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女川5月21日(土)番外編

いまさら2週間も前のことだが・・
従兄のヒロシの家の泥出しも手伝わずに、雨が止んで、天気がいいのに任せて女川へバスで行ってきた。女川町立病院の高台からは、女川港と被災した町が一望できる。テレビで何度かここからの景色を写していたのを思い出す。
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そんな雨上がりの女川で、自転車で長距離を来るオジサンたちに会った。
一人は町立病院の高台で会った埼玉県人。はるばる埼玉から、三陸道を通って石巻いり、私がバスできたルートでここ女川まできて、これから鮎川のほうへ行くのだという。
眼下に広がる瓦礫の港を見ながら話していると、同郷でもある神奈川県の職員に会った。神奈川県からの派遣としては、第7陣だそうだ。長い復興に向けて、これからも何度か派遣されるだろうとのことだ。

町立病院の高台をおりていくと、別の自転車乗りに会った。今度は神戸からだった。とはいえ、さすがに神戸からは・・ということで、先に自転車を仙台まで送り、仙台から自転車できたとのことだった。阪神大震災の時はセーフで被災しなかったらしい。



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女川港の岸壁でハエの集団攻撃をうけながら、魚がいるのを見た後、一緒に女川駅を探した。雑誌などでは車両が横たわっていたから、駅があるということがわかったが、すでに撤去されていたため、はじめはどこにあるのかわからない。駅は瓦礫に埋まって、ホームと線路が向かう方向がなんとなく確認できた。
ここでも、国の省庁の調査員に会った。時間ももう5時近かったから、これで今日の仕事は終わりということだったが、来てみてどうか?と訪ねてみると「実際に来てみるのと、きいているのではやはり全くちがう」と、驚いたようすだった。ぜひ、その印象を忘れずに、仕事をしつづけてほしい。

被災した女川の町に、地方行政からはボランティアに、中央からは視察に。
一般市民は自転車で被災地を感じ、被災地から学ぼうとやってきていた。

帰りは、降りた女川町立病院のバス停まで戻った。
バス停にいたアジア人ボランティアがニコニコと話しかけてくる。最初日本人かと思って「バスはもう来ますか?」と訪ねると、「すみません、台湾人です」と、難しい会話はできないようだ。かと思うと、金髪の背の高いアメリカ人ふうの男性が電話にでて「もしもしー、お久しぶり〜。えーなんとかーぼちぼちです」とか・・関西系訛りがは板についていた。

被災地女川は、避難所と病院、景色、観光にボランティアという、不思議な空間だった。
by sasanoel | 2011-06-05 23:22 | 東北