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2012年、首相官邸前での最後の金曜日 ーヤシンタ・ヒンさんに聞くー
12月28日、金曜日。2012年の最後の抗議活動にいくという友人に誘われて、霞ヶ関へいく。
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反原発の活動をするオランダ人・ヤシンタ・ヒン(Jacinta Hin)さん。20年以上日本に暮らしている。キャンドルを灯して展示、世界の人々のメッセージを伝えている。この活動は、ディーンというイギリス人がリーダーで始まり、今回で8回目(2ヶ月)になる。

ーーなぜキャンドルイベントを始めたのですか?
「その前も、抗議に毎週きていましたが、あまり若い人たちがいなかった。ある日、今日は違う感じでやりましょう、ということになり、キャンドルをもって、平和的な原発のない世界を訴えようということになりました。抗議に参加する人たちも立ち寄ってくれて、きれい、きれいって見ていってくれる。これからも続けようと思っています。」
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スピーカーで遠くまで聞こえるシュプレヒコール。アピールのための幟や鳴りものは、たぶんいつの時代にもあって、世界共通、伝統的な市民の抗議活動のスタイルなのだろう。反(脱)原発にむけて、想いをひとつに、強く、確実なメッセージを訴えないといけない。それには、どうしても強固な態度、大きな声、理解を育てるための言葉が殺伐としてしまう。
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311後の反(脱)原発のデモは、お母さんや子供の参加も多いことから、「パレード」などとも呼ばれ、雰囲気に気遣いのあるものとなってきたという。それでも、市民の訴えは切実さを増してくると同時に、殺伐ともしてくる。声を枯らして、拳を振り上げる。叫ぶ。ーーーそんな時、平和の願いを灯した数々のキャンドルの灯りの眩しさに、または暖かさに、誰もが心癒されることだろう。抗議も大事だけれども、同時に、これは平和のための運動なのだということを忘れない。そのことで、より目標に向かう意識が高まることと思う。
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ーーオランダの人から見て、今回の選挙や原発のこと、どう思いますか? ヤシンタさんに聞く。

「やっぱり私も、今回の選挙の結果はうれしくないですが、原発反対は長い道だと思います。これからもずっとがんばらなくちゃいけない。反対している人たちは日本でも多くいますが、まず声を出すことが大事でしょう。日本はこれから違う方向にいける可能性もたくさんある。この状態は一時的なもの。原発は、怖いし、電気がなくなるといういう恐れもある。そういう意味で、時間がかかると思います。オランダは、小さい国だし、ガスが豊富にあって、それをメインにしています。原発は2基、電力の輸入もしています。ただ、ほとんどのオランダ人もあまり原発は欲しくないと思う。日本は原発、原子力の方向にいたが、もう一度よく考えて、リニューアブルのエネルギーに、会社も投資しなくちゃ行けない。時間がかるけど、意味はある。明日ではなくても、これからだと思う」

ーー明日ではなくても、これから。道のりは長い、と。

ヤシンタさんの故郷・オランダでは、今年、環境NGO団体グリーンピースが北極で開発を進めようとしていたシェル石油に抗議活動を行い、シェルがグリーンピースを訴えたが、アムステルダム裁判所はシェルの訴えを棄却した。理由は、「北極開発は地球規模の重要事項であり、それに対して200万人以上の市民が署名によって異議を表明しているのにもかかわらず、シェルはその民意を無視して計画を強行するのだから、非民主的なシェルに対してグリーンピースが一定の損害を与える抗議活動をすることを裁判所は許可する」というものだった。
(『Dutch court grants Greenpeace right to stage peaceful protests against Shell』→http://bit.ly/QzYyPA)
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ヤシンタさんとともに、キャンドルの火が消えないよう見守っていた石塚道義さんは、神奈川大学を拠点に、人的ネットワークによる防災のまちづくりを提案する「防災塾・だるま」という名刺を持っていた。
(「防災塾・だるま」http://darumajin.sakura.ne.jp/)

「もとは官邸前でシュプレヒコールあげていたんですが、ヤシンタさんたちと知り合い手伝うようになりました。彼らは、海外のモデルグループで、リーダーのディーン(イギリス人)とともに東北の子供のサポートをしているんです。今日も300人くらいに声をかけていた。原発は、福島だけの、日本だけの問題ではないんです」と、灯りを絶やさないようキャンドルのメンテナンスをする。

2012年最後の反原発の抗議活動が終わった。原発は、選挙やエネルギーや経済問題などと一緒に語られることが多いが、まず、「原発=放射能」の問題を考える必要があると思う。チェルノブイリで、福島で、もっといえば、ヒロシマで、ビキニ環礁で、多くの被爆者と環境や食べ物の問題を生み出す「核への抗議」が必要では。「平和利用」という言葉に将来や判断を奪われた状態が、いまも変わらず続いていることを認識する必要がある。
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また、今回の選挙の結果、政党支持率15.3パーセントしか得ていないとの見方もある。そんな中で「国民的議論」結果の無視は許されようとしているのか。

(【図解・政治】政党支持率の推移(12月14日時事通信掲載)http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_pol_politics-support-pgraph)
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by sasanoel | 2012-12-29 18:07 | 東京
下松出身の2人のカメラマン
12月22日、大森にある「キネカ」という映画館で、長谷川三郎さんの撮った映画『ニッポンの嘘 報道写真家・福島菊次郎 90歳』をみた。

菊次郎さん、霞ヶ関かどこかで見かけたことある気がするけど・・・その程度で、事前情報なし。ただ「報道ってなんだろうなぁ」と思いながら、映画をみていた。
映画で感じたことは、「福島さんのありかたそのものが、報道の人生だ」ということ。報道とは、福島さんの生き方を言うのだと。いま、彼を「すごい人」として尊敬するのでなく、超えてやろうとする図々しい人がいることが100倍大事だろう。この映画は、伝説の写真家の話とか、おじいちゃんの武勇伝ではいけない。芸術作品でもいけない。だってそれは今の社会の問題なのだから。菊次郎さんの映した世界そのものが、震災後のいまこそ、見直されなくちゃいけない「ニュース」だと思った。

(フェイスブックページ)
映画「ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎 90歳」
https://www.facebook.com/Nipponnouso


さて、きょうここは、個人的な想いにすぎない一人の友人のことを思い出してみる。菊次郎さんの育った、山口県下松(くだまつ)市。下松駅からすぐのところに、2010年の夏にがんで43歳で亡くなった女性カメラマン、山口ミカさんの実家がある。

ローマで活動をしていた山口さんがわたしにメールをくれたのは、2004年のアテネパラリンピックのあと。それから、何度かのメールでのやりとりをし、2005年にトリノへ行った時は連絡がとれたもののすれ違ってしまい、2006年のトリノ、2008年北京、2010年バンクーバーと3度のパラリンピックをともに取材した。
私たちNPOのメディアでは、障害者のスポーツが健常者のスポーツと区別され、スポーツとしての認識がきわめて低いと考え、障害者のスポーツの魅力が、区別される必要のないものであることを証明しようとしていた。でも、実際、取材対象は、カッコいいアスリートばかりだ。ステレオタイプな障害者像は一瞬でぐずれ去り、選手はただ普通の選手だった。競技をする上での苦労はあるものの、差別や貧困、生存の危機に関わるような問題ではない。スポーツの醍醐味を求めた楽しい取材だった。山口さんは、取材対象や仲間との交流への意欲が旺盛で、積極的に向き合い、亡くなるその日まで、被写体との公私ともの交流を楽しんでいた。

「ルポルタージュが撮りたい」と言っていた。四谷三丁目の土門拳ゆかりの現代写真研究所で学び、その時、下松の自宅で家族に介護される彼女のお爺さんにカメラを向けた。そのモノクロ写真が、彼女の最初のフォトルポルタージュ作品だった。ローマでは作家として風景や人物を撮りながら、ブライダルの仕事をして生計を立てていた。パラリンピックでは、競技の会場で見えたもののほか、障害者馬術や車椅子カーリングの競技撮影をした。もし今だったら、競技ではなく、誰か一人の選手にフォーカスした取材をしていることだろう。いやもしかしたら、スポーツはやめて、被災地へ行っているかもしれない。

バンクーバーパラリンピック前の2010年には、10年以上住んだローマを引き上げていた。がんが悪化していたが、大阪でバイトをしながら、一人暮らしをしていた。3月にバンクーバー取材から帰国したあと、治療のためと、下松の実家へ戻った。

8月、「佐々木さん、私、あと何日生きられるかわからないの。」電話をもらった。
少し前に赤煉瓦倉庫で展示した障害者馬術の写真のパネルを抱えて、私は徳山行きの夜行バスにもうひとりの友人と乗り込んだ。山陽本線の下松駅ではじめて降りた。山口さんの実家は駅からすぐのところにあった。徳山に泊まりながら、2日間で亡くなる直前のひとときを過ごすことができた。

「元気だけが取り柄だった私なのに」と、悲しげに笑いながら、優しく迎えてくれた。もう一人の友人は、山口さんの赤外線撮影による作品で(視覚障害の人と楽しむ)触る写真展をやるために、解説を録音していった。「私の写真で、素敵な企画を考えてくれてありがとう」と山口さんは友人に言った。
「本当は、写真というものが私にとって何だったのか、まだわからない」とも言っていた。「佐々木さんは、パラフォトはこれからどうするの?」と聞かれて、アジア大会の取材を考えていると話したが、それでどうするのか、何を伝えられるのか、本当はわからなかったが、そう言うしかなかった。山口さんのこの問いかけが、いまも私の中に解決しないままある。
私たちが帰った翌日に、お母さんからの電話で山口さんの死を聞いた。

菊次郎さんの映画の最後で、311の映像をみつめる菊次郎さんがいた。93歳で、はっきりとした意識でいまの社会を見つめている。体力が衰えるにつれ、ますます募る危機感に感性は若く、冴え冴えとしてきているのではないかと想像が膨らんだ。その見つめる瞳が、身体が思うようにうごかなくても、自分が撮影した写真から、懐かしい風景をくっきりと青い空や公園の木もれ陽の暖かさを思い出していた山口さんにも見た気がする。

同じ場所で育った写真家が2人。こんなことは、私だけにしか意味のない、偶然にすぎないけれども。菊次郎さんの90年に比べ、山口さんの40年はあまりにも短いのだけれども・・。山口さんの被写体への姿勢・・素早く、直接的に向き合う姿は、彼女が大好きなイタリア的なのか?と思っていたけれど、積極的にかかわる人や被写体と向き合う心のまっすぐさ、律儀さは下松的なのかもと勝手に思ったりした。

さて、来年はわたしも山口さんの年齢になります。

山口さんのフェイスブックページ
https://www.facebook.com/mika.yamaguchi.359778
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by sasanoel | 2012-12-26 16:51


被災者も非被災者もともに平和で楽しく暮らせる社会をめざして。2011.03.11 ご連絡、記事についてのお問い合わせ、取材依頼は筆者までメールで。sasanoel@gmail.com
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