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日々変わる石巻

Date:2011年4月4日16:20
Subject:訪問2日目 | 写真
by:sasanoel@仕事の合間

横浜では桜が咲き始めた。
一週間前、ペットフードがないというので準備したが、もうあるというので、急ぎペットシーツに荷物を詰め替える。こちらはドラッグストアにいけばいくらでもあるものが、避難所にはないのだ。
震災から3週間、4月2日(土)。2回目の訪問から1週間がすぎた明友館避難所をまた訪れた。
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1日22本と増便になった仙台ー石巻バスで、朝10時、石巻入りした。
道が渋滞していたため、通常は1時間少しのところ2時間ほどかかった。車は増えたが、ガソリンスタンドにならぶ車の行列は短くなっていた。

石巻大橋を超えると、不動町。避難所へ行く道路から水は引いていて、数人の警察官が手旗信号を送っていた。夕方の上げ潮時は増水するが、もう道路が川のようになったりはしない。
停電、断水は今も続いているが、食料の配給は間に合っており、給水車が頻回していた。

避難所も、街も、ほんの少し、状況に慣れてきたようにみえた。
同時に、この先どうなるかわからない、という不安の影も見えた。
避難所はいつまで使えるのか、住宅のローンはどうなるのか。郵便が届くのはいいが、見ると、請求書ばかりだった。最寄りの銀行もクローズしている。
行政やライフラインの担い手もまた、被災した人々だ。



仙台駅のバスターミナルから、新潟出身の少年、武石くんと角くんの2人がついてきていた。ボランティア先を探していた。
一緒に明友館へ行き、手伝うことはないか?と相談したところ、従姉の家の掃除を2時間半ほど手伝えることになった。
その後二人は、ボランティア登録をしに専修大学へ行った。
石巻市は避難所でもある専修大学の校舎でボランティアを集め、NPO連合と避難所と連携して被災した家屋の清掃などにあたらせている。フリーで来た彼らは、そうしたワンクッションを置かずにディープな地域に入り込んできたのだが、ダイレクトに見えた被災地の人々の想いをうけとめることができただろうか。

従姉の住んでいた昭和マンションは、築23年のまだ新しい建物だったが、従姉の親娘の住む1階だけが津波の被害にあった。家の中は水が猛威を振るったのだろう。家具や備え付けのカウンターは無惨にあらぬ方向を向いて行く手を阻み、ヘドロにまみれていた。
キッチンシンクには大きな魚がはまっていた。海から泥水を泳いできたのだろう。

2階が無事だった叔父と叔母の家、父の生家へも行った。
先は週泥の中で、叔父がひとりで掃除をしていた。その後、専修大のボランティアが片付け、けさ、従兄の義理のご両親が水を持ってきてくれ、かきだ出してもまだ白く残る泥を洗って、ずいぶんきれいになった。

水のいらないシャンプーを買い占めないで!」
叔父の家から帰り、明友館避難所の班長・糸数さんにお会いした。もともと明友館の職員だったが、昨日(4月1日)で別の文化会館の勤務に移動になった。しかし、避難所が彼の住まいであり、班長であることにかわりはない。これからも明友館から出勤して行くとのこと。
ところで、「水のいらないシャンプー」という避難用具があるようで、これがなかなか物資に入っていないという。都心で買い占めだろうか?もしそうなら、ぜひ買い占めないでほしい。避難所の人々は震災の日から殆ど風呂にすら入れない生活で、この商品をほしがっている。

この日は、明友館避難所を出たあと、夕方から専修大学のボランティアセンターを訪ねた。
翌日帰宅するまでのことについて、また報告する。
by sasanoel | 2011-04-04 16:20 | 取材ノート