新島トライアスロンをバリアフリーな大会に! 〜チーム三桁・金城さんの熱い野望!〜
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トライアスリートとしてアイアンマンを完走、指導者、メカニック、視覚障害の選手のガイドとしてさまざまな立場でトライアスロンに関わってきた、金城雅夫さん(65歳・チーム三桁主催)は、今回、新島トライアスロンでぜひとも成し遂げたい野望があった。

ひとつは、今回の新島に障害のあるアスリートを参戦させること。
もう一つは、以後も新島を障害者の参加しやすい大会にすること。それには、大会運営のトップクラスの協力が必要で、その了解をとりつけること。

ある日、金城さんはウキウキしながら電話をくれた。
「秦さんに新島のリレーでスイムを担当してもらうことにしました!」
秦由加子は、片足大腿切断のスイマーで、アジアパラリンピック日本代表で出場したこともある選手。
「秦さんに泳いでもらい、障害のある選手が速く泳げることを証明しましょう。そうすれば、今後もたくさんの障害のあるアスリートが新島に参加しやすくなると思います!」

5月12日。東京から南に約160km、伊豆諸島の一つ新島で、東京アイランドシリーズ「新島トライアスロン」が開催され、チーム三桁の仲間とともに、秦選手が、リレーの部のスイムパート1500mを泳いだ。

「波がなく、すごく泳ぎやすかったです!透明度の高い海で、きれいで、最初こんなきれいなところで泳いでしまうと大変ですね(笑)。
勝ち負けというのも、これから先はあると思いますが、今日は、すれ違う人とも、おたがい頑張ろうな!みたいな感じになって、レースはとてもいい雰囲気でした!」と、秦選手は現地からの電話で感想を伝えてくれた。オープンウォーターはほぼ初めてだったという。
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レース後、メカニックの仕事を終えた金城さんと秦選手は、新島の村長・出川長芳さんに挨拶にいった。

秦選手がいくと、話は弾み、村長は秦選手を歓迎。金城さんの思惑通り、今後も障害者の挑戦、しかもタンデムで視覚障害の選手の出場も喜んで受け入れるとを約束してくれた。

この展開に、長年の想いを遂げた金城さんは、大満足したようだった。
夕暮れの新島や、帰りの東海汽船から何度か電話をくれ、喜びを伝えてくれた。

また、今後、ここ新島でリオをめざす東京近郊のパラトライアスロンの選手がオープンスイムの練習ができたらいいと思っているようだ。7月になれば、新島オープンウォータースイミング大会もあり、これにあわせて新島での合宿ができたらと考えているようだ。
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チーム三桁の結果;トータル=2:30:25(5位)、スイム=0:21:55(2位)、バイク= 1:25:32(8位)、ラン=0:42:58(2位)
写真撮影;井上有騎、金城雅夫ほか
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# by sasanoel | 2013-05-21 17:18 | トライアスロン
障害者サッカーの魅力、横浜の選手が伝える!
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イベントから2週間が過ぎてしまったけれど、私の住む横浜から世界を目指すひとつの取り組みを伝えておきたい。
2月16日、日産スタジアム内にある横浜市スポーツ医科学センターにて「電動車椅子サッカーとともに生きる」が開催され、1月にシドニーで行なわれたアジア・オセアニア大会の報告や国際化への取り組みの歴史など、電動車椅子サッカーの魅力を伝える講演会で、地元クラブ・横浜クラッカーズの選手により語られた。

「電動車椅子サッカーに生きる」講演会
http://www.ut-challenge.jp/c01/2013/02/post-45.html

電動車椅子サッカーは、全国9ブロック35チームあり毎年日本一を決める全日本選手権が行なわれている。世界大会も2007年に東京で初めて実現した。横浜クラッカーズは、1999年に横浜ベイドリームから別れて結成、2011年、クラブ創設13年で全国初優勝を果たした。2007年の世界大会には、野田拓郎を日本代表に送り出し、今年のAPOカップには、三上勇輝選手、そして、日本代表初の女性ストライカー・永岡真理選手を送り出した。横浜ラポールをメインコートに練習する強豪チームである。

イベントを企画した平野誠樹は、現在、監督・選手である。また、2004年のアテネパラリンピックでCPサッカー(脳性麻痺7人制サッカー)を取材したパラフォトの取材仲間でもある。著書に「110センチの視野」(2007年)があり、選手として、筋ジストロフィーを抱える人生の挑戦者として、自分のこと、自分を取り巻く家族や仲間とともに生きる半生を振り返り、描いている。

2007年の世界大会への選考会に平野は参加できなかった。自身の障害筋ジストロフィーの進行もあったが、それ以外でも体調も崩していたことが理由だ。国際大会の実現のためにパラリンピックも視察して、中心的に努力してきた平野にとって、心穏やかではなかったことだろう。こちらも声をかけるべきか悩んでいたとき、「カメラマンをお願いできますか?記事は自分が書きますから!」と、連絡があった。嬉しかった。おかげで私も記念すべき第1回世界大会を取材者として観戦できた。

アテネで始まった取材活動、これからも!

「電動車椅子サッカーの選手ですが、パラフォトでアテネに取材者として行くことはできますか?」そう連絡をくれたのがきっかけで平野のことを知った。もう10年近く前になる。「サッカーの選手が、サッカーの試合を観て伝える。すごく面白そうだ!」と思った。これまでも国際大会の取材に車椅子のジャーナリストはいたが電動車椅子は初めて。でも、障害者スポーツを伝えるのに障害があるからと取材者を拒むのはおかしいし、むしろ必要なことだ。JPCも、IPCも同じだろうと思った。平野は、お母さんを介助者に、弟さんをカメラマンに従えて3人の取材チームを作り、石畳のアテネを電動車椅子を充電して毎日会場に通った。
アテネの会場でも、「きみのような取材者が来るなんて!」と、各国のCPサッカー選手たちの間で平野の取材は評判になったようだ。選手であり障害者であるというダブル当事者性は、取材対象にも歓迎されたのだ。これからも、ぜひ、障害者のサッカーの取材を考えてみて欲しい。

(写真は、横浜クラッカーズのメンバー(左から平野、三上、永岡、野田)と、ゲストスピーカーとして会場を訪れた元ブンデスリーガー 奥寺康彦さんと)


<平野誠樹の記事>

【アテネパラリンピック記事インデックス】

「ゴールを狙え」もときのCPサッカー便り
http://www.paraphoto.org/article/motoki/


【2007電動車椅子サッカー・第1回ワールドカップ東京大会記事】

「エースのプライド、そしてニューヒーローの誕生」
http://www.paraphoto.org/2006/?article_id=132

「日本対アメリカ 豪快な一撃」
http://www.paraphoto.org/2006/?article_id=134

「日本×フランス戦」 どうした日本?
http://www.paraphoto.org/2006/?article_id=141

「<三位決定戦>その先にあるもの」
http://www.paraphoto.org/2006/?article_id=142
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# by sasanoel | 2013-03-01 20:31 | スポーツの前後左右
LGBTは、わたしの友達
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L=レズ、G=ゲイ、B=バイセクシャル、T=トランスジェンダー。日本語でいうと、同性愛者、良性愛者、性同一性障害者。しかし、LGBTは一般に認められる障害者として、立場への理解が浸透しているわけじゃない。

「性」について違和感をも持たない多くの人間にとって、「性」への認識の違いを感じ、悩む気持ちがわからない。わからないために、傷つける。さらに、多くの社会的無知により、政府などの権力が、LGBTへの差別や、表現の自由を奪い、さまざまな社会的不利益をもたらそうとしている。

今回、1月13日(土)東京でのデモのきっかけは、自民党のジェンダー政策アンケートへの回答として「性的マイノリティ(LGBT)に対する差別や社会的排除をなくす」という項目に「どちらかと言えば反対」との回答を示したところに抗議が始まった。

デモには、150人ほどが集まり東京の街を歩いた。性的マイノリティ当事者の心や身体のありようはさまざま。レインボーの旗印は、表現や好みが自由であり、そんな心が美しい虹のように輝くことの大切さをやさしく呼びかけていた。

主催者は、当事者ではないが、落ち込んでいる友人のためにこのデモを企画したという。
http://p-wan.jp/site/
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# by sasanoel | 2013-01-15 13:39 | 東京
2012年、首相官邸前での最後の金曜日 ーヤシンタ・ヒンさんに聞くー
12月28日、金曜日。2012年の最後の抗議活動にいくという友人に誘われて、霞ヶ関へいく。
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反原発の活動をするオランダ人・ヤシンタ・ヒン(Jacinta Hin)さん。20年以上日本に暮らしている。キャンドルを灯して展示、世界の人々のメッセージを伝えている。この活動は、ディーンというイギリス人がリーダーで始まり、今回で8回目(2ヶ月)になる。

ーーなぜキャンドルイベントを始めたのですか?
「その前も、抗議に毎週きていましたが、あまり若い人たちがいなかった。ある日、今日は違う感じでやりましょう、ということになり、キャンドルをもって、平和的な原発のない世界を訴えようということになりました。抗議に参加する人たちも立ち寄ってくれて、きれい、きれいって見ていってくれる。これからも続けようと思っています。」
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スピーカーで遠くまで聞こえるシュプレヒコール。アピールのための幟や鳴りものは、たぶんいつの時代にもあって、世界共通、伝統的な市民の抗議活動のスタイルなのだろう。反(脱)原発にむけて、想いをひとつに、強く、確実なメッセージを訴えないといけない。それには、どうしても強固な態度、大きな声、理解を育てるための言葉が殺伐としてしまう。
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311後の反(脱)原発のデモは、お母さんや子供の参加も多いことから、「パレード」などとも呼ばれ、雰囲気に気遣いのあるものとなってきたという。それでも、市民の訴えは切実さを増してくると同時に、殺伐ともしてくる。声を枯らして、拳を振り上げる。叫ぶ。ーーーそんな時、平和の願いを灯した数々のキャンドルの灯りの眩しさに、または暖かさに、誰もが心癒されることだろう。抗議も大事だけれども、同時に、これは平和のための運動なのだということを忘れない。そのことで、より目標に向かう意識が高まることと思う。
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ーーオランダの人から見て、今回の選挙や原発のこと、どう思いますか? ヤシンタさんに聞く。

「やっぱり私も、今回の選挙の結果はうれしくないですが、原発反対は長い道だと思います。これからもずっとがんばらなくちゃいけない。反対している人たちは日本でも多くいますが、まず声を出すことが大事でしょう。日本はこれから違う方向にいける可能性もたくさんある。この状態は一時的なもの。原発は、怖いし、電気がなくなるといういう恐れもある。そういう意味で、時間がかかると思います。オランダは、小さい国だし、ガスが豊富にあって、それをメインにしています。原発は2基、電力の輸入もしています。ただ、ほとんどのオランダ人もあまり原発は欲しくないと思う。日本は原発、原子力の方向にいたが、もう一度よく考えて、リニューアブルのエネルギーに、会社も投資しなくちゃ行けない。時間がかるけど、意味はある。明日ではなくても、これからだと思う」

ーー明日ではなくても、これから。道のりは長い、と。

ヤシンタさんの故郷・オランダでは、今年、環境NGO団体グリーンピースが北極で開発を進めようとしていたシェル石油に抗議活動を行い、シェルがグリーンピースを訴えたが、アムステルダム裁判所はシェルの訴えを棄却した。理由は、「北極開発は地球規模の重要事項であり、それに対して200万人以上の市民が署名によって異議を表明しているのにもかかわらず、シェルはその民意を無視して計画を強行するのだから、非民主的なシェルに対してグリーンピースが一定の損害を与える抗議活動をすることを裁判所は許可する」というものだった。
(『Dutch court grants Greenpeace right to stage peaceful protests against Shell』→http://bit.ly/QzYyPA)
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ヤシンタさんとともに、キャンドルの火が消えないよう見守っていた石塚道義さんは、神奈川大学を拠点に、人的ネットワークによる防災のまちづくりを提案する「防災塾・だるま」という名刺を持っていた。
(「防災塾・だるま」http://darumajin.sakura.ne.jp/)

「もとは官邸前でシュプレヒコールあげていたんですが、ヤシンタさんたちと知り合い手伝うようになりました。彼らは、海外のモデルグループで、リーダーのディーン(イギリス人)とともに東北の子供のサポートをしているんです。今日も300人くらいに声をかけていた。原発は、福島だけの、日本だけの問題ではないんです」と、灯りを絶やさないようキャンドルのメンテナンスをする。

2012年最後の反原発の抗議活動が終わった。原発は、選挙やエネルギーや経済問題などと一緒に語られることが多いが、まず、「原発=放射能」の問題を考える必要があると思う。チェルノブイリで、福島で、もっといえば、ヒロシマで、ビキニ環礁で、多くの被爆者と環境や食べ物の問題を生み出す「核への抗議」が必要では。「平和利用」という言葉に将来や判断を奪われた状態が、いまも変わらず続いていることを認識する必要がある。
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また、今回の選挙の結果、政党支持率15.3パーセントしか得ていないとの見方もある。そんな中で「国民的議論」結果の無視は許されようとしているのか。

(【図解・政治】政党支持率の推移(12月14日時事通信掲載)http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_pol_politics-support-pgraph)
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# by sasanoel | 2012-12-29 18:07 | 東京
下松出身の2人のカメラマン
12月22日、大森にある「キネカ」という映画館で、長谷川三郎さんの撮った映画『ニッポンの嘘 報道写真家・福島菊次郎 90歳』をみた。

菊次郎さん、霞ヶ関かどこかで見かけたことある気がするけど・・・その程度で、事前情報なし。ただ「報道ってなんだろうなぁ」と思いながら、映画をみていた。
映画で感じたことは、「福島さんのありかたそのものが、報道の人生だ」ということ。報道とは、福島さんの生き方を言うのだと。いま、彼を「すごい人」として尊敬するのでなく、超えてやろうとする図々しい人がいることが100倍大事だろう。この映画は、伝説の写真家の話とか、おじいちゃんの武勇伝ではいけない。芸術作品でもいけない。だってそれは今の社会の問題なのだから。菊次郎さんの映した世界そのものが、震災後のいまこそ、見直されなくちゃいけない「ニュース」だと思った。

(フェイスブックページ)
映画「ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎 90歳」
https://www.facebook.com/Nipponnouso


さて、きょうここは、個人的な想いにすぎない一人の友人のことを思い出してみる。菊次郎さんの育った、山口県下松(くだまつ)市。下松駅からすぐのところに、2010年の夏にがんで43歳で亡くなった女性カメラマン、山口ミカさんの実家がある。

ローマで活動をしていた山口さんがわたしにメールをくれたのは、2004年のアテネパラリンピックのあと。それから、何度かのメールでのやりとりをし、2005年にトリノへ行った時は連絡がとれたもののすれ違ってしまい、2006年のトリノ、2008年北京、2010年バンクーバーと3度のパラリンピックをともに取材した。
私たちNPOのメディアでは、障害者のスポーツが健常者のスポーツと区別され、スポーツとしての認識がきわめて低いと考え、障害者のスポーツの魅力が、区別される必要のないものであることを証明しようとしていた。でも、実際、取材対象は、カッコいいアスリートばかりだ。ステレオタイプな障害者像は一瞬でぐずれ去り、選手はただ普通の選手だった。競技をする上での苦労はあるものの、差別や貧困、生存の危機に関わるような問題ではない。スポーツの醍醐味を求めた楽しい取材だった。山口さんは、取材対象や仲間との交流への意欲が旺盛で、積極的に向き合い、亡くなるその日まで、被写体との公私ともの交流を楽しんでいた。

「ルポルタージュが撮りたい」と言っていた。四谷三丁目の土門拳ゆかりの現代写真研究所で学び、その時、下松の自宅で家族に介護される彼女のお爺さんにカメラを向けた。そのモノクロ写真が、彼女の最初のフォトルポルタージュ作品だった。ローマでは作家として風景や人物を撮りながら、ブライダルの仕事をして生計を立てていた。パラリンピックでは、競技の会場で見えたもののほか、障害者馬術や車椅子カーリングの競技撮影をした。もし今だったら、競技ではなく、誰か一人の選手にフォーカスした取材をしていることだろう。いやもしかしたら、スポーツはやめて、被災地へ行っているかもしれない。

バンクーバーパラリンピック前の2010年には、10年以上住んだローマを引き上げていた。がんが悪化していたが、大阪でバイトをしながら、一人暮らしをしていた。3月にバンクーバー取材から帰国したあと、治療のためと、下松の実家へ戻った。

8月、「佐々木さん、私、あと何日生きられるかわからないの。」電話をもらった。
少し前に赤煉瓦倉庫で展示した障害者馬術の写真のパネルを抱えて、私は徳山行きの夜行バスにもうひとりの友人と乗り込んだ。山陽本線の下松駅ではじめて降りた。山口さんの実家は駅からすぐのところにあった。徳山に泊まりながら、2日間で亡くなる直前のひとときを過ごすことができた。

「元気だけが取り柄だった私なのに」と、悲しげに笑いながら、優しく迎えてくれた。もう一人の友人は、山口さんの赤外線撮影による作品で(視覚障害の人と楽しむ)触る写真展をやるために、解説を録音していった。「私の写真で、素敵な企画を考えてくれてありがとう」と山口さんは友人に言った。
「本当は、写真というものが私にとって何だったのか、まだわからない」とも言っていた。「佐々木さんは、パラフォトはこれからどうするの?」と聞かれて、アジア大会の取材を考えていると話したが、それでどうするのか、何を伝えられるのか、本当はわからなかったが、そう言うしかなかった。山口さんのこの問いかけが、いまも私の中に解決しないままある。
私たちが帰った翌日に、お母さんからの電話で山口さんの死を聞いた。

菊次郎さんの映画の最後で、311の映像をみつめる菊次郎さんがいた。93歳で、はっきりとした意識でいまの社会を見つめている。体力が衰えるにつれ、ますます募る危機感に感性は若く、冴え冴えとしてきているのではないかと想像が膨らんだ。その見つめる瞳が、身体が思うようにうごかなくても、自分が撮影した写真から、懐かしい風景をくっきりと青い空や公園の木もれ陽の暖かさを思い出していた山口さんにも見た気がする。

同じ場所で育った写真家が2人。こんなことは、私だけにしか意味のない、偶然にすぎないけれども。菊次郎さんの90年に比べ、山口さんの40年はあまりにも短いのだけれども・・。山口さんの被写体への姿勢・・素早く、直接的に向き合う姿は、彼女が大好きなイタリア的なのか?と思っていたけれど、積極的にかかわる人や被写体と向き合う心のまっすぐさ、律儀さは下松的なのかもと勝手に思ったりした。

さて、来年はわたしも山口さんの年齢になります。

山口さんのフェイスブックページ
https://www.facebook.com/mika.yamaguchi.359778
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# by sasanoel | 2012-12-26 16:51
ネットワークビジネスの犠牲者? 幼なじみの親友へ
10年ぶりに再会した親友は、ネットワークビジネスに長いこと時間をつかってきたようだ。



「経済生活(=消費活動、物質)と、生活(=生きる活動、意識)は全く違う」とおもう。どちらも大切だし、バランスよくあることが理想だと思うけど、うまくいかない中で、どうするか、迷ったり、悩んだりしながら、自分だけのライフスタイルを工夫していくんだと思う。



心のどこかで不安が解消されないと、依存や、破壊的な行動に逃げようとする気がする。それは、自分のためとか、お金のためとかじゃなくて、家族や将来のためだったり、大切な人のためだったりすると思う。だから、まじめで素敵な動機と思う。



ただ、個人的なつながりや対話を、消費活動のための手段にしなければならないコミュニティビジネス、ネットワークビジネスの場面は、生きる活動に潤いを求めたり、友情を育もうとする場面とはかみ合うところがない。いれかえたり、同じ次元においてしまうと、本質を変えてしまうとおもう。


あたりまえだけど、友情(意識)を求める相手に、消費(物)を促すのはかみあってない。よわい自分にも大切な相手にも負担をかけることになると思う。それを重ねることは、単純に「被害者を生み出すこと」にほかならない。そうなった時に、相手の自己責任と言えるのか?。相手にもよる?(ササなら大丈夫とか~_~;)それは、お互いのふれあう心の領域を、いろんなものと一緒にして薄めてしまうようなものと思う。信頼が音を立てて醜くすり替わってしまうのがわかるよ。そこが一番大きな犠牲であって、被害じゃないかな。

私よりずっとアタマのいいあなただから、自分のしてることにも不安だと思う。
心が生きて行こうとしてるのに、自分のためにも周りのためにもならない勘違いな犠牲は無用とおもう。

どんなつらさも感じる心を育てることをやめようとしたり、いつか壊してしまったら、すでに得ているものも感じることができなくなるだろうし、あせって不安が余分に募ってしまうよ。この先、生きる心が育つばかりか、しまいには心を殺してしまうようだと、数字が大きいか小さいかぐらいしか、感情のサインをうけとれなくなってしまったりね。隣で心から笑っている人の真似をして、面白くもないのにつくり笑い・・なんてなっていたら、笑い方忘れてると疑ったほうがいいかもね。

どの程度の不安があるのかわからないけど、デイモスの花嫁(また、ふるっ!)じゃないけど、黄泉の世界に突っ込んでいる恋人に悪の帝国をつくろうと誘われて、やさしい恋人は相手を理解しようとしたり、希望をもとうとしたり、説得したり、自分のせいかと、悩むだろうね。つらいとおもう。

おなじように、生きる活動、意識寄りの活動を重視するあまり、宗教に救いをもとめて、経済生活をなくしてるのがオウムとかの現象だと思う。
オウムじゃないけど、何年かに一度、昔の同僚に勧誘される。断ると、「いいの?地獄に堕ちるよ」って心配してくれる。洗脳は明らかだから、こちらも心配して、つい話が長くなるけど。

自分を考えたら、宗教もお金も、けして無視できる身分じゃないのだけどさ。生き、生かしたいなら、まず自分の身を守ることだとおもう。

いずれにしてもね、そこに行き着くまでのことがあると思う。それは、私の考えつかないようなことかもしれないけど。いつか正直に話してほしいかな。

子供の頃のケンカや私の無邪気な意地悪にムカついたりがあったら、それも心して聞くし。こうして時間が経って、何でも話していい相手にあえるなんて、宝くじにあたるより稀だとおもうから、あらためて、いいつきあいにしたいね。

またね。よい一日になりますように。
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# by sasanoel | 2012-11-15 11:33
大分でも話題!「パラトライアスロン」
大分に車椅子マラソンを観にいったけれども、やはりこの話題をしないわけにいかなかった。

2009年・石垣で日本人ではじめて「パラトライアスロン」が開催され、出場したのは、廣道純(38歳・T53/8位)だった。
T53クラスはT54よりも障害が重いが、誰よりも尖っていたい廣道は、誰よりも先にこの競技に挑戦してみたかったに違いない。トライアスロンでは現状もっとも重いTRI1クラスになるのでは?とも想像する。遅ればせながら、石垣での感想を聞いてみた。

「3種目のそれぞれの垣根を超えた、文字通りバリアのない大会だった。老若男女が同じ時間、同じ場所で同じスポーツを楽しめる大会に、日本で初めて車いすでの参加が認められ、とても嬉しく思いました。
スイムはみんなより先にスタートし、バイク(ハンドサイクル)で抜かれ、ラン(車椅子レーサー)で抜き返す。健常者との争いが新鮮な感じで、とても気持ち良かったです。一人だけの参加という事で、クラス優勝とせず、総合で312位/1200人中としてくれたのもアスリートとしては嬉しかったですね。」
とのこと。機会があったらまた挑戦したい、とも。

廣道のコメントを聞いて思った。「パラトライアスロン」がパラリンピックの種目として確立することは大きなことだが、これまでのように、一般の大会に幅広い障害のあるアスリートが参加できるよう考えていくことも非常に大切だ。勝つためのワイルドカード的な要素がパラトライアスロンにはあるが、多くの挑戦者を受け入れることができるかもしれない。スポーツと人類の成し遂げる価値のある未来の姿に近づけるかもしれない。挑戦を評価するスポーツだからこそ、できると感じる。この廣道のコメントを忘れてはいけない。

副島正純選手
そして、今回の大分で、パラトライアスロンで応援したい選手が増えた。ロンドンパラリンピック4位の車椅子ランナー・副島正純選手(42歳・T54/7位、ロンドンでは4位)だ。
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「もともと、アイアンマンに出たいと思っていたんです。障害者もたくさん出場しているから、ロンドンが終わったらやろうと考えていました。パラトライアスロンは僕にとっては距離が短かい。トライアスロンへの挑戦の一つとして、リオをめざしてみたいと考えている。」
副島選手は、来年6月の五島トライアスロンに参加するため、1月よりトレーニングを始めるという。

また、日本でのパラトライアスロンは来年5月の横浜。世界シリーズはその前後で始まり、今年同様に、各地でのパラトライアスロンが開催される。リオをめざすかどうかを決めるためにも重要な機会となるだろう。

このほか、東京アイランドシリーズの新島・大島での大会では、日本で最初の視覚障害のガイドとなった金城雅夫氏がオフィシャルメカニックをしていることもあり、障害のあるアスリートの参加促進ができればと、可能性を模索している。

<参考>
■五島長崎トライアスロン
http://gototri.com/

■世界トライアスロンシリーズ横浜
http://yokohamatriathlon.jp/wcs/index.html

■東京アイランドシリーズ
http://www.mspo.jp/island/index.php



沖縄で、車椅子マラソンの練習はどうでしょう?!

石垣のパラトライアスロンの運営に関わった沖縄の下地隆之さんは、車椅子マラソンを指導しているが、もともとトライアスロンをされていたよう。
大分の「さかなや道場」で、沖縄組と夕食したときの話題の3分の1はトライアスロンの可能性を探る意見交換になった。城間だけでなく、岡山の木山由加(28歳・T52/ハーフ6連覇)にもトライアスロンを薦めていた。

ところで、この下地さんの担当する、「車いすマラソン競技スキルアップセミナー」が12月に宜野湾市で行なわれる。なんと、洞ノ上選手が講師! そして、2日間の車椅子レースの講習の翌日、ぎのわん車椅子マラソンも行なわれる。

ランを車椅子レーサーで参加する選手のための基礎トレーニングとして、12月、沖縄での「車いすマラソン競技スキルアップセミナー」に参加してはどうだろうか? 

そして、ついでに出れるものかどうかわかりませんが・・スキルアップセミナーでの練習後、ハーフマラソンに出場はどうでしょう?(甘い?・・汗。)

車いすマラソン競技スキルアップセミナー(12月7〜8日)
http://9srk.jp/jyouhou/topics_121207/index.html

第24回 ぎのわん車いすマラソン大会(12月9日)
http://www.marathon-fan.com/cms/event/461/
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# by sasanoel | 2012-11-02 21:03 | トライアスロン
大分2012
ちょっと後になったけれど、自分の覚え書きのためにも、大分国際車いすマラソンのことを書いておきます。

ロンドンから大分へ
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10月26日〜28日、ロンドンパラ後の大分国際車椅子マラソンを観戦するために、2年ぶりに大分へ。
26日午後、自転車を借りようと駅へ行くと、大分駅のまわりが再開発の工事中。ここも新しくなるのか。と、古くてもいいのにと、横浜人は思ってみるが、時の流れを惜しむ年柄(きかないで!)なだけかもしれない。。

とりあえず自転車を借り、お腹がすいていたのでMacで適当なものを食べながらFacebookをチェック。トップ選手も到着していて、河川敷かどこかで練習したり、くつろいだりしているよう。廣道純選手から「おかえりやす!」とのメッセージにはほっこりと嬉しかった。

夕方、沖縄から写真を撮りにくる比嘉さんと合流。彼には聴覚障害があるが、喋ることも、相手の口の動きを読んで会話することもできる。2年前バンクーバーパラリンピックでアルペンスキーを撮影した。冬はチェアスキーのトップアスリートらと交流があり、地元沖縄の車椅子ランナーやコーチとも親しい。車椅子マラソンの撮影は初めてだけど、いい写真が撮れるだろうと数ヶ月前から楽しみにしていた。

大分県庁で事前の情報収集。対応してくださったのは事務局の幸さん。
幸さんに、故・ルードヴィッヒ・グッドマン博士の娘であるエヴァ・ルフラーさんにロンドンの選手村でお会いしたときの話を投げかけてみると、親切に話につきあってくださった。
つまり、私たちパラリンピックファンになじみの深い「失ったものを数えるな。残っているものを生かせ」というグッドマン博士の言葉は、どうやら、博士が言ったというより、誰か日本人が意訳して伝わったものではないか?ということ。もちろん、その訳をした日本人は、故・中村裕先生なのでは? ということで・・・。

ちなみに、日本障害者スポーツ協会のHPによると、「失ったものを数えるな。残っているものを生かせ」の元の文章は、「It's ability, not disability, that counts」としている。直訳は「注目すべきは、できるかであって、できないかではない」という感じ。何にしても、これを「失ったものを数えるな。残っているものを生かせ」と訳したことは、多くの日本人アスリートを励まし、協力者やファンを増やした名訳だったと思う。

ロンドンが終わったいまだからこそ、パラリンピックがどこへ行くのか?日本のアスリートがこれからどうパラリンピックに挑戦していくのか?一緒に考えたい。「大分」が日本の障害者スポーツ発祥の地としてあるということを思いながら、今年も車椅子マラソンを観戦しようと思った。

27日・大会前日のウォーミングアップ

洞ノ上選手が河川敷でウォーミングアップをすると聞いて、レース前の選手の様子を観に行くことに。
朝9時すぎに宿泊拠点(ベストウェスタンフィーノ。選手も多く泊まっていたホテル)を出発して、大分市陸上競技場の駐車場へは自転車で10分程度。今年は大分市陸上競技場がトラックの張り替え中で使えず、レース1日前の練習も長い大分川の河川敷がメインの練習場だろう。待ち合わせより少し早めに着いたが、もう洞ノ上は来ていた。

同じ時刻に駐車場に来ていたのは、昨年の大分で優勝したマルセル・フグとデッドヒートを展開した樋口政幸選手(33歳・T54/11位)。レーサーの調整をしていた。
樋口選手は、「ロンドン後は道具からすべてを見直さなければと思いました。練習はトラックに専念します。」と言っていた。
トラックの練習がマラソンでの競技力をつけるということは、ベテラン長尾嘉章(49歳・T54/ハーフ8位)も言っていたし、樋口自身もそう思って練習を続けてきているが、ロンドン後は、より「トラックに専念する」ということだろうか。

沖縄から最年少の城間圭介選手(16歳・T54/ハーフ24位)とそのコーチ・下地さんたちが一緒にいた。城間は樋口選手のレーサーに乗らせてもらい、すごく嬉しそうだった。小さな城間にとってロンドンのトップアスリートたちは英雄。彼はそんな先輩たちに囲まれて3年目になるが、大分では最年少選手として注目されるラッキーボーイ。今年は目標の1時間をきってゴールした。

チーム・ホッキー
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洞ノ上浩太選手(38歳・T54/3位)がトレーナーの荻原さん、同郷の松本選手と一緒に身体を動かしていた。
洞ノ上のストレッチはすごく念入りだ。ストレッチの後は、レーサーの手入れ。大型ワゴン車の荷台には必要な工具がすべてそろっていて、移動工房のよう。全国どこのレースへもこれで旅しているのだろうな・・。自転車競技でも使用されるカーボンマジック社製のホイール、固いタイヤ。こだわりの準備も万端。

ロンドンのレースで、1着から0.53秒遅れで6着だった洞ノ上。かなりカルチャー・ショックだったようだが、やる気が萎えたりはしていない。大分も全力でぶつかっていく。
ロンドン後、「自転車チームのようなチームでのレース展開ができれば・・」と、模索していた。また、そのために日頃からチームを組んで練習したいとも。
ロンドンから1ヶ月半で、洞ノ上は大分へもう「チームメイト」を引き連れてきていた。ハーフで出場した、松本直幸(33歳・T33/クラス3位)、渡辺勝(20歳・T54/クラス6位)、田中祥隆(37歳・T54/クラス36位)の同郷(福岡)の3名だ。
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ハーフ初出場の田中は、元競輪選手である。昨年、震災前の3月にトレーニング中に大事故に遭い、T54の車椅子ランナーになった。なぜ車椅子陸上を選んだのですか?
「ハンドサイクルも試したけど、手の運動が中心となります。自転車は全身運動だったから、車椅子レースのほうがいいと思った。」田中選手は言っていた。彼の奥さんも、「競輪のとき以上に練習しているんですよ」と夫の回復ぶりを楽しみ、応援していた。洞ノ上にとっても、自転車を知っている田中が練習チームに来てくれたことは心強いことと思うし、田中も洞ノ上のガッツにつられて始めたというのも半分あるような気がする。

車椅子マラソンの強化体制について洞ノ上は、日本が外国に遅れをとってしまうことを強く感じていた。選手が競技の現場で感じていることは、とても切実だ。今に始まったことではないし、選手は伝えようとつねに努力を続けている。マラソン選手だけではない。他の競技でも日本の課題が深刻な状況にある。水泳の河合純一もロンドンの解団式で「想定していたことが、明らかになっただけ。3位と4位の差で、首の皮が一枚つながったかどうかということでしかないでしょう。」と、言っていた。
私は、シドニー、アテネ、北京、ロンドン、冬はソルトレーク、トリノ、バンクーバーを取材して、パラリンピックは大きく変わったことがわかる。あらゆる立場、角度からの考え方があるが、いちばんは選手の感性を頼りにしてきた。社会が選手の声を受け止め、変わっていく瞬間を見つけ、伝えていきたい。


大分国際車いすマラソン、当日

28日マラソン当日は雨が心配されていたが、雨上がりの夏日となったことには、ロンドンでのマラソンの日を思い出した。
結果からいうと、マルセル・フグ(スイス)圧勝だった。ニュースはすでにパラフォトに寄稿しているので、ぜひそちらで読んでいただきたい。

ロンドンのランナーが大分に集合! 第32回大分国際車いすマラソン明日から(10月27日)
http://www.paraphoto.org/2006/?article_id=865

マルセル・フグが圧勝!(10月28日)
http://www.paraphoto.org/2006/?article_id=866
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# by sasanoel | 2012-11-02 18:12 | 取材ノート
ソチへ、トレーニング中の東海将彦選手
パラリンピック・アルペンスキーの東海将彦(エイベックス・エンタテインメント所属)に会うため、10月18日(木)板橋のトレーニングスタジオを訪ねた。アメリカ留学時代から20年来、東海をみてきたパーソナル・トレーナー輪島節雄さんのオフィスにて。

これまでの経緯 「ケガとの闘い」

東海選手は、2006年トリノでパラリンピックに初出場。ジャイアントスラロームで銀メダルを獲得、スラローム4位、スーパーG5位と好調なデビューを果たした。
その後、バンクーバーを控えた2009年2月にカナダ・キンバリー(ノース・アメリカン・カップ)でのダウンヒル公式トレーニングで左足を骨折、シーズン以降、ケガとの戦いが今も続いている。

バンクーバーへ向かう2010年3月。東海のケガはようやく回復がみられ、代表チームの練習に復帰した。その矢先、バンクーバー直前のジャパンパラリンピック(白馬)で再度負傷し、傷を深めてしまった。
代表に選ばれていたバンクーバーパラリンピックは、治療の状況により結局現地へ渡航することができなかった。スキー競技ではケガはつきものなのだから心配ないだろうという見解だったが、この時、東海は骨折していたのだ。

「バンクーバー前のレースは、荒天や雪の状態でとても危険でしたが、パラリンピックに行くためには、出なければならなかった。結果、インスペクションで転倒し、さらにケガを悪化させてしまったんです。治療中でも現地へ来るよう言われましたが、それは無理でした。」

現在のケガの状況は・・・?

「だんだんと良くなっていると思うが、つねにケガをかばう形での生活が長くなっているため、滑りに影響が出ないよう注意して競技しています。ケガの部分の痛みはだんだんとれてきていますが、痛みをカバーしながら滑ることによる、左右のアンバランスさを修正する必要があります。まっすぐに滑ることができるよう、ジムで自転車に乗ったりもしています。 あと、全身の柔軟性と筋力アップ、敏捷性の向上などで体幹を鍛えるトレーニングを工夫しています。」
東海の場合、ケガは完治するということよりも、むしろケガの回復を図りながら、競技で勝つことをめざしていくことがダブルの課題となっているよう。


以前も道具の話をされていましたが、いまは何か重視している課題がありますか?

スキーブーツと情報の壁

「スキーブーツに関して、国産のレグザム社の協力で、自分のケガの状態を踏まえた濃やかなサポートをしていただいていますが、ブーツの高さに関しては競技規定の確認をする必要があり、どのようにできるか課題になっています。
ブーツの高さはFIS(国際スキー連盟)のルールで43ミリまでとなっているのですが、高さや角度に関しては、痛みを抑え、バランスの良いポジションを探るための重要な部分になります。そこでもし、障害クラスに準じたルールがあれば確認したいと思います。しかし、ルールについては連盟を通じてすることなので、選手が気軽にメールや電話でというわけにいかないです。」

実際の海外のレースで規定より長いのでは?というブーツを見かけることがあるという。しかしそれがルール上可能なのか規定違反なのかは、わからない。決まっていないのかもしれないが、問い合わせたり、交渉したりができているわけではない。

スキー競技では、競技中の多少の捻挫やケガはブーツでカバーできてしまうほどブーツの存在は大きい。FISは大きな大会の種目ごとに、スキーブーツの靴底の高さを見直している。
東海の怪我した足首に対応したブーツの改良は、競技の戦略上ももちろんのことだが、滑れる状態をつくるという安全面からも欠かせない。

少し話しはずれるが、スキーに限らず、夏・冬のパラリンピックでは、年々競技技術の向上とともに、競技用義足や車椅子の性能もあがり、用具に関係するルールや解釈に変化が生じることがある。その情報の中心は、やはり欧米の競技連盟や開催国の委員からであるため、日本チームにとって「言葉の壁」「情報の壁」をつくらないことが、戦略上の課題となっている。
先月閉幕した、ロンドンパラリンピックでも、日本の多くのアスリートや何人かのスタッフがその課題を明確に感じているようだった。

パラリンピック・アルペンスキーは、FISが各種目や用具のルールを定めているほかに、IPCアルペンスキーによる障害のクラス分けと3カテゴリー(視覚・立位・座位)の障害種別、程度別にハンディキャップ係数が定められている。係数については必要に応じて見直しが行なわれているようだから、スキーブーツに関してもFISのルールでは補えない部分に関する交渉の余地があるのではないだろうか?

アメリカでの合宿と台所事情

世界を目指すアルペンスキーヤーたちにとって、2012-2013年のシーズンは勝負の年。2014年のソチ(ロシア)の本番まであと1シーズンと少しだからだ。パラリンピック選手も同様11月からは欧米各地でIPC公認大会が始まり、そしてシーズン後半の2013年3月には、いよいよソチでのプレ大会が7日から開催される。

世界一と言われる日本のチェアスキーチームで、狩野亮(マルハン)や、東海を慕う立位の三澤拓(キッセイ薬品工業)、小池岳太(セントラルスポーツ)らも、そろそろオーストリアの合宿地に到着している頃だろう。
東海も、いちど9月に帰国し、10月末にはシーズンの始まりを迎えるため渡米する。今シーズンは世界ランキング16〜22位からのスタート。トレーニングは留学時代からのアメリカ。
代表チームと離れてアメリカで練習する理由は、ケガのための個別スケジュールが必要なことはもちろんだが、台所事情や、東海自身もIPCポイントを効率よく獲得していくことのできる競技環境が不可欠だ。ベテランの判断は幸いコーチからも信頼を得られているようだ。

「アメリカのスキー場は人工降雪機などでほぼ一年中雪上トレーニングができます。旅行代金もヨーロッパよりは安くてすみますし、アメリカでの練習で成果が得られることは後輩たちのためにも大事なことだと思っています。」

現在、パラリンピック・アルペンチームの選手誰もが自己負担で遠征費を捻出しなければならない。選手たちは所属する会社から給料や活動費の形で収入を得て活動している。東海も、バンクーバー後のシーズンからエイベックスに所属変えし、給料をつぎこんでリハビリとトレーニングをしている。
「エイベックスでは万全の体制でバックアップしてくれている。スキーブーツもスキー板も、メーカーの全面協力によりテストを繰り返し、迅速に、そして安全に競技ができるよう調整できる体制となっています。」と東海は言う。ケガを重ながら技術を磨き続ける東海の挑戦は、会社や協力メーカーによって大きく支えられている。だからこそ、費用対効果のある年間のスケジュールを組むことが東海には課せられていることだろう。

ちなみに今年8月に発表されたパラリンピックアスリートの実態調査で、自費による年間の平均強化費は144万円だが、アルペンスキーの場合、道具をそろえるだけで100万円が平均。年半分は海外でトレーニングする東海の場合、400から500万円くらいにはなる。他の競技とは比べ物にならない。


ソチへの意気込みは?

日本チームで戦うために

「今回は、ジュニアの選手が、アメリカに来る予定なんです」と東海は教えてくれた。
まだまだ少ないが、アルペンチームにも数名の日本代表をめざす若い選手が、トップチームとともに練習を始めている。本陣の合宿へも同行し、途中からコロラドへ渡り東海とともに練習、大会に出場するようだ。

「アルペンスキーは3カテゴリー制採用により、パラリンピック競技の中では参加人数も多く、メダルを獲得するのは容易なことではありません。でも、まだまだ自分には可能性があるものと信じ、競技に取り組んでいきます。
競技環境で日本は世界に遅れをとっていると痛感します。それに相反するように、海外の強化はものすごい速度で進んでいるようにも感じますが、選手個々が危機感をもって、もう一度ここで仕切りなおして、集中していけば、ソチでも日本チームは輝けるはずです。」

いよいよ、ソチへむけての最終段階が始まろうとしている。アメリカ、ヨーロッパ、長野と日本チームの視野は世界へ向けられている。その一極にいる東海は、一等星の輝きで変わらないエネルギーを放っていた。


10月18日(木)板橋:スポーツトレーナーズグッディにて

★この記事は「パラフォト」に掲載したものとほぼ同じものです。トレーニングの様子の写真はパラフォトのサイトからどうぞ。※現在パラフォトのサイトはロンドン仕様になっていますので、この記事は右横のリンク[Paraphoto Home Page]からご覧ください。
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# by sasanoel | 2012-10-21 16:42 | スポーツの前後左右
挑戦すること、挑戦をあきらめないこと。江戸前トライアスロン観戦の1日。
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先月末の横浜パラトライアスロンでお会いした金城雅夫さん(64歳)が来るというので、10月14日(日)、江戸前トライアスロンに、ロンドン5位の江島大祐選手(アテネパラリンピック銀メダリスト)と一緒に観戦に行く。横浜を取材して以来、何かと気になる「パラトライアスロン」。記念品をもらうために首相官邸に招待された選手たちの間でも話題になっていたらしい。

金城さんは、トライアスリートとしてハワイのアイアンマンレースを2度完走し、コーチとして、自転車のメカニックとして選手たちと長く関わってきた。日本盲人マラソン協会の創設者・故杉本博敬氏とともに日本ではじめてガイドとしてトライアスロンに出場した人物でもある。
この日の江戸前トライアスロンには、井内菜津美選手(陸上1500mなど出身、B2)のガイドをする予定がドクターストップ。2名の助っ人に任せて愛車(タンデム)とともにメカニックで参加した。結果は、スイムの段階でタイムオーバーで失格だった。
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一方、3歳から水泳をはじめ、左半身麻痺の障害者となってからはパラリンピックに向けた水泳に没頭してきた26歳の江島大祐選手はこの日、京都から上京して江戸前トライアスロンを観戦した。
ロンドンで、パラリンピックで江島が出場したS7クラスには、S8(S7より障害が軽い)に近い選手が現れ、努力しつづけるための大きな壁が立ちはばかっていた。意識面では日本水泳チームでのこれからに課題が山積している。江島は着実に流れる時を見据えて、ロンドン後の1ヶ月モラトリアムの時期を過ごしている。正真正銘、ベテランパラリンピアンの江島選手に、であう好奇心旺盛なトライアスリートたちは誰もが興味津々なようす。金城さんもいろんな人に紹介していた。

長い間、トップの練習を積み重ねてきた専門種目を生かせる、リオにつながる「パラトライアスロン」の情報に、目がいくのはもっともだと思う。多くの陸上・水泳のパラリンピアンにとって、ワイルドカードにうつるだろう。
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金城さんにフェイスブックで伝えてみたところ、すぐに返事があった。「何かサポートできることがあれば、パラトライアスロンのことなら何でも」とのことだった。パラトライアスロンを観戦する理由はいろいろあるけど、金城さんやその周りのアスリートたちの強くて優しくて、おおらかな雰囲気がきにいったからだと思う。


ライバル
これまで、障害のある選手は一般のトライアスロン大会に出場してきた。それが当たり前だった。前回横浜で2位以下を大きく引き離し優勝した古畑俊男はもちろん、ロンドンの自転車で銅メダリストとなった藤田征樹は、トライアスロン出身の自転車選手。怪我をして両足義足となってからもトライアスロンをあきらめたことはない。ほかにも、一般のトライアスロン大会にはさまざまな障害のある選手が参加していることだろう。そうした選手にとってもパラトライアスロンはやはり、世界につながる切り札だろう。
そうなら、やはり、挑戦してみるのが、トライアスリートそのものじゃないかと。新しいクラスで、勝てるかもしれない、世界へ行ってみたいという人々が集まり、おそらく来年の横浜には多くの国内選手がエントリーすることと思う。どのくらいいるんだろう。でも、リオをめざすなら、国内大会ではなく、パラトライアスロンの公式大会をみつけ海外遠征は必要だろうと思う。


パラトライアスロン
「パラトライアスロン」は、2016年リオデジャネイロのパラリンピックでの正式種目と決まった(2010年)。日本ではそのプロモーションで2009年に石垣島ではじめて開催され、同じ年に横浜で開催され、その後館山でのデュアスロンを経て、先月末、横浜での大会が行なわれた。国内ではまだ形になるまで時間がかかりそうだが、20日からオークランド(ニュージーランド)で開催される世界大会のファイナルで行なわれるパラトライアスロンには、190人のパラトライアスリートがエントリーしているという。

<パラトライアスロンのクラス分けについて>
来日したITU(国際トライアスロン連合)会長は、リオでの競技を成功させることが、パラトライアスロンがパラリンピック種目として定着するための課題として、世界中で開かれるITU主催の世界大会でパラトライアスロンの開催を進めている。つまり、全国全世界でトライアスロンが開催されているが、パラリンピックに対応した大会は限られている。
パラトライアスロンのために、ITUは専門の担当者をもうけ、IPCの陸上、水泳、自転車の担当者とそれぞれ協議を重ねているという。現在以下のようなクラス分けで行なわれているが、実際やってみると、不具合があるようだ。

現状のクラス分けは、以下のとおり。(JTU)
でも、これをみて自分がどれにはいるのか?江島選手自身あいまいな印象だったよう。

TRI 1 対麻痺患者、四肢麻痺患者、ポリオ、両足切断などで下肢を失った人
TRI 2 膝上から下肢を失った人を含む高度の下肢障害(=山本篤)
TRI 3 多発性硬化症、筋ジストロフィー、脳性麻痺、両下肢切断あるいは複数肢の麻痺を有する人(==藤田征樹? 江島大祐?)
TRI 4 麻痺や障害などで肘上から、あるいは肘下から上肢を失った人、腕障害または両上肢の障害を持つ人
TRI 5 膝下から下肢を失った人を含む中程度の下肢障害(=佐藤真海)
TRI 6 視覚障害者。最も補正された[=矯正]視力が20/200の人

ITUでは、今後この暫定クラスを統合し4〜5クラスにするとのことだが、スキーの3カテゴリー制のようなハンディ制などにでもしないかぎり、クラスの統合はまったく公平なものにはならないはず。国内にはまだ情報がない。
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<参考>
4月からのシリーズ最終戦、オークランド(10月20日から23日)
パラトライアスロンには190人がエントリーしているということ。
http://auckland.triathlon.org/athlete_info/paratriathlon/

リオへ動き出したパラトライアスリート(9月30日・Paraphoto)
http://www.paraphoto.org/london2012/report/article/?id=923

第2回江戸前トライアスロン
http://www.mspo.jp/tokyo-edomae/
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# by sasanoel | 2012-10-15 16:30 | トライアスロン


被災者も非被災者もともに平和で楽しく暮らせる社会をめざして。2011.03.11 ご連絡、記事についてのお問い合わせ、取材依頼は筆者までメールで。sasanoel@gmail.com
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