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被災から非難まで

経過報告1

<不動町周辺の被害と佐々木家>
佐々木家は、石巻市不動町、旧北上川の河口流域に生活していたため、川に逆流する水で1階はほぼ浸水状態となった。
石巻の避難所明友館は、指定避難所になっていなかったため、避難者が協力して避難所機能を立ち上げた。
現在110名(河北新報26日)が非難生活をしている。
道路はまだ水が引かず、上げ潮による増水もある。
停電状態で、テレビはない。ラジオからの情報はある。
発電機により携帯電話が充電できるため、iPhoneなどでインターネットから情報収集している。


所帯ごとに、
照男・笙子(2階建て)
仁美・ミサ(マンション・1階)
洋・めぐみ・涼多・麻衣・賢大(2階建て・旧北上川沿い)

家族は全員避難所へ非難し、無事だった。


<震災の時>
津波が来たら、「佐々木家は明友館に」ということになっていた。石巻市民開会横の隣にあるが、市民会館は老朽化していたので、立て替えの予定だったから、あらかじめ打ち合わせしていた。
津波警報で、逃げる準備はしていたが、波に飲まれたり、逃げる途中で巻き込まれたり、町内で6人の死亡が確認されている。
波に飲まれて、生き延びた人もいる。

<11日2時45分/それぞれの行動>
照男
照男と叔母の笙子は2丁目の2階建てに二人で暮らしていた。もと石巻郵便局局長。
警報があり、2階に避難していた。水が少し引いて、町内会で面倒を見ることになっていた2人の無事を確認するため、一人、明友館には向かわなかった。その後、数日消息不明。自宅に近い、町内会の災害対策本部を結成し、役員の方々と避難生活をしている。

笙子
照男と別れ、明友館(避難所)へ。
電気も暖房も食料もない部屋で、パイプ椅子に座り、一夜を明かした。

仁美
野蒜にある職場に勤務していた。野蒜から、避難所のある不動町までは、ヒッチハイクで消防隊の車に乗せてもらい、明友館にたどり着いた。

ミサ
不動町のマンションから、コーギー犬のハナを連れて明友館へ。

洋(めぐみ、涼多、麻衣、賢太)
湊小学校避難所に賢太を迎えに行ったまま2日間滞在。そこで班長を任されそうになったが、他に立候補する人がいたので、賢太と明友館に避難。
湊小の校庭や河口1kmのところで、家が流れて行くのを目撃した。
12日午前に明友館で合流。
被災から非難まで_d0230639_528932.jpg

by sasanoel | 2011-03-28 06:46 | 取材ノート