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石巻、被災した港で、歩き始めた人々とともに
震災から1年目をすぎた頃、石巻の港で水産加工会社を経営する高橋英雄さんの会社を訪れた。

練り物を造り、120年になる老舗は、昨年3月11日の震災で8ラインあったすべてが津波の被害にあった。高橋さんは、従業員約80名を全員解雇せざるを得ない事態を迎えた。

始めるに時があり、止めるに時があり、止めるのを止めるのに時がある。時代の大切なメッセージを受けとめ、危機を乗り越える必要があった。

およそ30年前、現在3代目になる高橋さんは、食品添加物を使わない製造を決意をし、本格的な無添加の製品作りをスタートさせた。量産の時代、横並びの競争社会に終止符をうったことでもある。以来、顔の見える人の口にのぼる、安全で、美味しい食べ物を作ろうと、挑戦を続けてきた。

30年前といえば、石巻市のとなりの女川町にある女川原発の建設差し止め裁判が、原告側の主張を退けた頃でもあり、高橋さんは反原発の側で意思表示をしていた。

添加物も、放射能も、東京電力福島原発の事故がおきてしまったいまは、深刻な環境汚染源として同様に危険を認識できる。自覚できないうちに、身体を蝕む。ただちに危険はなく、便利であるがゆえに市場の可能性が高い。食品添加物の問題は、低線量被爆とも似ている気がする・・。


現在の仮設魚市場からすぐの川口町に高橋さんの会社の本社工場はある。
昨年3月11日の午後2時半すぎ、工場はその日の製造を終えていたが、多くの社員が社屋の各部署にいた。地震の大きな揺れのあと、外へ出ると、社屋の前にあった電気屋さんのビルが無惨に倒壊していた。点呼をして、それぞれ津波に備えて避難した。社員の中には、家族のもとへ車で向かったお母さん、お父さん、連れ立って逃げた若い人たち、荷物をとり、火の元をとじて冷静に避難した人もいた。

何人かは、頂上に零羊崎神社(ひつじさきじんじゃ)のある牧山へ向かい、その途中にあるコンクリート会社の敷地内で一夜を明かした。工場へ戻る道は胸までの高さの波が滞留し、国道は塞がれていた。夜は雪が降り、逃げて来た人々らとドラム缶にくべた燃料を燃やして暖をとった。知り合いや初対面の人と車の中で寒さをしのいだ人もいた。それぞれの被災状況はみな違うが、一番大切な人の安否を気遣いながら、一緒になった人との思いがけない時間を過ごした。
翌日から、山の中腹にあるトンネルを抜けて不動町から稲井のほうへ抜けるなどしながら、家族のもとへ徒歩で帰るのに、誰もが1日から数日はかかった。

幸いなことに、あとになって社員約80名全員の無事が確認できた。しかし、社員の家族や親戚の多くが犠牲になっており、いまだに見つかっていないという人もいる。
もうダメかもしれない。たくさんの人の生活をにない、先代から受け継いだ会社が終わるのかもしれないという最悪の事態をむかえていると、高橋さんや経営陣の脳裏に浮かんだ。社員は全員解雇を言い渡された。意義を唱える気力のある人は皆無だった。

その後、地震保険が適用されることになり、補助金を申請したりと、どのような形でか会社を再開できる希望が見えて来ると、高橋さんはその希望を目の前の現実として向きあった。家族と離れ、牧山の社務所に集まった避難者たちとともに生活をはじめるなかで、社員のうちの約20名に、再雇用を呼びかけた。

本社工場と、第2工場では、泥の書き出し作業を手伝う取引先や、県外からのボランティアが駆けつけ、再雇用を呼びかけた社員とともに毎日の清掃作業を担ってくれた。「変わりたい、変わらなくては」という想いを抱きながら、恐ろしい数のハエや腐った魚の臭いにまみれながら、会社と、自分自身のあらたな姿をもとめた。
再建に向け、心を開こうとする高橋さんに、大きな支援の嵐が巻き起こっていた。高橋さんの息子たち、経営を支える役員、再雇用となった社員たちも、ともに歩みはじめた。
すべてを失ったかのような状況から、残ったものを確認し、磨くことのできる魂を、高橋さんは見つけたのだろう。


初夏、石巻の人々で活動する「原子力発電を考える石巻市民の会」が集会を開くと、高橋さんも参加するようになった。

東北大学在学時代に三陸の海洋環境を専門に学んだ、湯浅一郎さん(NPO法人ピースデポ代表)による石巻での講演会『福島原発震災から三陸の海の放射能汚染を考えるhttp://sasanoel.exblog.jp/14414202/』では、石巻・女川の漁民たちとともに参加した。
この講演会を企画したのは、かつて女川原発建設差し止め訴訟の原告団のひとり日下郁郎さんで、30年間変わらない意志で、原発反対を唱え続けた全共闘世代。高橋さんとはほぼ同世代で、津波で近しい人々4人を亡くしていた。

筆者のことになるが、叔父や叔母、従姉妹たちを訪ね3月下旬に石巻市不動町を訪れてから、ずっと、女川原発に近い石巻の人々が、大きな津波の被害にあい、原子力発電所とどう向き合おうとしているのか、知りたかった。それで、日下さんの企画にアクセスしたことが、高橋さんにも会うことになった私の経緯である。

そもそも、わたしは不動町や旧北上川の岸辺、駅ぐらいしか石巻を知らなかったから、もともと港に何があったのか、わからない。何もなくなってしまった女川の街の跡を見ても、古代遺跡を見るようで、ここに昨日まで人の暮らしがあったとことを、どのようにも想像することができなかった。

石巻で、知り合いになった方々をお訪ねして、ブログへの取材にご協力いただいた。被災した方々に会うという目的以外にはなかったが、多くの被災した人が胸の内から少しだけ取り出して話してくれた。何がふつうなのかわからなくなるような体験をした人々と、これからは、時間の意味を考えてともに過ごしたい。どのようなことを希望として生きているのか。また、別の場所での自分の取材活動が被災地の人を視野にいれたものでありたい。

震災から2年目を歩こうとする高橋さんの会社。
地盤沈下のため、雨が降ると周囲はプールのようになる。がれきは集約されたが、一向に片付くことがない。居住制限区域に指定された高橋さんの家を含め、周囲に人のすむ家はなく、多くの建物も残っていないため、ガランとした荒野に、残された社屋がある。そこに、25人の人々が、あらたな営みをはじめていた。
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by sasanoel | 2012-07-04 23:37 | 東北


被災者も非被災者もともに平和で楽しく暮らせる社会をめざして。2011.03.11 ご連絡、記事についてのお問い合わせ、取材依頼は筆者までメールで。sasanoel@gmail.com
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