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「海に浮かぶ都・ヴェネツィアに学べ」

週間文春4月21日号の「私の日本再生計画」で塩野七生さんが「海に浮かぶ都」ヴェネツィアに学べ」と題して寄稿していた。地元っ子にも、もっとも美しいと愛されるイタリアの水の都・ヴェネツィアはもともと海面より低い潟に造られた都市で、古来より人々は海とともに暮らしてきた。ゴンドラで有名な水路は、人が物を運ぶための運河として造られたのではなく、水を流すために造られたのだそうだ。水は、留まれば溢れて街を沈めてしまうし、水かさによらず、濁ってしまうと悪臭を放つ。そのことは、まさに石巻の津波への課題と重なる。



わが佐々木家では「石巻は北上川があるから津波は大丈夫」との言い伝えがある。たぶん、多くの石巻市民がそう思っていたのではないだろうか。今回、叔父と話す機会があり、あらためてそのことを考えた。
石巻は、多くの津波による被災者を出した。どうやら、河口から逆流してきた水と、船主さんたちの連なる漁港からの水の両方から責められたようだ。海から2キロぐらいの志津川(南三陸町)、女川などは、海の水がダイレクトに届いてしまったのだろう。病院の4階まで水が押し寄せ、5階に逃げて助かったり、救助を待たずして亡くなった方もいる。
一方、旧北上川流域は、水路が蛇のようにうねっており、角度によっては、浸水の少ないところ、不動町のように、浸水1メートル60センチ程度はあったが、河口からの逆流水のため速度的には遅い(時速30キロくらい?)ところもある。旧北上川のおかげか、堤防のない川沿いでも水が緩やかになったようだ。10メートルの堤防のある南境は、堤防が水をせき止めたようだ。もちろん、旧北上川流域といっても、すべてそのような状況ではない。実際にあるいた所でも、八番町より河口に近い湊地区や漁港から近い住宅街一帯は、レベルの異なる状態だと言える。

さて、石巻では、4月21日の小・中学校のスタートに伴い、学校施設を避難所としている人々の2次避難の課題が急務となっている。県外への避難希望者がきわめて少ない石巻で、2次避難場所が見つからない。動きたくない人々と行政とのやりとりが解決の糸口を見つけられない。
いずれ帰ってくることのできるよう配慮した復興への方向性があれば、被災の疲れをいやしつつ、復興に向かう石巻に戻ってこれる。それであれば、行政と避難者が、被災した者どうし、困り合うような事態を解消できるかもしれない。

流れる川に役割をもたせる。新たに津波の水に対策した水路をつくる、石巻の復興は、これからなのだから、とりあえずの事情には協力して物事をすすめ、長期的な課題や新しいふるさと作りに夢が持てるよう、大人も子供も考えていけたら素晴らしいと思う。

世界一美しいヴェネツィアの人々の知恵に学んだ夢のある復興計画を考えてみてはどうだろうか。
by sasanoel | 2011-04-17 10:42 | 取材ノート