金曜日の夜、首相官邸前で抗議する人々
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10月12日(金)、18時より首都圏反原発連合主催による首相官邸前で反原発のデモが行なわれ、76週目になるという毎週金曜日の抗議行動に仕事帰りの会社員や主婦、家族連れなど地元都民のほか、今回は、原発が立地する各県からの参加も多くあった。

昨年の夏、私は脱原発6万人パレードに石巻の人々とあるいて、デモの会場は1年以上ぶりになる。1年以上、つねに市民の抗議行動は続けられてきた。主催者は当時とは変わったが、参加する人々の顔ぶれは同じような気がする。11月11日の100万人への呼びかけを目標に、場作りを絶やさないようにしている。もしここでの抗議がなければ、福島や全国の各原発立地の人々はどんなに心細いだろう、と想像する。
発信側からの「脱原発」という言葉は消え、「反原発」とはっきり銘打っており、それだけ、切実なものを感じた。人々は、白い風船を手に長い列で抗議を続けていた。
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首相官邸前の交差点のまわりだけで、十人以上、すぐ近くにも10人以上の警官がにらみをきかせていた。
19時15分、「誰か首相官邸に抗議したい方いませんか?」という主催者からのよびかけに、いざとなると希望者は少ない。ブラックリストに載るのが怖いのだろうか。しかし、2名の海外在住者が、マイクをもった。そのうちの一人は、
「ニューヨークから、母の法事もかねてきました。選挙で変えないといけない。いつも選挙民がこれだけ声をあげても変わらない仕組みがいけないと思う」と訴えた。
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主催者の男性は、「のぼりなどはやめて、運動のイメージをなくし、誰もが参加しやすいよう配慮しています。今回、市民からの訴えに、鳩山さんが来てくれたりもした。10万人が集まったときは、新聞各社も報じてくれた。手応えはあった。ただ2時間のシュプレヒコールは正直つらいかもしれない。ジャーナリストが話したりもしたが、何かもっといい案はないですか?」と話していた。

「たくさん来て、集まっている」と主催者はいう。だから、人を集めるという目的は達成できたという。たしかに、1日10万人、100万人と集まればすごい数だ。あとは集まった人で原発を止めるというか、社会をなんとかしないといけないが、意志をもって集まった人でどうしたら社会を変えていけるのだろうか。
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<震災後の反原発市民の動き(大雑把すぎるかもですが・・)>
2011年3月11日後
原発をめぐる市民の動きは、東日本大震災による東京電力福島第一原発事故により大きくふくれあがった。
新世代のデモは、これまでのイメージを払拭する新たなものになった。原発事故や放射能汚染の被害を心配する多くの若者が参加し「パレード」とも称されていた。デモ隊の脇の沿道では出店や行進を応援する人々で賑わっていた。警察官が出動し、逮捕者が出ることもあったが、無防備な市民がほとんどで、警官による不審な逮捕はYou Tubeに投稿され、批判の的になった。

2012年1月
今年1月、脱原発世界会議が横浜で開かれ、世界中の原発や再生可能エネルギーをめぐる動きが多くの市民に紹介された。主導したのは、国際環境NGOで、原発立地県の反原発のリーダーから歴史と現状が報告された。また、東北からの報告をもとに、日本全国から市民団体が参加し、問題解決の糸口をさぐる話し合いが行なわれた。日弁連の河合弘之氏は、日本で過去54基の原発建設への訴訟裁判のやり直しをすべきだと訴えた。

2012年5月〜
そして、そのなか、全国にある54基の原発は、定期点検のため今年5月に全てが停止した。
その後、国民の8割が反対する中、6月、政府は大飯原発(福井県)3、4号機を再稼働を決定した。7月からの稼働にむけ、首相官邸前での市民デモは10万人にふくれあがった。しかし、多くの国民の声を無視するかのように、大飯原発は最稼働してしまった。

**

現在
昨日のニュース。静岡県にある浜岡原発の再稼働の是非を問う16万人の住民投票への条例案が11日の県議会で否決された。住民は原発を止めろというのではない、まず最稼働するかしないかを住民投票したいということなのに。その権利をうばってしまった。この国で主権を持つのは国民ではなかったのか?ここ日本で、数日前に本当に起きたことで、強烈なニュースだった。

なぜ、市民の原発反対への声は反映されないのか?

これから選挙があるといっても、全体をみて投票するとなると、反原発への視界はぼやけてしまうかもしれない。でも、原発をめぐる立案や方法については、このさい議論を重ねて、はっきりと打ち出して欲しい。都合のわるいことをぼやかすことができる体制のなかでは、他の多くの問題についても対応を任せるのはちょっとむずかしいんじゃないかと。

<参考>
11.11反原発1000000人大占拠(首都圏反原発連合)
http://coalitionagainstnukes.jp/?p=1275

震災後のデモについて 柄谷行人さんのHP
http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-64.html
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# by sasanoel | 2012-10-13 04:11 | 東京
いわきから届いたカツオ
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古い知り合いから、いま届いたばかりのカツオ。しばらくぶりの音信で、電話してみたら、どうやら水揚げは福島じゃないらしい。漁場は一緒だが、福島で水揚げされると売れないらしい。放射能検査は今厳しくやっているのだが・・とのことだが、水揚地を変えることで対処しようとすることが、よけいに風評被害も大きくし、漁業者の信用をなくしているような気がする。

乱獲の問題は日本の漁業者の採り過ぎの問題と思っていたが、話によると、フィリピンや中国からもきて、やはり、まだ小さいうちから採ってしまうのだとのこと。

人間は、自分たちの生活の糧をどうしていけばいいのだろう。
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# by sasanoel | 2012-08-04 11:29 | 福島
石巻、被災した港で、歩き始めた人々とともに
震災から1年目をすぎた頃、石巻の港で水産加工会社を経営する高橋英雄さんの会社を訪れた。

練り物を造り、120年になる老舗は、昨年3月11日の震災で8ラインあったすべてが津波の被害にあった。高橋さんは、従業員約80名を全員解雇せざるを得ない事態を迎えた。

始めるに時があり、止めるに時があり、止めるのを止めるのに時がある。時代の大切なメッセージを受けとめ、危機を乗り越える必要があった。

およそ30年前、現在3代目になる高橋さんは、食品添加物を使わない製造を決意をし、本格的な無添加の製品作りをスタートさせた。量産の時代、横並びの競争社会に終止符をうったことでもある。以来、顔の見える人の口にのぼる、安全で、美味しい食べ物を作ろうと、挑戦を続けてきた。

30年前といえば、石巻市のとなりの女川町にある女川原発の建設差し止め裁判が、原告側の主張を退けた頃でもあり、高橋さんは反原発の側で意思表示をしていた。

添加物も、放射能も、東京電力福島原発の事故がおきてしまったいまは、深刻な環境汚染源として同様に危険を認識できる。自覚できないうちに、身体を蝕む。ただちに危険はなく、便利であるがゆえに市場の可能性が高い。食品添加物の問題は、低線量被爆とも似ている気がする・・。


現在の仮設魚市場からすぐの川口町に高橋さんの会社の本社工場はある。
昨年3月11日の午後2時半すぎ、工場はその日の製造を終えていたが、多くの社員が社屋の各部署にいた。地震の大きな揺れのあと、外へ出ると、社屋の前にあった電気屋さんのビルが無惨に倒壊していた。点呼をして、それぞれ津波に備えて避難した。社員の中には、家族のもとへ車で向かったお母さん、お父さん、連れ立って逃げた若い人たち、荷物をとり、火の元をとじて冷静に避難した人もいた。

何人かは、頂上に零羊崎神社(ひつじさきじんじゃ)のある牧山へ向かい、その途中にあるコンクリート会社の敷地内で一夜を明かした。工場へ戻る道は胸までの高さの波が滞留し、国道は塞がれていた。夜は雪が降り、逃げて来た人々らとドラム缶にくべた燃料を燃やして暖をとった。知り合いや初対面の人と車の中で寒さをしのいだ人もいた。それぞれの被災状況はみな違うが、一番大切な人の安否を気遣いながら、一緒になった人との思いがけない時間を過ごした。
翌日から、山の中腹にあるトンネルを抜けて不動町から稲井のほうへ抜けるなどしながら、家族のもとへ徒歩で帰るのに、誰もが1日から数日はかかった。

幸いなことに、あとになって社員約80名全員の無事が確認できた。しかし、社員の家族や親戚の多くが犠牲になっており、いまだに見つかっていないという人もいる。
もうダメかもしれない。たくさんの人の生活をにない、先代から受け継いだ会社が終わるのかもしれないという最悪の事態をむかえていると、高橋さんや経営陣の脳裏に浮かんだ。社員は全員解雇を言い渡された。意義を唱える気力のある人は皆無だった。

その後、地震保険が適用されることになり、補助金を申請したりと、どのような形でか会社を再開できる希望が見えて来ると、高橋さんはその希望を目の前の現実として向きあった。家族と離れ、牧山の社務所に集まった避難者たちとともに生活をはじめるなかで、社員のうちの約20名に、再雇用を呼びかけた。

本社工場と、第2工場では、泥の書き出し作業を手伝う取引先や、県外からのボランティアが駆けつけ、再雇用を呼びかけた社員とともに毎日の清掃作業を担ってくれた。「変わりたい、変わらなくては」という想いを抱きながら、恐ろしい数のハエや腐った魚の臭いにまみれながら、会社と、自分自身のあらたな姿をもとめた。
再建に向け、心を開こうとする高橋さんに、大きな支援の嵐が巻き起こっていた。高橋さんの息子たち、経営を支える役員、再雇用となった社員たちも、ともに歩みはじめた。
すべてを失ったかのような状況から、残ったものを確認し、磨くことのできる魂を、高橋さんは見つけたのだろう。


初夏、石巻の人々で活動する「原子力発電を考える石巻市民の会」が集会を開くと、高橋さんも参加するようになった。

東北大学在学時代に三陸の海洋環境を専門に学んだ、湯浅一郎さん(NPO法人ピースデポ代表)による石巻での講演会『福島原発震災から三陸の海の放射能汚染を考えるhttp://sasanoel.exblog.jp/14414202/』では、石巻・女川の漁民たちとともに参加した。
この講演会を企画したのは、かつて女川原発建設差し止め訴訟の原告団のひとり日下郁郎さんで、30年間変わらない意志で、原発反対を唱え続けた全共闘世代。高橋さんとはほぼ同世代で、津波で近しい人々4人を亡くしていた。

筆者のことになるが、叔父や叔母、従姉妹たちを訪ね3月下旬に石巻市不動町を訪れてから、ずっと、女川原発に近い石巻の人々が、大きな津波の被害にあい、原子力発電所とどう向き合おうとしているのか、知りたかった。それで、日下さんの企画にアクセスしたことが、高橋さんにも会うことになった私の経緯である。

そもそも、わたしは不動町や旧北上川の岸辺、駅ぐらいしか石巻を知らなかったから、もともと港に何があったのか、わからない。何もなくなってしまった女川の街の跡を見ても、古代遺跡を見るようで、ここに昨日まで人の暮らしがあったとことを、どのようにも想像することができなかった。

石巻で、知り合いになった方々をお訪ねして、ブログへの取材にご協力いただいた。被災した方々に会うという目的以外にはなかったが、多くの被災した人が胸の内から少しだけ取り出して話してくれた。何がふつうなのかわからなくなるような体験をした人々と、これからは、時間の意味を考えてともに過ごしたい。どのようなことを希望として生きているのか。また、別の場所での自分の取材活動が被災地の人を視野にいれたものでありたい。

震災から2年目を歩こうとする高橋さんの会社。
地盤沈下のため、雨が降ると周囲はプールのようになる。がれきは集約されたが、一向に片付くことがない。居住制限区域に指定された高橋さんの家を含め、周囲に人のすむ家はなく、多くの建物も残っていないため、ガランとした荒野に、残された社屋がある。そこに、25人の人々が、あらたな営みをはじめていた。
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# by sasanoel | 2012-07-04 23:37 | 東北
さくらワークスで石巻ランチ会
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久々、かつ、今更の更新となります。
4月16日月曜日、昨年石巻の花見で知り合った友人の共同オフィスでもある、さくらワークスにお邪魔してきました。石巻産の食べ物をいただく「ランチ会」があるというので。

主催していたのは、K2インターナショナル(本部/横浜市磯子区)。
運営者の岩本真実さんは、ニートやひきこもりなど、自立に悩む若者たちを支援していた。震災のあった昨年4月、宮城県石巻市への復興支援活動にK2で支援を受ける若者といっしょに参加した。この時、支援される側にいた人が、支援する側になるという体験をしたという。ランチ会は、このK2の活動を知らせるものだった。
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K2では、震災後の昨年4月より石巻への支援活動に参加。現在、渡波地区にK2ハウスをもうけ、長期滞在しながら、がれき撤去や地域の御用聞きなどで、仮設住宅や老人ホーム、小学校等に訪問し、交流、就労体験などを通じて人と人のつながりを求めた活動を行なっている。

この日、さくらワークスを訪れていたのは、ソーシャルビジネスに関心のある人々や市役所を退職したプチ市民活動家など。昼休みの時間帯でもあり、地元の人々が多く集まっていた。
ランチ会であって、石巻の食材で作られたお弁当やお寿司がたくさんならんでいて、会費は800円。40人くらいの参加者が思い思いに手を伸ばし、おなかを満たしていた。K2の利用者らしき人にはあえなかったが、石巻に創刊されるという石巻経済新聞の記者をするというライターの方にお目にかかった。石巻の出身である。

K2インターナショナルの「石巻復興+若者支援プロジェクト」は、人と人の一過性でないつながりを求めてこれからも続けられるとのこと。

石巻震災復興×若者支援プロジェクト
http://nw.k2-inter.com/ishinomaki/
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・・・と、ただ石巻のランチにありつこうと潜りこんだところが、東京新聞さんも取材していたようで、新聞に使われた写真に写ってしまった(汗)。。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20120417/CK2012041702000113.html
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# by sasanoel | 2012-04-20 21:08 | 横浜
まだ終わっていない、福島の動物たちの避難生活 寄稿:田中綾子
以下は、先日、一時帰国し、福島を訪れたアメリカの田中綾子さんからの記事と写真。

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震災から1年。当時は人間と同じくペットを探せ!という話題もあった。各地にも獣医師会などが中心となって立った救援本部があり、シェルターも設置されていた。
幸いなことに、宮城や岩手の本部は解散するまでに至り、動物たちは次の行先を見つけていった。(譲渡、民間団体への移動、里親など)そして残った仕事は飼い主探しといったところである。
しかし、一か所だけ、いまだに動物たちがシェルター暮らしを続けている県がある。それは、原発により被災した、福島県。
福島県には福島県動物救護本部(福島県、郡山市、いわき市、(社)福島県獣医師会、福島県動物愛護ボランティア会により構成)が災害発生当初よりたっており、被災動物の受け入れを続けている。
http://www.pref.fukushima.jp/eisei/saigai/kyuugoindex.htm
現在救護本部のシェルターは2つあり、1つは飯野町、もうひとつは三春町にある。
まず20キロ圏内から動物が救出されてくると、飯野町のシェルターでガイガーカウンターを使って被ばく度を確認。その後、除染と健康チェックをへて、飯野町か三春町のシェルターに収容する。
シェルターには現在、犬(多くは大型犬)と猫が合計約300頭いる。このうち数頭は飼い主不明で保護している状態だが、大半には飼い主がいる。彼らがシェルターにいる理由は、家族が避難先にいるため、ペットを飼育できないためだという。
でも、多くの飼い主は「いつか自宅に戻れるのではないか」という望みを捨てておらず、手放したいとは思わない。また、ペットは「所有物」であるため、勝手にほかの人に引き取ってもらうわけにはいかず、シェルター生活が長期化している。

シェルターでは1頭1頭が少しでも快適に過ごせるよう、工夫がされている。犬は場所のあるかぎりではケージを使わずにたてつけの小屋に住んでいて、寝るスペースと日中を過ごすスペースがしきれるようにもなっている。猫はいわゆる3段ケージのようなかたちで、いくつか部屋の中に段がつくられていて、上り下りをして遊べるようになっている。
それぞれは1頭ずつでくぎられているため、ほかの犬や猫(同じ家族から来た子を除く)とすごしてストレスを感じることもない。
現状ではこれらのスペースに入りきらず、廊下のあいているところにケージをおいて対応している犬猫も数等いる。
犬の運動は散歩か、ドッグランでの遊びで行っている。

彼ら動物たちを通して、家族の声が聞こえてくる。「早く一緒に住みたいよ、おうちに帰りたいね」

あるボランティアに聞いてみた。「どうしてここでボランティアをしているのですか」
答えは次のように帰ってきた。「私はここが地元で、被災しなかったから、同じ福島でも近くで被災した人たちのために少しでも役に立てればと思って。。。」

職員のひとたちの熱意や努力によってこのような施設ができあがっているが、こういう善意もなければ動物たちが生活していくことはできない。

昨年の3月におしよせた善意の波。ボランティアという言葉を聞かない日がなかったのではないかという日常。今でも、必要とされている場所があるということをこのボランティアの声で、痛切に感じた。

震災、いや、「人災」はまだ終わっていない。原発問題が解決されなければ、動物たちも避難生活が続く。今後もボランティアを含め、長期的な支援が必要だ。
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# by sasanoel | 2012-03-11 17:01 | 動物
エネルギー、日本の中立で平和を呼びかけられるのかも
28日に掲載したものの、タイトル、記事を少し修正しました。

なぜロシアのLNG提案を再考しないの?

先日の脱原発世界会議で、弁護士の河合裕行さんは「放射能よりCO2がまし」といいました。確かにと。しかし、実際は日本の電源へのビジョンが混沌としている。環境問題(自然科学に関わること)・エネルギー問題(市民生活に関わること)・人権問題(モラル、生存権にかかわること)・経済問題(既得権益の解消、雇用促進、輸出入などのこと)などが混在しているようにみえる。
戦後の日米関係を引きずる政府への不信をベースに、原発輸出への疑問、8割をこえる脱原発指向、TPPへの疑問など、政府はもっとも見つめ、大切に議論、説得しなければならないはずの国民の声を無視したK.Yな演説ばかりが、連日テレビで報道される。主流なテレビはほとんど国営放送としか思えない。北朝鮮でも中国でも、こんなに国民に浸透した国営放送はないんじゃないか?と冗談ではないが・・・。

311の震災後すぐの、ロシアからのLNG供給の提案は、単純に、ロシアにとっての経済的生存のための好機だったからだと思う。チェルノブイリの事故後の流れを経験しているからさすが早かった。
いま日本の脱原発は、火力発電を推進していきたいけれど、紛争などを理由にロシアの申し出を積極的に検討しているという話はあまり聞かない。そこにきて、アメリカとイランの対立。
日本にとって、イランもロシアも、アメリカの事情でなく日本の脱原発には重要なのでは。

震災発生時のロシアの提案に積極的でなかった理由は、アメリカの「シェールガス」の活用についても検討していたのではないだろうか。ロシアの申し出以外の代替エネルギーの選択肢が他にもあったということでは。

アメリカで1970年代から採取されてきたシェールガスは、すでに水圧破砕法による水源地の水質汚染の現状が報道され、アメリカのエネルギー政策とそこに関わるブッシュ政権時代の人々の利害関係があきらかになった。明らかになったことは伏せておいて、日本では原発に代わる、エネルギー革命と報じられた。
もうシェールガスの選択肢はないと思うが、アメリカの対日本政策は、高度情報化時代の現状も無視して、とりあえず日本に対する主導権を握れるものに対しては握っておくというような話になっているんじゃないだろうか。

1)ロシア
震災後、チェルノブイリを経験したロシアはいち早く日本への手を差し伸べた。ロシアに豊富にあるLNGを提供したいと。しかし、日本は積極的にこの検討を進めているのだろうか?

「ロシアの天然ガスと日本海経済圏 物流急増で成長エンジンに」(2011年12月15日 サンケイビズ/北畑隆生 兵庫県出身・08年経産省事務次退官)
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/111215/mcb1112150501000-n1.htm

記事にもあるが、本当のところを確かめて、このルートを模索するあらたな電力ベンチャー企業活動があってもいいと思う。リスクの取り方ではないだろうか。政府の理解や支援が少しでもあればいいと思う。

2)イラン
日本は現在、イランから石油のほかにLNGも輸入している。イランからホルムズ海峡をとおる日本行きの燃料タンカーは、1日28隻、うち5席が日本へいく現状(NHKニュース深読み)。
イランと日本の国交関係は正常で、欧米の動きに従いイランからの石油の輸入をやめる理由が欧米に賛同するという理由の他日本にはない。ちなみに中国はイランからの輸入を強め、燃油をめぐって世界を二分しているかのようにいわれるが、ロシアルートを忘れていると思うし、大事なことは、日本が世界を二分する列強の思惑のいずれにも過加担しないことにより、中立による平和を呼びかけることではないだろうか。

いま、脱原発の方策として「放射能よりCO2」を持続可能エネルギーとなるまでの移行期間の代替エネルギーとして採用するため、あらためて石油+天然ガスの確保が必要という話も出ているのかもしれないが、原発を止めるかどうかの問題とリンクさせるまでもなく、イランの石油とLNGがもっとも安定しているし、日本は現状維持できれば十分すぎなのだと思う。


3)アメリカのシェールガスはダメで、結論は?
一方、「エネルギー革命」といわれ、脱原発の方策として浮かび上がったアメリカの「シェールガス」について、池上彰さんも代替エネルギーとして注目していたが、開発過程で生じる水質汚染が、アメリカ全土を襲う公害問題であることを知り、これはいけないと思った。

アメリカ政府は、日本国民のアメリカ依存を増やすことで、実質的な自立を妨げようと必死なのかもしれないが、日本人はアメリカ政府や政策に関連するバイアスを排除して、いまあらためて日本人として自立した考えを示し、世界の中の日本の位置づけを表明できる時期にきている、そうしなければいけないのでは?と思う。

まだほかにも天然ガスや石油のルートはあるのかもしれないが、石油ルートのメインはイランでいいと思うし、脱原発の方策としてLNGを増やすルートはロシアでよいと思う。いずれはどちらの資源も減らしていき、再生可能ネルギーの開発に移行していくことと思う。

TPPに参加するのかどうかは、あやしげな公益団体や政府が推進するのを見ていると心配で、実際のところはよくわからない。というか、勉強が必要。

上記は、昨日から今日までに考えたこと。
最近知ったことをおおざっぱに書き連ねているだけで、ひとつひとつについてはこれから調べていけたらと思う。

<参考>
BSドキュメンタリー「ガスランド〜アメリカ 水汚染の実態」
自然エネルギーとして原発(核)に代わると池上彰も注目していた「シェールガス」の水質汚染に関する実態に関する驚くべき報告を見た。2010年イギリスの制作、日本では同年12月に放送され、11年7月と12年1月に再放送されている。

<番組のあらすじ>
「ガスランド~アメリカ 水汚染の実態(前編)」
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/101213.html

「ガスランド~アメリカ 水汚染の実態(後編)」
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/101214.html


「シェールガス」の採掘地で水圧破砕法(フラッキング)よっておきる水質汚染で、アメリカの多くの水源が失われている。アメリカでは多くの家庭の水道水に火がつき、それを水を飲んでいた人々に深刻な健康被害が起きている。
それなのに、2005年にはブッシュ政権のチェイニー副大統領は「エネルギー政策法」で、シェールガスの開発を「水質浄化法(1972)」・「安全飲料水法(1974)」の対象外とした。チェイニー副大統領は、95年から2000年までシェールガスの大手開発会社ハリバートン社の元代表取締役、その後も筆頭株主。彼のことをウィキペディアでみると、彼のリバートン社在任中に同社は湾岸戦争とイラク戦争で大きな利益を得ていることが書かれている。
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# by sasanoel | 2012-01-29 11:35 | 反原発
撤去要求の日を迎えた、経産省テント前ひろば
1月27日(金)17時に撤去が予告された、経済産業省前の原発反対の抗議テントは、昨年9月11日の経産省包囲をきっかけに、4ヶ月にわたり設置されてきた。同日、17時前後、テント活動を支援する市民700人の人々が集まり、活動者たちの声を聞いた。

現地へ行けなかったが、中継で記者会見と集会を観た。
署名をすることだけで終わらせることができないと感じた人々が、集まった。


<参加者>
最終発表時の参加者、750名
終了時の中継視聴者 
 ・IWJ 5200人
 ・ニコニコ動画 29500人
(ライブで参加した人の合計 35450人)

120127経産省前テントひろば撤去反対集会(IWJ)
http://www.ustream.tv/recorded/20033948

120127経産省前テントひろば記者会見 (IWJ)
http://www.ustream.tv/recorded/20031597

経産省前テントひろばHP
http://tentohiroba.tumblr.com/


以下、テント前で話す市民の声を抜粋。

80歳の佐久間さん
2月11日で満81歳、横浜在住。集まった人々に、つぎのような活動の経緯を話した。
「私は、雇用に関する国政への交渉25年間戦いを続けてきた。政府はお金より雇用が大事といったが、雇用は増えず、もう25年間雇用できない。
1945年の敗戦で、8月15日を境に、いままで軍国主義をやっていたのを今日から軍国主義が悪いんだと、教師には何も反省がない。こういう大人にはなりたくないと思った。組織がどうのではない。一人一人が人間らしく生きていくために訴えている」という。

福島県浪江町の酪農家・吉沢さん
吉沢さんは、300等の牛を飼っている。原発から14キロ地点で、和牛を飼い、原発の爆発音を2回聞いた。
3月17日、東電に乗り込んで抗議行動をした。「ぼくの牧場の牛は放射能被爆して売れない。自衛隊や消防庁にまかせて、なんで東電は逃げることができるのか」と話す。
また、「この牛たちを生かしながら、被爆の研究をすればいい。生きた牛が、双葉町や福島の復興に役立つと信じている」と話し、原発の再稼働反対を求めている

‪浪江町酪農家300頭の牛を守る‬
http://www.youtube.com/watch?v=YQ63L1SLuuc

浪江酪農家「決死救命」の決意
http://www.youtube.com/watch?v=d71Nm8zWaqw


最年少の参加者
さまざまな子ども市民の活動のリーダー、中学生代表の富樫泰良(とがしたいら)君、15歳。
「私は、こどもの権利条約について、国会議員の人への授業をやりました。こどもがもっと声をあげられる社会をめざして。選挙権のあるみなさんにお願いします。つぎの選挙では、ぜったいに同じことを繰り返さないでください。ひとりひとりの未来を守ってください。これからのこどもだちも、負担を負いますが、これからも一緒に頑張っていきましょう」と堂々と演説した。

富樫君のホームページ「Club World Peace Japan」
http://togashi.jimdo.com/


オキュパイ・トウキョウの実行委員、松永さん
アメリカのNYウォール街デモ・日本版の取材メンバーで集まり、昨年末から今年のアタマにかけて経産省前テント広場を借りて、インターネットで反原発活動の中継を行ってきた。
ニューヨークのウォール街デモは、公園を占拠して行われたが、日本ではこの経産省テント前ひろばで行われ、オキュパイ東京は連携してイベントをした。反原発は、日本だけでなく、世界中で応援してくれている。
オキュパイ・トウキョウHP
http://occupytokyo.org/ja/forum/index

反原発民主法定より、矢野さん
「警察が撤去するのは許さないとここにきた。福島の45パーセントの人が被爆、たくさんの人が死んでいる。被害をうけたのは人間だけではない。動植物が汚染されている。このような甚大な被害に対し、東電や政府の刑事責任は問われないということでいいのか。
検察に告発しているが、本当にこれらの刑事告発をうけて起訴するでしょうか。JR西日本の裁判で検察は控訴もしないで西日本の社長を無罪にしました。東電や政府の刑事責任はどう追求され、裁かれるのか。権力があるもの資本のあるものが罪を免れていいはずがありません」

原発犯罪を問う民衆法廷の呼びかけ(ちきゅう座・松元保昭さん)
http://chikyuza.net/n/archives/17573


80代の女性、斉藤さん
斉藤さんは経産省前テントに常駐している。この集会の最後のスピーカーとして話した。
「わたしたちは被爆国であるにもかかわらず、世界最大の核爆発事故をおこしてしまいました。中曽根さんは、(読売新聞の)正力松太郎というっしょに原発をもちこみました。原発がなければ、原爆はつくれない。30キロ(圏)とはなにごとか、80キロ(圏)でも足りない。四国の山の奥からもホットスポットが見つかっている。わたしたち一人一人の戦いです」


シュプレヒコールは、事務局の女性が先導を努めた。

「引き続きテントを守り抜く戦いをしましょう。緊張と消耗が狙いと思います。原発がすべて泊まるまでたたかいましょう」

すべての原発をいますぐとめろ
経産省前テントの撤去をゆるさない
こどもたちの命をまもれ
わたしたちの暮らしをかえせ!

げんぱついらない
テントをまもろう
ふくしまかえせ
ふくしまだますな
さいかどうやめろ
いますぐとめろ
憲法まもろう
みらいをつなごう
みらいをまもろう
核はいらない
ふくしまなめるな
わたしたちをなめるな
いますぐとめろ
こどもをまもろう
みらいをかえせ
いのちをかえせ
ふるさとかえせ
すべての原発、いますぐ廃炉
のこりは三基
電力足りてる
政府のうそつき
もうこれいじょうがまんは限界
だまってられるか



テント撤去のために経産省の人々は姿を見せることがなかった。
ニコニコ動画へは、集会をからかうヤジがものすごい勢いで書き込まれていた。
国会中継(NHK)で衆議院本会議場で代表質問が行われていた。
マスメディアはこの集会を中継せず、19時のニュース等でも報じなかった。
ニコニコ動画やIWJなどおなじみの中継メディア、市民らによるiPhone中継が行われた。
撤去されるのかを現地に集まった750人+ライブ視聴34700人が見守った。
多くの反原発の活動家、福島市民、弁護士、ジャーナリスト、テント関係者が演説を行い、シュプレヒコールをあげた。
右翼がスピーチを妨害していた。
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# by sasanoel | 2012-01-27 19:46 | 反原発
老女の奮闘。ポーランドから尊厳のある食事とは? 「暖かいスープを召し上がれ」
ポーランドでミルクバー(低所得者向けのレストラン)を経営している老女・ダヌータのNHKドキュメンタリー「暖かいスープを召し上がれ」(制作・スウェーデン)を観た。彼女は、「人は誰でもきれいな店で美味しいものを食べたいと、それが人の尊厳のある食事だ」と。
ポーランドでも、ファーストフード店は大人気で次々と増えている。
マクドナルドのようなフランチャイズ店、スタンディングの食事はニューヨークや東京では忙しいビジネスマンのおやつ、補助的な食事だが、低価格であるゆえに、一方で、低所得者層に高カロリーで偏った貧しい食事として、経済的にギリギリの生活をしている貧困層に主食としても提供される。

東日本大震災で、山崎パンが提供したパンやおにぎりは、非常時をしのぐための配給だったが、6ヶ月も食べていかなくてはならなかった被災者から、炊き出しのあり難さを何度も聞いた。誰も山崎パンを憎んだりはしないし、感謝しているとおもう。でも、毎日は厳しい。それは配給をした山崎パンの従業員、配達した佐川急便のドライバーはおそらくよく分かっただろうと思う。でもこれは、炊き出しやスローフードが上質で、ファーストフードがいけないといった単純なことを言いたいのではもちろんない。ミルクバーの経営者、ダヌータが言うように、「尊厳のある食事」が大事だからだと思う。

1日400人が食事するダヌータの店は、運営費の4割を補助金でまかなっているが、ポーランド政府はその補助金をカットすることを考えていて、つねに経営危機にみまわれている。しかも補助金をもらっているために、仕入れ値を店側でつけることができないそうだ。ダヌークと同年代の経理担当者は、仕入れ値の変化で毎日メニューの値段を調整している。

余裕がある人は、人が生きるために必要な支援についてあれこれ考えるが、必要な支援を考えるためにも、いま何がおきているのかを実際に知らなくてはならないだろうと思う。もし一人でも政府にそういう人がいれば、1日400人もの低所得者が利用するダヌータの店の補助金を切ろうなどと言い出す役人はいなくなるはずだ。

そして、いまこうしてテレビで世界中のドキュメンタリーを観ることができるが、このような食事に関する問題は、ポーランドで起きためずらしいことではないと思う。
ミルクバーのような低所得者向けのレストランは、横浜には港や寿町にもある。そこでは、母の味といえるような昔ながらの食事が出されるため、地元の労働者もランチなどで利用する。寿町はかつて労働者の街だが、いまは地域全体が低所得、単身の高齢者の街で、食堂も一般の労働者はほとんど利用しない。寿町は街全体が福祉と福祉の担い手などで支えられている。
世界で、低所得者がさまざまな境遇のなかで生きているが、誰にもあたたかな、ぬくもりを感じる食事がより重要なこと。その価値を低所得層や、今回東北で被災した人々は経験して知る。そして、日本人の多くは、明日の食べ物に苦労することがなかったが、震災により隣人が非常事態に陥ったことで、食事の質(栄養だけでなくいろいろだが)の大切さを、多くの人が知り考える機会にもなった。

また、日本は平和ボケといわれるが、日本だけではない。日本がお手本とする多くの先進国と言われる国々で、気づかないうちに、本当に豊かで大切な食事も失われつつある。何も考えなくてもいいものが目の前にあった時代はとうに過ぎている。ファーストフード店が流行る社会ではなく、ミルクバーが必要なのに。


このドキュメンタリーは、1月25日まで、NHKオンデマンドで観ることができる。
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/081006.html
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# by sasanoel | 2012-01-20 13:26 | 作品から
石巻の反原発家・日下郁郎さんの写真展
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2011年の福島原発災害をうけて、2012年の始まりに緊急開催された「脱原発世界会議 2012 YOKOHAMA」は、1万1500人の来場者、20カ国から50名のゲストを迎え、国内外の市民活動による思い思いのもちこみ企画が100団体から披露され会場を埋め尽くしたていた。また国内約140社・海外約40社のメディアが取材した。
事前の情報はホームページ、メーリングリスト、ツイッターなどのソーシャルメディアを使って行われ、会議の中継は横浜市民放送局、OurPlanetTVなど、市民メディアが担った。

弁護士の河合裕行さんは、15日のメインホールでの原子力資料情報室主催の集会で次のように訴えていた。
「これまでの日本の54基の全国の原発に関して、再度、全て差し止め訴訟を起こしてください。311以降は、原告がいっていたことが本当になった、真剣にむきあおうと裁判官が真剣に話をきいています。
世界平均の100倍の率で地震が発生する日本は、原発を止めたドイツに比べ原発の危険性も100倍。CO2と放射能とどっちが嫌か、考えてみて欲しい。「脱原発依存」しながらゆっくり自然エネルギー社会をめざすなんて優調なことではダメです。明日事故おきたらどうしますか? 浜岡が再稼働して、東海地震おきたらどうしますか? 日本の原発はいま止めるべきだ」

震源により近い、女川原発周辺の市民活動を知る写真展
当然のことながらフクシマ一色のイベントだが、311の震源に近い女川原発がどうなったのか、そして女川原発を擁する石巻・女川の反原発の市民は、何を言おうとしているのかに目をむけてみることは、原発問題の全体をみるとき重要な視点だと思う。

福島の事故で電源喪失や放射能漏れ、メルトダウンといった深刻な事態を招いた、震災直後の原因が津波によるのか地震によるのかの議論があるが、いずれも過去の原発裁判で指摘され、何度も想定されていた備えを怠ったための人災であることは間違いない。どれだけ電源喪失に備えても、高い堤防を築いても、それを上回る災害はいつ起こるかもしれない。
「女川は無事だった」という報道のみなされたが、それが印象づいてしまうことはこれからの防災を考えるとき、とても危険な感覚として残ってしまう。実際は、港から400メートルのところにあった県原子力センターも、国の災害対策施設(オフサイトセンター)も、そして放射線量を観測するために牡鹿半島全域にいくつも設置されていたモニタリングステーションも流され、使用できなくなっていた。多くの原発システムが機能しなくなり、事故から1年が過ぎようと言う現在もそのままだ。

石巻に住む反原発の活動家・日下郁郎さんの自宅は被害をまぬがれたが、地震による津波で漁村や港に近いところに住む親戚を4人もなくしていた。
女川原発建設反対の原告団として裁判に負けてからも、防災計画の策定に関わり、原発に反対する活動を続けて来た。日下さんが伝える写真展がメインホール入り口付近の小さなスペースで行われた。

展示された写真は、311後に自転車で女川へ行き、震源に最も近いところにある原発施設の津波被害の状況をはじめ、津波に傷つけられた街や浜々、人々のいとなみの多くが流された記録である。

忘れたいこと、受け入れがたい風景に背をむけず、メディアが伝えなかったこと、覚えておかなくてはならないことを伝えようと、撮っていた写真をようやく見つめ直しての被災地からの大切なメッセージだった。

東日本大震災後はじめての脱原発の国際会議の主役はフクシマだったが、地震・津波について考えるとき、やはり忘れてはいけない視点だろうと思われる。311後、震源に近い女川原発が真っ先に心配されたように、日本の多くの沿海の地にある反原発活動として、日下さんたち石巻・女川の人々の津波による被害は、これからも伝えていかなくてはならないと思った。


写真:写真展「3.11の津波で崩壊した女川原発の放射能・放射線監視システム」を企画した原子力発電を考える石巻市民の会の人々。中央・日下郁郎さん、左・近藤武文さん
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# by sasanoel | 2012-01-19 13:54 | 横浜
脱原発世界会議、その2 日下さんの写真展で会いましょう
年末から、世界原発会議にもちこみ企画で参加する、石巻の原発反対の活動家・日下郁郎氏の写真展のお手伝いをしていました。昨日、写真出力をしましたが、ようやく日下さんの言いたいことを展示できるようになったのかなと思えて来ましたので、こちらにもお知らせしたいと思いました。

「福島第一原発の放射能漏れに関する原因は、津波と言われてきたが、本当は地震によるものたった」ということは、ずいぶんまえから反原発の人々の中で叫ばれてきました。わたしも、このことを問いただす院内集会も見て、原子力保安院や原子力安全委員会の方々が言葉に困っている様子をこのブログでもお伝えしたことがあります。

そのように、いま、反原発の人々の中では「福島地震説」を明るみにしようという動きがあるのに、今回の展示はあえて「津波」をいうことを言おうとしています。

女川原発は、東日本大震災の震源の地域、石巻市と女川町にまたがって立地していますが、原子炉施設のダメージはなかったと伝えられています。しかし、実際は、原発から8キロ、海岸から400mのところにある、宮城県原子力センターとオフサイトセンターは壊滅、牡鹿半島に点在するモニタリングポストも大半が流されていました。

世界に目をむければ、津波も地震も、東日本大震災をはるかに超える規模の災害が起きています。スマトラ沖地震では東日本大震災の10倍もの被害者を出しているということです。日本でも、今後、もっと大きな津波も地震もないとはいえることはありません。
反原発世界会議と、「原子力ムラ」という言葉や存在に対して、「反原子力ムラ」をつくっても仕方ないのだろうと思うし、人間の都合の文脈などは、防災を考えるうえでもっとも考慮してはいけないものなのだろうと思います。

石巻・女川に住む人々と、地域で反原発の活動を続けて来た日下さんは、311の津波で4人もの近しい人の命を奪われました。長年の反原発の活動に揺らぎはないと言っていますが、いま、これからの活動をあらたなものに変えていく大きな力にはなったのではないでしょうか。それは、どんな言葉にできるのでしょうか。まだできずにいるのかもしれません。

震源の地で、原発事故には至らなかった巨大津波ですが、その猛威は、原発関連施設の多くを、石巻・女川の浜浜同様に破壊へと導きました。その惨状と、当地の人である日下さんの心境をこの写真展は伝えてくれるものと思います。

ぜひ、パシフィコ横浜へ、日下さんの展示を見に来てください。

お知らせがギリギリとなってしまいましたこと、また、現時点でもなおどのような写真展になるか、お手伝いした私自身もはっきりとはお伝えできませんことを、お詫びいたします。

会場でお目にかかれる方がおられましたら、ぜひご連絡くださいますようお願い申し上げます。
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# by sasanoel | 2012-01-13 09:25 | 横浜


被災者も非被災者もともに平和で楽しく暮らせる社会をめざして。2011.03.11 ご連絡、記事についてのお問い合わせ、取材依頼は筆者までメールで。sasanoel@gmail.com
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