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震災から2ヶ月のカメラマンたち。現研全校集会へ

東日本大震災から2ヶ月となる5月11日(水)。
現代写真研究所(現研)が主催する、「現研全校討論集会~今こそ写真を考える」が行なわれ、午後6時半から9時頃までフルタイムで参加した。
ここに来たのは初めてだが、先日、コニカミノルタで石巻の写真展を開いた竹内さんや、山口ミカさん(故人・友人、パラフォトメンバー)を知る卒業生の方々、巣鴨のやえさんの企画(山口さんの写真展)でお会いした方にも再会した。
そんなわけで、はじめて来た場所なのに、居心地が悪くなかった。

現研は四谷三丁目の駅のちかくにある、ビルの2フロア。
20坪ほどの教室にプロジェクターが設置され、長テーブルを4つ集めただけの周りにたくさんの丸椅子が集められていた。この集会のテーブルを囲んで、出入り口までぎっしり集まってきた人々は、50〜60代のカメラマンを中心に、30〜40代の男女の姿もちらほらある。みなカメラマンであるようだ。

中心となって会をすすめたのは、金瀬胖さん。1999年に臨界事故を起こした東海村の核燃料施設を取材し発表している。

プロジェクターで写真を発表したのは中村梧郎さん。ベトナム戦争でのアメリカの枯れ葉剤攻撃による被害状況を取材した著書「母は枯れ葉剤を浴びた」などがある。
今回は、ヒロシマ、ナガサキに続き有名になってしまった「フクシマ」の波江町、飯館村などを4月6日に撮影した写真をもとに、無人になった町の状況、そこに住む動物、残る放射能汚染の怖さなどを教えてくださった。場所は福島第一原発まで7キロ程度しか離れていない。テレビや一般のメディアが入れない場所といっても、それを咎める人すらいない。                                                                                                                                               
「テレビの震災の報道で、何度もアタマに来て、講義の電話をした。原発推進派の学者に説明させて番組を作り、パニックを恐れた情報操作が行なわれている。一人では無力で、すぐ潰されてしまうが、みんなで講義していくことで、変わる。変わっていく過程を記録し、関わることが大事です」と中村さんは言った。わたしもなんとなく思っていたことと重なって、なんだか、心強い気がした。じつはこの先生の授業を受けようかと思っているので、そのこともあってこの会に来たのだった。

テーブルには、JRP(日本リアリズム写真集団)の会員の方が展示会に出品する写真や、この集会のために持ち寄った写真など、東日本大震災に関する写真が並べられた。
被災地・宮城などの瓦礫や、人のいなくなった商店街などのほか、3月11日の首都で不安そうに帰宅を急ぐ人々と、そんなサラリーマンの靴音をよそに麻雀で遊ぶホームレスの強さを切り取った写真もあった。この写真は金瀬さんが撮られていたが、印象的なものだった。

金瀬さんらは、「ヒロシマ、ナガサキで被災者だった日本人が、いま海を汚している。プランクトンが汚染した海水を食べ、それを魚が食べ、食物連鎖が起きていることを研究している人もいるが、われわれ写真を撮る人間が被災地の写真をどう使うのかを考えたい」「若い人は、30年、50年と一つの地域を写していくことで復興を追うことができる。やるべきことはいっぱいある。これからが仕事だ」「私たちは、耐えられる環境で生きるのではなく、生きる価値のある環境で生きる権利がある」「また半年ぐらいしたらこういう会をやろう」などの発信をした。というか、そんな言葉たちがわたしの中にのこっている。

帰り際に、私にメールをくれた方はいなかったけど、現研で働くべつの女性が「来週の授業を見に来てください」と誘ってくれた。なんてアットホームなんだろう。こんなところで山口さんは写真を勉強していたんだ・・と納得した。

帰りは、地下鉄駅前の銀ダコ+トリスバーで一杯だけ飲んで、急ぎ帰路へ。
by sasanoel | 2011-05-12 09:07 | 東京