障害者サッカーの魅力、横浜の選手が伝える!
2013年 03月 01日
2月16日、日産スタジアム内にある横浜市スポーツ医科学センターにて「電動車椅子サッカーとともに生きる」が開催され、1月にシドニーで行なわれたアジア・オセアニア大会の報告や国際化への取り組みの歴史など、電動車椅子サッカーの魅力を伝える講演会で、地元クラブ・横浜クラッカーズの選手により語られた。
「電動車椅子サッカーに生きる」講演会
http://www.ut-challenge.jp/c01/2013/02/post-45.html
電動車椅子サッカーは、全国9ブロック35チームあり毎年日本一を決める全日本選手権が行なわれている。世界大会も2007年に東京で初めて実現した。横浜クラッカーズは、1999年に横浜ベイドリームから別れて結成、2011年、クラブ創設13年で全国初優勝を果たした。2007年の世界大会には、野田拓郎を日本代表に送り出し、今年のAPOカップには、三上勇輝選手、そして、日本代表初の女性ストライカー・永岡真理選手を送り出した。横浜ラポールをメインコートに練習する強豪チームである。
イベントを企画した平野誠樹は、現在、監督・選手である。また、2004年のアテネパラリンピックでCPサッカー(脳性麻痺7人制サッカー)を取材したパラフォトの取材仲間でもある。著書に「110センチの視野」(2007年)があり、選手として、筋ジストロフィーを抱える人生の挑戦者として、自分のこと、自分を取り巻く家族や仲間とともに生きる半生を振り返り、描いている。
2007年の世界大会への選考会に平野は参加できなかった。自身の障害筋ジストロフィーの進行もあったが、それ以外でも体調も崩していたことが理由だ。国際大会の実現のためにパラリンピックも視察して、中心的に努力してきた平野にとって、心穏やかではなかったことだろう。こちらも声をかけるべきか悩んでいたとき、「カメラマンをお願いできますか?記事は自分が書きますから!」と、連絡があった。嬉しかった。おかげで私も記念すべき第1回世界大会を取材者として観戦できた。
アテネで始まった取材活動、これからも!
「電動車椅子サッカーの選手ですが、パラフォトでアテネに取材者として行くことはできますか?」そう連絡をくれたのがきっかけで平野のことを知った。もう10年近く前になる。「サッカーの選手が、サッカーの試合を観て伝える。すごく面白そうだ!」と思った。これまでも国際大会の取材に車椅子のジャーナリストはいたが電動車椅子は初めて。でも、障害者スポーツを伝えるのに障害があるからと取材者を拒むのはおかしいし、むしろ必要なことだ。JPCも、IPCも同じだろうと思った。平野は、お母さんを介助者に、弟さんをカメラマンに従えて3人の取材チームを作り、石畳のアテネを電動車椅子を充電して毎日会場に通った。
アテネの会場でも、「きみのような取材者が来るなんて!」と、各国のCPサッカー選手たちの間で平野の取材は評判になったようだ。選手であり障害者であるというダブル当事者性は、取材対象にも歓迎されたのだ。これからも、ぜひ、障害者のサッカーの取材を考えてみて欲しい。
(写真は、横浜クラッカーズのメンバー(左から平野、三上、永岡、野田)と、ゲストスピーカーとして会場を訪れた元ブンデスリーガー 奥寺康彦さんと)
<平野誠樹の記事>
【アテネパラリンピック記事インデックス】
「ゴールを狙え」もときのCPサッカー便り
http://www.paraphoto.org/article/motoki/
【2007電動車椅子サッカー・第1回ワールドカップ東京大会記事】
「エースのプライド、そしてニューヒーローの誕生」
http://www.paraphoto.org/2006/?article_id=132
「日本対アメリカ 豪快な一撃」
http://www.paraphoto.org/2006/?article_id=134
「日本×フランス戦」 どうした日本?
http://www.paraphoto.org/2006/?article_id=141
「<三位決定戦>その先にあるもの」
http://www.paraphoto.org/2006/?article_id=142
by sasanoel
| 2013-03-01 20:31
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