全だという報道をどうとらえていいかわからない。
自ら現実を知る事は、厳しいことだが、安全を見極める作業でもあり、意識の高い顧客から食品への信頼を取り戻す必要があると思う。逆に言うと、それがなくして復興というのは、片方の目はつぶって良いところだけを見ようとしているようで無理がある。消費者と生産者の間にとりかえしのつかない溝を深めてしまうだろう。

「希望」というブランドが、消費者の無知や表面的な善意をターゲットにしていくつもりでなく、本当にいい形で復興をとげていくためには、一般家庭に先駆けて企業が安全への意識を高めていくことが重要だと思った。

JRの祭事場は、「復興支援」と称して、震災特需にあやかるだけにも見える。
公共企業であれば、企画そのものが復興支援となるよう、商品の品質の高さをアピールできるものでありたい。
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by sasanoel | 2011-08-12 09:49 | 横浜
再会そして、野毛の真ん中でビール!
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5月1日に日和山(石巻)で行われた花見で知り合った、横浜のデザイナー・佐藤サン。もとは同じ業界ということで、帰ったら横浜で会おうという約束だった。その約束が実現し、昨日は関内にある佐藤サンのオフィスにお邪魔することになった。

ここは、佐藤サンらデザイナやフリーの都市コンサルタントが雑居していて、図書やお互いの情報を共有できる。地域サイト「横浜経済新聞」の編集部でもある。位置的には、山田ホームレストランの上、といえば、関内に在住・在勤している人ならすぐわかるだろう。

佐藤サンは「くるくる関内」というプロジェクトで、ちょっといやかなり斜陽な街・関内(sasanoelの感覚)の振興をもくろんでいる。
同時に、石巻出身である彼は、蔵元支援として、石巻の被災した蔵元と関内の繁華街を同時に復興させようというつもりらしい。石巻のお酒を関内で紹介し、お店がお酒を気に入ると直接蔵元に紹介。売り上げの一部を義援金として集め、さらに蔵元の復興を支援するという活動をしている。
「石巻にはたくさんの蔵元がある。できることなら、被災のために事業をあきらめかけているようなところを支援したい」と佐藤サンはいう。

オフィスには、土曜日ということもあるのか、ゆったりとした時間が流れていた。数組のお客さんの出入りもあって、お互い紹介しあったり、とにかく人の出会いを大事にした雑居オフィスなのだ。

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夕方になり、佐藤サン、横浜経済新聞の方々とオフィスに入居している外交官志望の学生さんらで、吉田町のビアガーデンへ行く事に。野毛の商店街を閉鎖して大きな夏祭り+ビアガーデンをやっていた。地元のお祭りはどこか堅苦しい感じもするが、ビアガーデンと言えば開放的なイメージになる。

行ってみると、地域のお祭りによくあるような、やきそば、わたがし、ヨーヨーつりのようないわゆる「テキ屋さん」の屋台がない。商店街(飲み屋が主)のお店がそれぞれのキッチンから運んで来るさまざまな食べ物でにぎわっていた。
通りにはパイプの長テーブルやイスがならべてあり、盆踊りにしては低いやぐら(やぐら風お立ち台か・・)とその回りをゆかた姿の地元の老若男女が踊る。沿道には、通りがかりの人々や観客が手拍子や拍手を送っている。おじさん、知り合い?じつに楽し気だった。

大げさな準備は何一つなく、普段の商売の延長のなかで、より多くの人が楽しめる。横浜にふらりと来ていた観光客も、地元の人も、いっしょに街とビールを楽しめる。
ゆかた姿の女性が多く、ビアガーデンに花を添えていた。

「吉田まちじゅうビアガーデン」は、8月20日にもまた開催するという。時間は、16時〜21時まで。観光の街・横浜ならでは、ジャズの街・野毛でのビアガーデンだから、もちろん、ジャズ・ライブも。
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by sasanoel | 2011-08-07 16:07 | 横浜
2011年8月6日
原爆から66年ということだ。
私は、高校1年の頃に日本を訪れている留学生たちと広島の平和式典に参加した。いまから25年・四半世紀も前のことになる。そのときの語り部に、同年代の広島女学院の学生がいた。戦争をしらない、原爆の直撃も知らない、被爆者の子供や孫たちだったが、すでに被爆者の高齢化の問題をしっかりととらえ、自分たちが新たな語り部として役割をもっていることを知っていた。

被爆した人々の住む街から新幹線で5時間の距離を帰省しながら、広島と横浜の時間と空間が隔てるもの、自分自身の記憶が隔てるもののことを考えていた。

被爆者とともに生きる広島の子供たちと横浜に住む私は、戦争や原爆を体験していないという意味では同じだ。しかし、距離が離れていることによって意識に隔たりがある。彼らに会ってそのことに気がつき、どんなにその想いを大切に感じても、生活をともにしない限り、リアルには感じられなくなっていく。人ごとになっていく。
年に一度、テレビや新聞の情報から知る事ばかりでは、どんどん風化してしまうだろう。そしてその風化に対する悲しみすら、いずれ消え去って、表面的には同じような平和な社会に生きているかのようになるのだろう。無意識になっていく。それこそが隔たりなのだと言うことを思っても、なす術もない・・・

「この想いをもつ人々と離れたくない。今こうして離れることは、どんどん忘れていくことだ」
広島から帰る新幹線のなかで、私には一瞬のうちに過ぎ去る焦燥感だが、語り部の子供たちにとっては、つねに現実で、もっとも切実な問題なのだろうと思った。


毎年NHKで見ている原爆慰霊式だが、今年は、原子力と核についてどのような発信があるのか、あらためて世界中が注目したと思う。アメリカの政府関係者の出席は2年目とのことだ。オバマはこないのか、と単純に思ってしまった。

3.11以来、震災と福島第一原子力発電所の事故を広島の人々がどう受け止めているのか、ずっと気になっていた。被爆者や、被爆二世、三世の彼らにとって、被災地の人々の心はとても近い場所あるのではと思っていた。

式典の発信は、松井一実広島市長をはじめ、子供代表、政府代表菅直人氏らは、一致して、被爆当事国として、被爆者への哀悼とともに、原発事故被害(被災)者の存在をはっきりと意識し、核廃絶に向けての宣言を行った。
核という人智を超えた存在への不安や危険に直面し、被爆者の意識の力を借りて、エネルギーとしての核を含むすべての核の廃絶をめざすということと思う。

広島・長崎を経験した被爆(被災)国日本は、今年、大量の放射能を排出することになってしまった福島第一原発を有する加害側の国となってしまったのだから。

広島で、長崎、チェルノブイリ、TMIで起きたこと、福島や女川だけでなく、日本中の54基の原発で起きるかもしれないことも含めて、すべてがつながっている。これまで多くの日本人にとって、距離や時間に分断されたことだったが、3.11以後は隣人のこととしてとらえなくてはならなくなった。
さらに、正確な情報を知ろうとする中で、自分たち自身のこととして考え、対処しなければならなくなっていくことだろう。被害の状況が明らかになるにつれて、被災地域と非・被災地域の境はあるいみ不明瞭になっていくだろう。

そんな原爆の日であるけれども、母は、夏祭りの準備に出かける。

パラレルであることは、願いでもある。
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by sasanoel | 2011-08-06 10:34 | 取材ノート
女川の復興計画に脱原発を!
女川原発差し止めの原告団のひとりが、東日本大震災後の女川町復興計画へ「脱原発なしに復興は考えられない」と。
「復興と原発問題は一緒にできない」としていた女川町長へ突っ込みをいれる形となった。

「女川町復興計画 (案)への阿部美紀子さんの提出意見」(原子力発電を考える石巻市民の会;8月4日)

http://shiminnokai.info/cat58/post-39.html

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by sasanoel | 2011-08-06 01:11 | 反原発
現在地 石巻漁港西埠頭(。-_-。)
From: Ishinomaki City Miyagi, Japan
Date:August 2 , 2011
Subject:ヒロシ@txd
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(きれいになった! カモメたちはどちらへ? by sasanoel)
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by sasanoel | 2011-08-02 14:06 | ヒロシから


被災者も非被災者もともに平和で楽しく暮らせる社会をめざして。2011.03.11 ご連絡、記事についてのお問い合わせ、取材依頼は筆者までメールで。sasanoel@gmail.com
by sasanoel
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