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「デモと広場の自由」に関する共同声明、柄谷行人さんら
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反・脱原発、東日本大震災を機会に、日本に「デモ」が戻ってきた。
雨宮処凛さんはじめ、脱原発をとなえる若者たちが「素人の乱」を起こした。柄谷行人さんは、311以降、デモを起こす若者たちの姿、あたらしいデモの形を好ましく思い、希望を感じていた。
9月11日のデモで、12名の参加者が逮捕者が出たさい、雨宮さんらと知り合い、表現の自由を抑圧する行為への警鐘を鳴らす共同声明を行うことにし、この日にいたった。
このときのデモは、YouTubeに載っている。

共同声明の記者会見は、9月29日「デモと広場の自由」として、有楽町の海外のジャーナリストが集まる、日本外国特派員協会で行われた。
記者クラブで調整ずみの情報しか報じない日本のマスメディアにではなく、海外メディア、独自に視野をもつ記者が参加する場を選んだのは、原発報道その他において再認識された、日本の蝕まれた報道の現状をみれば、当然という感じだった。

柄谷さんのほか、鵜飼哲さん、小熊英二さんが起草者として名を連ね、雨宮処凛さんが、デモを企画した若者の代表として参加していた。

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柄谷さんは、反原発という以前に、日本には「デモ」が必要だという。デモとは市民の表現の場である。その本来自由な場が、政府や警察などの権力の前に沈静化し、労働組合、社会党が弱体化し、デモもしだいに姿を消していった経緯があるという。原発事故をきっかけに復活した。

「311の地震のあと、海外メディアは日本人の冷静な振る舞いを賞賛してくれたけれども、それは、不可解であったとも思う。なぜ怒らないのか。原発事故後の社会状況の中で、デモは、集会で声を発する市民のごく自然な姿である。
日本人は広島・長崎の経験から、核を憎んでいた。昔から日本にデモがなかったということではない。1980年代前半には、デモが盛んで、核の問題に関しては敏感だった。日本には54基もの原発がある。それらは原発に反対する意思表示、デモができにくくなってきた証拠である。デモが、市民の基本的な権利であるということが日本に定着しているとは思えない。
私は、単に原発に反対するだけではなく、個々人がデモを通じて自己表現することが大事だと思っています。311の後、『素人の乱』のような若い人たちが、あたらしいデモの形を作り出した。日本でデモが始まったということに、感謝し希望を見いだしています。
記者のみなさんにお願いがあります。現在、日本の各地に反原発のデモがあるという事実を、もっと報道してください。デモという表現の場が抑圧されることのないように」と柄谷さんは言う。

この会場には、大手メディアからも記者がきていた。毎日新聞、朝日新聞は代表質問にも立った。個々の記者はいつもそうだ。少数意見のところにも取材に来ている。ここに来た大手新聞社の記者たちは、自分たちへの非難を含むこの問題をどのような記事にするのだろう。記事にするのだろうか。

私も、9月19日のデモにはじめて参加した。
それまで、わたしは、デモが集団行動をあおっているばかりで、より人が問題を考えなくなる元凶とも思えてきたので、あまり好きではなかった。集団で、人ごみのイメージもよくなかった。でも、この日は子連れの家族や障害者がパレードに参加し、楽しいものだった。逮捕者もなく、自分の中のデモのイメージがガラリとかわった。
しかし、その前、9月11日のデモの事件が、大きく左右していたようだ。

表現の 場が抑圧されることには、やはりいけないと思うし、原発が54基つくられてきたことには、原発建設反対デモが鎮圧されてきた失望の歴史があるということを今回、理解できた。
人々が表現する楽しみ、希望を経済効率に奪われていったということが、その構造をしらない私たちの世代にも影響を与えていると感じる。
前向きにものを作ろうとするなかで、正体のわからない文脈を感じた作り手は多くいたと思う。

廃炉をもとめる人々には、いま、大きな機会が訪れている。
原発だけでなく、メディアのあり方、国家権力のあり方など、戦後のさまざまな問題に目を向ける機会ともいえそうだ。
とくに原発問題と向き合い、投げかける人を中心に、多くの人が、ひとりの市民として問題を考えることができたらいい。それは、一人一人が線量計を持つようなことだろうか。

問題は、デモで意見を発しても、その声をうけとめ、問題認識、解決する方法がみあたらないことではないだろうか。
デモを市民の要請として受け止めて投票したり、会議にかけたりという仕組みはない。
メディアももみ消すような社会では、暗い気持ちになるのはあたりまえだと思う。

そういう難しい問題を、市民が考えはじめたら、政府はめんどうかもしれない。でも、同世代の日本人なら、ふつうの暮らしの中で、どうしても感じてきた閉塞感があると思う。
誰も答えを出すことのできないでいる問題を、警察も、我関せずの人々も、関わる社会や未来の問題として、仕事の立場をこえて考えるきっかけにできないのだろうか。これは、誰が責任をとるとかいうこと以前の、問題の認識の段階になると思う。
それをせずに、抑圧したり、無視したりするのは、自分たち自身のことを真剣に考えることを放棄してしまうことなのかもしれない。

「デモと広場のための共同声明」
http://jsfda.wordpress.com/statement/

記者会見の動画(ユーストリーム)
http://www.ustream.tv/recorded/17570244

「デモと広場の自由」に関しての柄谷さんの考え
http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-64.html
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by sasanoel | 2011-09-30 00:35 | 記者会見から
反原発デモ6万人
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9月19日(月)千駄ヶ谷に近い明治公園で、反原発デモが行われ、全国から6万人の人々が結集した。石巻から状況した、原子力発電を考える石巻市民の会の日下さん、近藤さんらと待ち合わせ、パレードに同行した。

ミニギャラリー:明治公園での集会とパレードの様子

レポートは追って掲載する予定。
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by sasanoel | 2011-09-20 13:25 | 反原発
デモに向けて、反原発の地元市民が上京、報告会
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9月17日、石巻から「原子力発電を考える石巻市民の会」の日下郁郎さんが上京し、「全国討論会」で女川原発の上京を報告するというので、明治公園にある日本青年会館へ行ってきた。
(写真は、日本青年会館での討論の終了後、さらに議論と交流を深めようと、明治公園の一角で)

ここ明治公園では、19日に5万人規模の脱原発デモが行なわれる。この日はそのための事前ミーティングで、原発が立地するすべての県から、原発反対の立場で活動する人々が集まり、それぞれの地元での状況報告と今後への対策を話し合った。
また、水俣を取材した写真家、故ユージン・スミスの奥さん、アイリーン・スミスさんも参加していた。アイリーンさんは、京都で脱原発の市民団体「グリーン・アクション」を主催している。

いま、日本には54基の原発があることは、私も知っている。
そして、現在43基が、停止あるいは点検中で運転していないということをはじめて知った。ミーティングでは、あと11基の停止と、廃炉を求めて、デモで脱原発をどう訴えていくか、原発反対をできるだけわかりやすく、ストレートに訴えていくためのさまざまな立場からの提案と、意思統一が計られた。
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石巻で30年にわたり反原発の活動をしてきた日下さんは、現在、女川原発で予定されているプルサーマルを止めようと、行政への働きかけを行なっている。
チェルノブイリ事故以後、ベラルーシの子供たちを石巻へ呼んで行なわれた保養プロジェクトの交流を通じて、事故後の経緯をみつめてきた。その経験から心配しているのは「ただちに心配はない」とされている「低線量被爆」のことだ。
放射線量と被爆症状の因果関係は立証が難しいといわれているが、そんなことは関係なく、症状があれば、実際の対応が必要となる。人々がこれを「大したことはない」とすすめれば、自殺行為となる。このままでは、水俣が繰り返されてしまうかもしれない。五感に感じることができない危険の怖さだが、それだけに、避難区域付近から離れれば離れるほど、温度差が大きい問題となっている。

女川原発は、311の津波の直撃で、震源に近い浜にある原子炉は被害を免れたが、県原子力防災対策センター(オフサイトセンター)や、モニタリングポストのほとんどが破壊されている。
一方、日下さんは牡鹿半島でご家族を亡くした。これまで反原発の活動をしてきたが、それと、津波でのことは別格なように思われる。
女川で起きていることの深刻さを目の当たりにし、福島の惨状を想像した。
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青森県で、日本で唯一の核燃料再処理施設をもつ六ヶ所村からの報告では、六ヶ所村の唯一の産業で、ほかにない。世帯の平均年収は1000万円と大きい。みな、源燃産業に頼って生きている。
9月15日朝、福島原発事故後はじめて、イギリスから六ヶ所村に高レベル核燃料が帰国した。以後30〜50年にわたって一時保管するが、最終処分地のメドがたっていない。返還されたのは、ガラス固化体76本。2日前にこのことを知らされ、見届けた反対派は、地元や東京から約30名足らずだった。
(このことは、現地で青山森人さんが取材しているほか、読売新聞のみが報道している。)

六ヶ所村で反対派として活動する報告者の菊川慶子さんは、反対の努力として、六ヶ所村に産業を作り、生活を楽しみ、子供たちが帰ってくる場所をチェルノブイリのようにはすまいと「花とハーブの里」を主催している。
「千葉の息子の家でミョウガが採れました。高濃度に汚染されているのですが、高齢なので美味しくいただきました。みなさん、よかったら帰りにお持ちください」20年間続けてきたチューリップの無農薬栽培を今年で終えるという、穏やかなお母さんの胸の内に、大きな悲しみが秘められているように思われた。
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福島からの報告は、福島で5人の子供を育てたお母さん、佐藤幸子さんだった。
「いま、福島ではいろんなイベントを毎週やっていますが、それも最近は疲れてきています。避難している人もいるが、残っている人もいる。残っている人たちは、もういいかげん平常の暮らしに戻りたいと考えている。当初は安全キャンペーンをよりどころにしたいということもあったが、他に移れないというところもある。数字が出れば出るほど、知れば知るほど恐ろしくなります。でも、生きなきゃいけない。
今は、県のアドバイザーが安全というから残っているわけではなありません。最初は、わからないから対立もありましたが、いまは、勉強したうえで、避難したくても、仕事や補償の問題でうごけなくなっています。

福島は、本当に豊かなところなのに、汚れたといわれるのは本当につらい。いつだって、食べる人よりも、農家が被害をうけるんです。農薬の問題も同じ。数値をきちんと計ってくれているのかわからない。500ベクレル以下はノーデータとなる。風評被害にしておきたくて、JAがキャンペーンやっていますが、(職員も)家に帰ると自分の家族には福島県産は絶対買うなと言っている状況です」
佐藤さんは、後日、反原発の代表団としてアイリーンさんらとともにアメリカへ行く。アメリカでは、国連ハイレベル原子力安全会議にぶつけて、福島原発震災報告会が行なわれ、9月25日まで各地で反原発活動を行なう予定。

ところで、日下さんら石巻からは、近藤代表と日下さん2名のみが参加する。足の不自由な日下さんは、デモの行列に参加するのは無理だろう。しかし、彼らが活動を続けなければ、石巻、女川で原子力発電を考える灯火が消えてしまう。
どの地域でも、反原発・脱原発という人々に向けられる視線が冷たいわけではないと私は感じる。一方自分たちが積極的に知り、学ぼうとする市民はすくない。

原発の立地する地域の人々は、311が起きたことで意識に変化があると思う。どうすればいいのか分からず、混乱が生じているにしても、この問題の本質的は、安心できる暮らしであり、最終的に平和な社会だ。
それが遠い目標ではなく、自分たちが生きるために今考えなくてはいけなくなっている。わけがわからなかったこ問題の構造が少しずつほぐれてきて、何も見えなかった頃とは違ってきているのではないだろうか。

デモというやり方が、いまの時代にあっているのかどうかわからない。ただ、声を発していくことで、注目され、聞く耳を持つ人が増えるかもしれない。
これまで多くの経緯があると思う。でも、311が起きたことで、これまでの構図は変わっていくと思う。過去を参考にしつつも縛られず、現実に起きていることを踏まえて想像し、多くの人がいまから学んでいけるよう導いてほしい。
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by sasanoel | 2011-09-18 13:53 | 反原発
原発報道災害についてのシンポジウム 〜上杉隆・森達也・高田昌幸〜
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9月15日、創出版主催の反原発シンポジウム(東京都文京区・文京シビック小ホール)が行なわれ、第一部では、上杉隆(ゴルフ、報道災害など)氏、森達也氏(オウム真理教などドキュメンタリー監督)、高田昌幸氏(フリー記者。北海道新聞社員時代、北海道警察裏金問題を報道)という異色の3人がそれぞれの立場から3月11日以降にみられる「原発報道」の問題点について語った。

日本には「記者クラブ」というものがある。政界や業界で、主に、大手メディアの担当者が集まり、記者会見をうけたり、主催者発表に関する記録もれがないかどうかチェックしあったりする。全国の記者クラブの人数を合計すると3万人になるという。
上杉さんは現在、この記者クラブと戦っている。記者クラブによる報道体制は、役所や官僚と同様で前例主義で、取材者本人の眼よりも記者発表される主催者の発表内容を優先し、さらに各社右へならえであり、真実や自分の考えを言えば潰される。戦争中の大本営発表と同じだという。

日本新聞協会によると、記者クラブは「取材・報道のための自主的な組織」となっている。一方、同協会は「クラブの基本的指針となる統一見解を数次にわたり示してきた」と記者クラブへの指導的立場を明示している。

日本新聞協会の記者クラブに関する見解
http://www.pressnet.or.jp/statement/060309_19.html

(ちなみに日本新聞博物館(ニュースパーク)は、横浜の日本大通にある。さまざまな大手メディアの功績を讃えたり、伝えたりしている。横浜でも好きな場所の一つで、ここのレストランはよく利用している)

上杉さんだけでなく、記者クラブの閉鎖性や取材力の低下については批判されてきた。しかし発表側に都合が良い記者クラブは衰退するどころか、今も報道の中心にあり、日本人的な悪い体質の温床にもなっている。

また記者クラブに象徴される大手メディア主義があり、つねに本質に伴う大きな問題となっている。多くの国民は、大手メディアが出す情報を事実として受けとめる。しかしそれらの情報は、発信する側の事情に左右されたものだ。それが認識されず、日常奥深くまで浸透していることに、伝える側・受けとめる側ともに違和感を感じなくなっている。

一方、少数で貧乏なフリージャーナリストが苦労して社会に必要な情報を補っている。なんとか発言力をもつ何人かのフリージャーナリストが、自費やカンパで先頭にたち、取材を続けている。

「メディアリテラシー」とは、情報が何で出来ているかを考え情報をよみとる力。日本人にもっとも必要で、足りないことを自覚しなければならない。

シンポジウム出演者の3人は、大手メディアの権力により閉め出しを喰らっている点で共通している。大手メディアや、多くの国民を相手にせざるを得ない立場に立つことになった経緯の中に、こんな短い時間では伝えきれない想いがあることだろう。


311後の報道災害について
その記者クラブ体制について、上杉さんは、311の原発報道を境に目をつぶっていられなくなった。
政府や東電の情報を垂れ流しにする報道で、記者の災害の知識が低く、本来は国民に危険回避の情報を最大限努力して提供するはずのメディアが、機能不全であるだけならまだしも、「逆機能」に陥っているという。
つまり、危機を目の当たりにして自分たちの眼でそれを検証して伝える事ができない。
たとえば、「炉心溶融」と報道されたことは、当時の官房長官だった枝野幸男氏の記者発表によるが、「メルトダウン」のことをさす。私でもわかる。しかし、「メルトダウンということですよね?」と上杉さんが確認すると、「メルトダウンは起きていない、炉心溶融だ。デマを流さないように」と言われ、3月末に記者会見を閉め出されることになった。
その後も、確認がいまだにできていないのに、「ただちに健康に被害はない」という無責任な発言をすると、大手メディアはそのまま垂れ流し、結果として、多くの人々が高濃度放射能をあびてしまった。

「自主規制によって、戦争に突入。140万人の人命が失われた。日本では、新聞メディアは正しい、他は胡散臭いということになる。原発報道では、メディア自身が多様性を排除した。それにより、海洋に汚染水が流された。海洋汚染の国際賠償(何兆円?)が問われるだろう。また、日本の最高級ブランド(三陸の魚)が輸入禁止となっている。それらは、放射能廃棄物なのだから。産業界の大打撃となるだろう。
枝野官房長官の言葉、NHK、朝日が言っているという言葉で、将来を担う子供たちの健康が害された。これらは、(メディアの役割である)権力の監視ではなく、人殺しへの加担である。戦争から70年後に、こういうことで日本人は同じ事を繰り返すのか」と上杉さんは投げかけた。

森さんは、資料映画「アトミックカフェ」の例をあげて、アメリカが核というものを知らないかということを知らせた。この映画は、核や原子力を考える資料として現在も上映され続けている。
「この映画を観て、アメリカ人は馬鹿か! という話になるが、その後、日本では311の地震・津波が起きて、僕らも分かってない、と思った。東電と政府でそこまで恣意的に東電をかばうためにキチンとやっているだろうか?大本営発表と同じと言うけれど、昔と今と違うのは、今は原発へも、東電の社長の家にも行ける。結果的に大本営となってしまう理由は、アトミックカフェと同じで、(核を)わかっていないからだと思う。わからないから、希望的観測に近い人を使ったり、御用学者を使ったりした。
よく、「じゃあ一体どれを信じれば?」と聞かれるが、それは何か信じれるものがあるということだが・・そもそもメディアはひとつの視点で、あらゆる情報の視点でしかない。それ(自分が信じるものは)自分でみつけるしかない。
アメリカの核実験からはデータ化されたものがない。わからないものは、最大限見積もるべきと思う」

高田さんは、
「メディア問題とは組織の問題と思う。今の新聞社は1941年に形ができ53社に統合された。それからは誰が働かなくても新聞は出る。役所や官僚と同じ、前例踏襲主義。
会社を辞めようとおもったのは、311の時。今までと全然ちがう事態がおきているのに、今まで同様に記者クラブに張り付いて、新しい動きができないのを見た。
『メルトダウン』て最初書かなかったというが、実は爆発した直後は実は書いている。それが1週間もしないうちに書かなくなってきた。発表報道で、どこもだんだん、「大したことはない」ということになってきている。

1970〜80年代の新聞は、原発反対運動などきちんと書いている。公聴会が混乱していることを書いている。しかし、反対運動に進展がないと、動き始めた原発の話を書く。つぎの動きを追いかけようとする。そういう構造の中に、その裏側に何があるのか?ということがなってきている。ニュースがなくなると、反原発を取材する担当記者がいなくなる。動きがなくなると担当記者がいなくなる。記事がなくなる。
新聞記者3万人だが、それぞれ担当があり、担当以外のことはやらなくていいというシステムになっている。原発反対運動をやらなくても新聞は出る。
問題が変わっても記者の数は変わらない。基本的には記者クラブに張り付いている。原発が爆発しても変わらない。
また新聞社が前例踏襲しかやらないと取材力はなくなってくる。取材力のスパイラル的な劣化が起きている。
ただ、批判だけしてどうなるの?上杉さんが批判しても、かたや記者クラブは3万人いる。こういう状況に対して、どういう対抗手段があるの?」

高田さんは、北海道警裏金事件を暴いた記者さんだった。
2003年11月に北海道警察旭川中央警察署が組織的な裏金を認めた。警察史上初のことだ。それを報じられたことは快挙だったが、その後、警察からの巻き返しがあった。
道新は訴えられ、敗訴することで「裏金事件で道新が報道したことへのお詫び」としたのだ。しかし、話はそれでは終わらず、元道警総務部長・佐々木友善氏から名誉毀損で訴えられ、600万円の慰謝料を巡って裁判中である。


「徐々に謝らずに修正。炉心溶融とメルトダウンは違うと言った言い訳については責任をとるべき」と上杉さん。
それについて、高田さんはつぎのように言う。
「最初、わけがわからなかった時は『炉心溶融』だと言っていたが、政府が発表したら、その通りになっていった」しかしそれでは遅い。その時はもう放射能がたくさん放出されてしまった後なのだから。

記者クラブは記者発表を垂れ流しにし、大手メディアは原発から50キロ圏内での取材は社内規定で取材できない。自社の社員ではなく、フリー取材者がその役割を担う。戦場報道の多くもそうなっている。東電と原発作業員のような元請け下請け関係だ。フリーも大手とつながっていないと食べていけない。

森さんは、「現場にいる記者、ディレクターは、取材をしたいという人もいると思う。大きな組織の中で、昔はもっとはみ出す人がいたと思うけど、いまはいない。これが日本のジャーナリズムの衰退だと思う」と言う。

森さんは、3月、原発から8キロのところでタイヤがパンク、雨も降るというピンチに見舞われた。森さんの命に関わる大事だったこともさることながら、そこで貴重な取材ができたのかも気になるところだ。
また、ババグダッド侵攻の映像でNHKは逃げずに撮影していたが、発表されなかったことについてプロデューサに確認したところ、「それは出せない」と言われた。
そんなふうに、現場ではいろいろなことが起こることを説明した。森さんは記者クラブの存在も、伝えることを阻む要因の一つで、それだけではないと考えているようだ。

メディアの問題に対して、原発報道一つとって考えても、どうすべきなのか、できるのか、見えない。上杉さんも、12月にはジャーナリスト休業宣言をしたり、ゴルフジャーナリストだと言って、逃げの姿勢だが、本当に逃げるわけでもないだろう。

メディアの問題は、自分たちの問題だ。原発報道はあらゆる実害に直結している。伝える側も、受け取る側も逃げる事のできない船に同乗している。

森さんと上杉さん、高田さんたちが集まって、実際の考えていることの空気を知るために、オンエアがあるかもと思ってはいたが、横浜から出かけた。そのかいはあったと思う。本を買えばこの3人それぞれの意見はわかると思うけど、3人が今起きていることについて一緒に話すことはさほどないかもしれないから。
ただ創出版のしきりが悪すぎで少しがっかりした。本を売るためだから仕方がないのかなと思ってしまった。もっとこの議論は時間をとって深めないと、お互いのとらえている問題の解決に向けた話し合いにならない。

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特別発言「東電OL殺人事件」の受刑者家族の訴えは、とても深刻なものだった。原発災害や報道の問題とは違うテーマであり唐突だったが、この事件の裁判が再度行なわれようとしていることを初めて知った。
高田さんのいた大手メディア組織や権力者と、弱い立場からの抗議と遠巻きではあるけれどもつながっていたのかなと思う。
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by sasanoel | 2011-09-16 12:45 | 東京
安田和也さん「第五福竜丸が教えること 〜福竜丸の警告はノアの箱船〜」を聴いて
9月9日、友人が、職場のビル(早稲田キリスト教会館)で企画、展示をしているというので行ってきた。
福島と福竜丸で、ふくふく展。会場の展示では、第五福竜丸の事件を報じた新聞や、第五福竜丸と一緒に被爆したマーシャル諸島の人々の様子を伝えていた。
この日のトークセッションは、第五福竜丸展示館の学芸員、安田和也さん。


第五福竜丸の歴史
マーシャル諸島で操業中に被曝したマグロ漁船「第五福竜丸」は、いまは江東区夢の島にある。
木造船は、1947年に和歌山で建造され、神奈川県で活躍したカツオ船・第七事代丸(だいななことしろまる)だった。1951年に焼津の船主に買い取られ、遠洋マグロ漁船に改造され、第五福竜丸(第五福龍丸)となった。第五福竜丸のマグロ漁は、1ヶ月半のはえ縄漁で、漁場との行き来に1ヶ月かかる。電気もなく、冷凍室に粉砕した氷を積んで鮮度を保ちながらの厳しい労働だったため、この漁の定年は40歳だった。

戦時中の漁業者は、船とともに偵察船、見張り船などとして戦争にかり出され、漁はできなかった。福竜丸が建造された頃は、食料不足で、栄養も取らなければということで漁船が建造された。GHQの統治下で100t以下の漁船しか造ってはいけないことになっており、147tの福竜丸は99tと届けられていた。船も漁師も多くが戦争で失われ、被害者数は5万人ともいわれるが、正確にはわかっていない。

1954年3月1日、第五福竜丸は核実験(ブラボー)に遭遇。乗組員と捕獲したマグロの全てが被爆した。3月14日に焼津港に帰港、静岡大学の検査で船体から30mの場所で高濃度の放射線を検出したことから、人家から慣れた場所に鉄条網のはられた状態で係留された。
(焼津に戻った第五福竜丸については、乗組員が放射線治療のために上京したおり情報を聞きつけた読売新聞が最初に伝えた。読売の中には核開発について感心をもち学んでいた社員がいて、第五福竜丸の帰港、そのころから起きた、「原子力発電の平和利用」を唱えた原発キャンペーン報道も同社が担う事になった。)
被爆した第五福竜丸は、文科省に買い上げられ、東京海洋大学品川岸壁に移され、改造されて水産大学の練習船「はやぶさ丸」となり、千葉県館山市を母港とした。
1967年・老朽化で廃船となり、夢の島の隣りの第十五埋め立て地に打ち捨てられていたのが発見され、市民の間に保存運動が起こった。これを受けて、東京都が「第五福竜丸展示館」が永久保存することにした。

そんな遠洋マグロ漁船の歴史から、「第五福竜丸は、原水爆反対の象徴としてだけでなく、産業文化遺産でもある」と、安田さんはいう。

マーシャル諸島での被爆規模の大きさ
もちろん、核実験ブラボーの時犠牲になったのは第五福竜丸の乗組員だけではない。この時の実験は6回にわたって行われ、マーシャル諸島の人々が島に住めなくなった。さらに、汚染魚を水揚げした多くの漁船から水揚げされたマグロは競りで売られ、これを食べた多くの人々がいた。また、アメリカ大陸にも放射能が飛び被害が及んでいる。
汚染魚の被害については、日本だけで856隻(お刺身にすると250万人分の魚)が被爆していたことがわかった。それらが市場に出回った。大阪、富田林市で被爆マグロを食べた人が、白血球値に異常が認められたが「因果関係は認められない」と言われて終わる。
高濃度の放射能による被爆が人体に影響を与えてもその因果関係を明確にすることが難しいのは、久保山愛吉さんという被爆による死者を出した当時も、事故から25年後のチェルノブイリで甲状腺がんを煩う人がいても、福島原発に従事した人やホットスポットで高濃度被爆した人が不安を抱える今も同じ。被爆との因果関係を調べる医療技術は半世紀でどこまで進んでいるのだろう。

マーシャル諸島の現在について
9月9日の読売新聞が伝える記事には、半世紀後のマーシャル諸島と福島の除染の現状を考察した記事が掲載されている。(この記事は追って考えたい。全文はこちら


冷戦の影響をうけた日本の原発
この事件で、アメリカから日本に見舞金として200万ドル(日本円で7億8000万円)が払われた。被爆事故の加害者として謝罪し、賠償するというものではなかった。もし謝れば、進めようとしている商業原子力(原発)を含む核開発の全てが否定されるからだ。アメリカは何とかして日本人を冷戦に巻き込まなければいけなかった。日本はアメリカの軍事、商業戦略の拠点である。(そのために、戦後あらゆる観点から日本人がアメリカに反抗しないような戦略がとられたことが、だんだんとわかってきているようだが、いま私にはよくわからない。今後知り、知らせていけたらと思う)
とにかく政府はその「見舞金」といわれるお金を魚業の振興に5億、その他は医療や生活費として被災した船主さんたちに配った。乗組員さんたちのところへお金はいかず、泣き寝入りだったという。

一方、魚の放射能を計れば計るほど、市民の不安は募るばかりということで、安全基準を高くしたところ、検出されなくなった。報道はされなくなっていった。アメリカの本当のねらいはそこだった。

折しもアメリカとソ連の冷戦のテーマは核開発に及んでいた。
核開発にはお金がかかるため、原子力を商用に開発して売ればアメリカは蓄財できる。さらに、東側への前線基地である日本で核兵器に必要な能力も維持できれば、一石二鳥である。戦後、植民地支配するはずだった日本が独立を認められたのも、冷戦の激化が背景にあってのことだ。


1953年3月5日、政府は「ウラン235予算」通過
アメリカの思惑に尻尾を振って、第五福竜丸が被爆した翌日の1954年3月2日、中曽根康弘が原子力開発費2億3500万円を案した。5日、当時の政府はこの予算を成立させた。金額の根拠は「ウラン235」だと言う、いいかげんさが今にも伝えられている。
最近はすっかり顔を見せなくなったが、この時の判断が今、地震大国日本に54基の原発がつくらせているのだから、ぜひ、現在の心境を話してもらいたい。

「原子力を平和利用に」というキャンペーンで国民を黙らせ、実際の原子炉はアメリカにあるものをもってくればいいという程度のことを開発というのだろうか。技術国というのであれば、自然災害に備えた原発災害の技術開発をするのが、国民の安全第一というならば、それが最も大事だろう。日本が持っている資質、技術を生かそうとせず、国民を守ろうともせず、ただ買い物をするように、地震の少ないアメリカの開発したものを設計・施工管理こみで輸入してしまった。
さらに良くないことは、今日までの安全神話を形成するキャンペーンが念入りに行なわれていたことだ。その開催地のひとつは、広島平和記念資料館だった。被爆当事者の名をなきものにする、ひどい発想であるし、当時の広島の人々はなぜこれを許したのか。当時の人々の責任というより、過去無防備な日本人は「善意」に弱い国民だと言うことを利用した原発マーケティングの罠にひっかかったのだろうと推測する。
この広報を担当した企業はどこ?(ご存じの方は教えてもらいたい)ということも、日本の現在を読み解く大きな担い手になっているはず。
日本人は、福島原発事故が起きたいま、日本人とはどのような人間たちなのか、なぜこうなったのか、あらためて自問する時期がきていると思う。

こうして冷戦の影響もあり原発がふえてしまったが、その結果、考えてみると当然のことだが、福島で大事故が起きた。それは、日本が独立国というなら、選択による結果だろうとアメリカの人々は考えるのだろうか。
日本人にとっては、広島、長崎に始まる唯一の被爆国の歴史をあまりにも早く忘れ去る選択だったのではないか。
第五福竜丸の事件を思い出す事で、原子力と核の問題の原点を考え、ここで再度、被爆によるダメージの大きさについて、また、これから放射能とともに、この故郷でどう生きればいいのかについて考えていくことができる。

第五福竜丸展示館には、江東区夢の島の公園にフラリときた人が立ち寄ることができる。無料である。
311後の東北から小学生、中学生の社会科の見学でおとずれる子供だちの多くは、自分たちが経験したことと照らし合わせてこの事件を考えるきっかけになっているという。
事件から57年のいま、戦後を振り返るこの時期に、東日本大震災があって、再度思い出さずにいられない事件となっている。この時の海洋調査の報告が、いま、福島原発事故後の三陸の海洋汚染を考える貴重な資料となっている。

余談になるが、湯浅一郎さんの海洋汚染に関する講演を石巻できいたことを報告したが、その湯浅さんが頼ってきたのが、安田さんだった。

安田さんはこれからも、第五福竜丸の事件を通じて原水爆への反対を唱えていく。しかし、東京都の施設である福竜丸展示館で福島原発の事故については触れられないのだという。
「第五福竜丸事件を知る事で、市民の想像力を働かせて、福島原発事故についても考えてもらいたい」と安田さんはいう。

(この記事は、安田さんのお話を聞いた、筆者の整理。安田さんの講演そのものではないところもある。)
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by sasanoel | 2011-09-11 09:05 | 東京
女川プルサーマル、賛成意見動員を調査せず?
「原子力発電を考える石巻市民の会」のHPでは8月末から掲載していた。今日の河北新報であらためて掲載された。日本の原発の問題は、もう、日本だけ、ましてや石巻と女川だけの問題ではない。

「女川プルサーマル意見募 市民団体が県に調査要請」(河北新報9月6日)
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/09/20110906t13004.htm

世界中が、福島第一原発の事故を機会に意識をあらたにしようとしている。そうしなければ、地球がというより、人類が自滅の道をたどることになる。何度も思うけれど、SF映画の予告ではない。

それにしても、宮城県はなぜ、宮城県は調査するかどうかをこれから検討するのだろう。ここにきて、石巻市と女川町の行政はだんだんと脱原発になろうとしているようだけど、宮城県も新聞もとりあげて、これまで調査などする気もなかったのが、すこしは変ったという段階なのだろうか。

それにしても、女川にはプルサーマル計画があるってことだけど、どういうことなんだろう。
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by sasanoel | 2011-09-06 23:42 | 反原発
クリス・バズビー氏のインタビュー「内部被爆に警鐘」
ECRR(欧州放射能リスク委員会)のクリス・バズビー氏のインタビュー「内部被爆に警鐘」、NPOメディア Our Planet TV の取材を紹介する。
日本だけでなく、世界が、一部の権威に依存し、原発、原爆についても五感を塞いできたことがわかる。単なる組織の対立と捉えることには意味がない。これから市民の判断のものさしとして、バズビー氏の意見を検証していかなくてはと思う。
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1190
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by sasanoel | 2011-09-06 09:08
映画「チェルノブイリハート」
伊勢佐木町ニューテアトルで今日から上映されている映画「チェルノブイリハート」を観に行った。東京では8月から公開されている。

日本人へ

『生きる事は、笑い事ではない
あなたは、大真面目に生きなくてはならない

たとえば、
生きること以外に何も求めないリスのように
生きる事を自分の職業にしなくてはいけない

生きる事は、笑い事ではない
あなたはそれを、大真面目にとらえなくてはならない

大真面目とは、
生きることがいちばんリアルで美しいと分かっているくせに
顔をみたこともない人のためにさえ死ねるくらいの
深い真面目さのことだ

真面目に生きるということはこういうことだ

人は70歳になっても、オリーブの苗を植える。しかもそれは、子供たちのためでもない
つまりそれは、死を恐れようが、信じまいが、生きる事のほうが大事だからだ

この地球はやがて冷たくなる
星々の中のひとつで、しかも最も小さい星、地球
青いビードロの上に光り輝く一粒の塵
それがつまり、われらの偉大なる地球だ

この地球はいつの日か冷たくなる
氷塊のようにではなく、ましてや死んだ霊のようにでもなく
クルミの殻のようにころころと転がるだろう
漆黒の宇宙空間へ

そのことをいま、嘆かなくてはならない
その悲しみをいま、感じなくてはいけない
あなたが「自分は生きた」というつもりなら
このくらい世界は愛されなくてはならない』


映画「チェルノブイリ・ハート」の冒頭に、監督からのメッセージとともに日本人へと贈られた、ナジム・ヒクメット(トルコの詩人)の詩。
http://www.kokubunsha.co.jp/archives/ISBN4-7720-0129-8.html

チェルノブイリ原発周辺の汚染地域では、オリーブの苗を植えることができない。

この映画は、1986年4月26日のチェルノブイリ原発の事故から25年の汚染地域の人々の社会を描いたというより、福島の未来を描いた映画だ。

反原発活動も、障害者の人権の問題も、憲法25条に書かれた基本的人権の問題も、それらは平和な社会基盤があって、その上に正義を説いていくもの。戦争や大きな災害にみまわれ、その渦中にいる社会は、悲しみに暮れ、日々、取り除かなければいけないガンの恐怖の中で、不安な日々を送り続けている。
人間は、大きな事故の前で、被災者も、被災者を救う人々もあまりにも非力だ。ボランティアの医師が、13人の子供の手術をしても、年間130人の子供は死んでいくのだ。

現在、ウクライナがチェルノブイリ原発の処理義務を負っている。その医療体制にも足りない部分があるのだろう。
成人になってから多くの供たちは、甲状腺がんを発症している。みな、「放射能による喉の病気」ということを自覚している。健康診断でセシウム137による内部被ばくが認められた子供は、インタビューにより汚染源をつきとめられる。キノコ、イチゴ類などを採ったかどうか。ジャムを食べているといえば、そのジャムを検査する。そこからセシウム137が検出される。そして、彼には今後ジャムを食べてはいけないと告げられる。

原発事故後に設立されたナンバーワン・ホーム(乳児院)には、多くの障害児がいる。映像には、あまりにも悲惨で、直視することがつらくなるほどの障害を負った子供たちがいた。

わたしには、少し前に観た映画「ピース」とこの映画がかさなる。この映画で、ホワイトホースの写真のあるチェルノブイリから3キロの生家、プリピチャのアパートを観に行ったマキシムの死が、そう思わせたのかもしれない。
マキシムは、死ぬまでふつうに生きていた。原発なんかに運命を左右されたなんて信じない、と。
70歳の老人がオリーブの苗を植えるように、自分は幸せに生きることができると。チェルノブイリ原発事故を「これは自分の運命じゃない」と、2007年に30代半ばに病気で死ぬまで、生きていた。

ピースの世界は、原発事故とは全く関係ない。この映画については、またいつか別の機会に書きたいとおもっていたのだが、「オリーブの苗を植える」という作業が、日常の平和な営みの象徴として、わたしには映った。

やっぱり、「ピース」のことはまた今度書くけれども・・一言だけ。
あたりまえの作業が、あたりまえの苦労の多い暮らしが、どれだけ大切な生きる営みであり、喜びであることを、映画は伝えていたと思う。そして、人は、そのふつうの生きる営みの末に、とつぜんの死を迎える。しかしその死は本当は突然ではない。死がくることは、わかっていたのだから。

ふつうの暮らしの大切さを想わずにいられない。
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by sasanoel | 2011-09-03 23:36 | 作品から
「ふくふく展」のお知らせ
友人が職場のビルの仲間で企画したイベントです。
福竜丸と福島で「ふくふく展」、とのこと。わたしも金曜日に行こうと思っています。
現地で会える方がいたら、嬉しいです。


第五福竜丸 - 福島 1954. 3.1-2011. 3.11
パネルと写真展


【展示について】
 1954年3月1日、マーシャル諸島沖で操業していた日本のマグロ漁船、第五福竜丸は、米国の水爆実験に遭遇した。2週間後、焼津に帰港した彼らを待っていたのは、放射能による被爆の恐怖と、彼らが獲ったマグロに対する食品パニックだった。ごく普通に生活する人間とその家族が、突然核・軍事開発による暴力と恐怖に理不尽に脅かされる事態となった。
福竜丸事件から50年を経た2011年3月11日、東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故は、放射能による心身の不安を負う人々を日本中に生み出した。現在進行している諸問題―情報開示、健康への影響、食品への不安、原子力の稼動場所として利用される遠隔地、頭ごなしの補償による被害者の分断―は、福竜丸事件にみられる問題と、あまりに多くの課題を共有している。多くの犠牲と傷つけられた人々を生んだ福竜丸事件から半世紀を経ても、その苦い教訓は生かされることはなかったのか。
 本展示は、福竜丸事件の資料の保存・展示公開につとめる第五福竜丸展示館によるパネルと現物資料、ならびに水爆実験後のマーシャル諸島と原発事故後の福島の写真によって構成される。第五福竜丸事件と、現在進行形の福島の事態を重ね合わせることによって、過去から学びえたものは何であったのか、今なすべきことは何かを考える。

日時:2011年9月5日(月)~9日(金)10:00~18:30、10日(土)10:00~13:30
会場:日本キリスト教会館 3 階会議室(新宿区西早稲田2-3-18)
入場料:500円〔中学生以下無料〕
                   (一部を「子どもたちを放射能から守る 福島ネットワーク」に寄付いたします)

【展示】
1. 第五福竜丸事件・マーシャル諸島の核被害概要
  (制作・第五福竜丸展示館)
2. 第五福竜丸事件関連現物資料
  (「死の灰」レプリカ、当時のガイガーカウンター等)
3. 水爆の島 マーシャル諸島の子どもたち
  (撮影・島田興生、制作・第五福竜丸展示館)
4. 福島(2011 年 5 月撮影・大島俊一)

【トークセッション】
9月7日(水)19:00 - 20:30
  大島俊一(写真家)「震災の地・原発事故の今」
9月9日(金)19:00 - 20:30
  安田和也(第五福竜丸展示館主任学芸員)「第五福竜丸事件が教えること」
9月10日(土)14:00 - 16:00
  山田 真(小児科医・子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク)「今、福島で何が起きているのか」
入場料:500円(展示観覧料を含む・中学生以下無料)
会場:日本キリスト教会館 3 階会議室(展示会場と同じ)

主催:ふくふく
      fukufuku311@gmail.com
      tel/fax 03-3207-1273(キリスト教事業所合同労組)
      告知サイト:http://fukufuku311.blogspot.com/
共催:キリスト教事業所連帯合同労働組合/靖国・天皇制問題情報センター
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by sasanoel | 2011-09-02 21:50 | 東京


被災者も非被災者もともに平和で楽しく暮らせる社会をめざして。2011.03.11 ご連絡、記事についてのお問い合わせ、取材依頼は筆者までメールで。sasanoel@gmail.com
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