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石巻日日新聞の号外、横浜で展示される。

3.11の地震から1日も休まなかった新聞社として、被災直後の手書きの号外が世界に知られるようになった石巻日日新聞の実物が、横浜にある日本新聞博物館(ニュースパーク)に展示されている。日本新聞博物館は、民間放送と日本新聞協会に加盟する新聞社の意義を広く伝えるための拠点として運営されている。入場料500円・大きな新聞博物館の一角、「撮影禁止」と書かれたガラスケースに展示されていた。

メディアはみな市民のためにある、ということで、石巻日日新聞も、新聞・放送活動の活躍を知らせるネタにされているが、震災は、まだ、それほど過去のことではない。被災地はまだこれからが大変。新聞の歴史や新聞人の過去の功績を称えた広報ツールのひとつとなっていることに違和感をおぼえる。
市の施設である以上、それは横浜市民のメディアリテラシーの問題を左右することと思うが、大手全国紙と、地域紙で立場も、役割も、何より取材対象と記者の関わりも全く違う。
アメリカで紹介されたのを真似て横浜でも・・ということかもだけど、この時ばかり「同じメディア」として功績をわがものにするのはチョットずうずうしい気もする。
メディアっていろいろあって、それぞれかなり違うと思う。メディアがどうちがうか知ることは、ニュースを読み解くことにうんと必要だと思うから。

地震直後の石巻日日新聞号外には、記述の訂正された痕もある。被災しながらの編集作業は大変だったと思う。12日の新聞によると、「内海橋崩落」となっていて、そのニュースは数日のうちに横浜にも届いた。しかし実際、行ってみると内海橋は残っている。地震の規模の訂正、被災者数の訂正など、訂正は毎日ある。これは記述の間違いというより、被災状が大きい中で、取材の時点と報道後で状況そのものが変わっているのだと思う。
たしかに、内海橋は崩落していなかった。しかし話によると、津波が内海橋の上を通ったという事だから、その瞬間を見ていれば、中州を橋脚にした細い内海橋がやられたと思うに違いない。実際、橋の周りの家や建物はほとんどが流され、残った建物にももう住むことはできないことが一目でわかる。

一方、最新の報道技術と設備・人員であたった全国の大手メディアは、石巻の深刻な被害状況についてタイムリーに伝えることができなかったと感じる。放射能汚染の危険な福島などはもっと顕著だ。
死者数第2位の岩手県陸前高田市の倍の死者を見積もりながらも、石巻市の情報はずっと少なかったし、あとになって報じられることが多かった。被害の報道も下火となった頃、大川小学校の多くの子供たちの事故死が報じられたのは4月である。危険を侵して仕事をしろとか思わないが、被災地に人が住んでいるのは確かだし、情報のスピード、タイミングがちぐはぐに思われた。

地震後1週間分の石巻日日新聞の号外をあらためて読み、被害規模が確定しないまま、目の前の状況に向きあい続けた編集者、記者たちがいたこと思い描いた。自分たちの地域の状況を知らせ、ともに生きるための情報を配信し続けることができたことは、彼らの忘れられない体験となったことと思う。石巻、東松島を見つめる唯一の媒体として、自分たちしか、自分たちのことを報じられないという状況を、十分な設備のない状況で味わったことと思う。それは、どんな気持ちだったのか。いつかまた、社員の方に会えたら聞いてみたい。
by sasanoel | 2011-05-19 23:39 | 横浜