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明友館避難所・助け合い活動の日々

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石巻市のほぼ中心、川沿いの不動町2丁目に明友館はある。
3月11日、津波は河口から旧北上川を逆流して押し寄せ、多くの家々の1階部分まで浸水した。水の勢いは、沿海部に比べれば遅かったかもしないが、1階部分は作り付けの家具がえぐり取られ、壁は内側からゆがんでいる。泥をきれいにして修復しても住めるようになるかどうかはわからない家も多い。

鉄筋2階建ての生涯学習施設「明友館」には、当初136人が避難してきた。この地域で避難所に指定されていた隣の石巻市民会館の老朽化が心配されていたため、ここに来ていた人々だった。

この小さな公民館には、歩行困難できめられた避難所まで行けないお年寄りや障害のある人もいる。しかし当初、避難所としての準備はなく、地震から2日後の夜、ようやく、1人1個のおにぎりが届くまでは、ほとんど何も口にしないまま身を寄せ合い、寒さと空腹に耐えた。
なんとか、避難者の自宅やお店などから泥まみれの食料を掘り出して急場をしのいだ。現在、約60人が無事に暮らしている。




奇跡の避難所? 明友館の「たすけあいの活動」

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左・千葉リーダー、右・糸数班長

地震直後、明友館は指定避難所でなかったために物資が届かず、もちろん電気も水もない状態だった。
町内会の対策本部や行政からは何度か避難者名簿の提出を求められ、その都度、手書きで書いて出したのだが、しばらく反映されなかった。そんな中で、明友館は民間の支援物資に依存するようになっていった。

ある日、足の不自由な高齢の避難者を若い避難者が協力して2階に上げたことから、明友館に助け合いの気運が高まったようだ。
元気なオッサン連中が立ち上がり、千葉恵弘氏をリーダーに、避難所としての立ち上げに乗り出した。同時に、同じように食べることのできない孤立避難者を探し、独自に支援する活動を始めた。

全国にネットワークがあり、不思議な魅力をもつ千葉リーダーが、「物資がない」と伝えると、「仲間」から生活物資が届き始めた。その仲間とは、子供のころのケンカで絆が深まった人々だという。
千葉リーダーは、仲間が届けてくれた物資を、自分たち明友館の避難者だけでなく、近隣の個人宅で避難している人や、行政の物資が行き届かない所にも配ろうと呼びかけ、比較的元気なオッサン避難者たちがそれに応じた。さらに、必要とするところへ無駄なく届けようと、1階を倉庫にして物資を仕分けし、支援団体に頼んでトラックや燃料を独自に集め、自給自足の地域支援を行っている。

明友館の職員で班長の糸数博氏もメンバーのひとりだ。3月までは明友館の職員だったが、4月1日に移動となった後も活動に協力し、勤務先へも明友館から出勤している。
何よりも大切に思われたのは、千葉さん、糸数さんらの連携が、ここで暮らす避難者たちに大きな安心を与えていることだ。

「最近の明友館は・・」
地震から二ヶ月以上が経過した今なお、支援物資の行き届かない場所がある。明友館のメンバーや、活動をサポートする全国のボランティアに関わってもらい、食料や生活用品などのさまざまな物資を供給しつづけている。
明友館の避難者数は、当初の半分に減り、若い人たちは仕事に出かけている。水道、電気も復旧し、発電機はいらなくなった。
GWには横浜からクレイジーケンバンドが演奏に行ったり、お笑い芸人、ヘアカットやマッサージ、足湯などのボランティアが訪れた。
買い物には車がないと不便だが、明友館に暮らす従兄も千葉さんのつてで中古車を手に入れたらしい。
今も避難生活が続く明友館で、避難者と支援者のドラマがある。

<石巻明友館の活動>
・物資の受け入れ・保管・提供
支援物資を、孤立避難者、保育所等へ提供する。
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避難所でいただいた朝ご飯。
by sasanoel | 2011-05-17 16:39 | 東北